35-2 重大時機に當り三策を群臣に諮詢するの詔 孝明天皇(第百二十一代)

重大時機じゅうだいじきあたり三さく群臣ぐんしん諮詢しじゅんするのみことのり(第二段)(文久二年五月 孝明天皇紀)

昨臘和宮入關東也、使千種少將・岩倉少將、諭天下大赦之事。且告曰、國政仍舊、大概委於關東。至如外夷之事、則我國一大重事也。係其國體者、咸問朕、而後定議。或使二三外藩臣、預聞夷戎之所置。幕吏對曰、宸意事甚重大、難遽奉行。請暫猶豫。

【謹譯】昨臘さくろう和宮かずのみや關東かんとうるや、千種ちぐさ少將しょうしょう岩倉いわくら少將しょうしょうをして、天下てんか大赦たいしゃこと諭さとさしむ。げていわく、國政こくせいきゅうりて、大概たいがい關東かんとうまかす。外夷がいいことごときにいたりては、すなわくにの一だい重事じゅうじなり。國體こくたいかかわものは、ちんひ、しかしてのち定議ていぎせよ。あるいは二三の外藩臣がいはんしんをして、あらかじ夷戎いじゅう所置しょちかしめよと。幕吏ばくりこたへていわく、宸意しんいことはなは重大じゅうだいにして、にわかに奉行ぶぎょうがたし。しばらくの猶豫ゆうよふと。

【字句謹解】◯昨臘 文久ぶんきゅう元年十二月のこと ◯關東に入るや 家茂いえもち夫人として和宮かずのみや御降嫁ごこうかされた時 ◯千種少將 千種ちぐさ有文ありふみのこと ◯岩倉少將 岩倉いわくら具視ともみのこと ◯天下大赦の事 安政あんせい大獄たいごくばっせられた京師けいし公卿く げそのの罪を許すこと。〔註一〕參照 ◯外夷の事 外交問題の意 ◯二三の外藩臣 すでに朝廷と氣脈きみゃくを通じてゐた三四の藩中はんちゅうの有力な家來けらい ◯宸意 天皇御意ぎょい ◯遽かに奉行し難し 卽座そくざしたがつて實行じっこうがたい。

〔註一〕岩倉と千種 和宮かずのみや御降嫁ごこうかを幕府が朝廷にたてまつつたのが萬延まんえん元年四月で、その勅許ちょっきょ御沙汰ご さ たが同十月十八日にあり、翌文久ぶんきゅう元年十月に關東かんとう御下向ごけこう、十一月に江戸にちゃくし、十二月本丸ほんまる大奥おおおくに移り、同二年二月に家茂いえもち御婚儀ごこんぎげられた。この時供奉ぐ ぶの列に加はつてゐた岩倉いわくら具視ともみ千種ちぐさ有文ありふみ久世く ぜ安藤あんどう兩老中りょうろうじゅう會見かいけんして叡旨えいしつたへ、

(一)幕府でひそかに天皇廢立はいりつ計畫けいかくあるやの噂があること。(二)攘夷じょういみことのりはいしながら、かえつて諸外國と親交を重ねてゐること。

に就いて釋明しゃくめいを求めると、幕府は(一)は事實じじつ無根むこんであること、(二)は外國にたいして信義しんぎを失ふのは、やが國辱こくじょくまねくものであるから、今日こんにちの場合はむをないことを奉答ほうとうした。

【大意謹述】昨年のくれに、和宮かずのみや關東かんとう下向げこうした時、ちん千種ちぐさ少將しょうしょう岩倉いわくら少將しょうしょう供奉ぐ ぶとしてつかはし、天下の國事こくじ犯者はんしゃ大赦たいしゃすることそのの要件を奉承ほうしょうさせた。更にその際、ちんの意として、「國內の政治方針に就いては、今まで通り大體だいたいは幕府にまかすが、外交關係かんけい我國わがくにの最も重大な事件であるから、幕府の專斷せんだんを許さない。我が國體こくたい光輝こうき關係かんけいすることは、大小を問はず、すべちん奏上そうじょうし、ちんの意向を十分に聞いてから意見を決しなければならない。少なくとも朝廷の指定した二三の藩臣はんしんみぎ決定の席上に出さしめて、その意見を參考さんこうとし、決議すべきである」とつたへさせると、幕府の役人は答へて、「叡慮えいりょに就いては、事がはなはだ重大で、卽答そくとう致しかねます」と、る期間の猶豫ゆうようたのである。