35-1 重大時機に當り三策を群臣に諮詢するの詔 孝明天皇(第百二十一代)

重大時機じゅうだいじきあたり三さく群臣ぐんしん諮詢しじゅんするのみことのり(第一段)(文久二年五月 孝明天皇紀)

朕惟方今時勢、夷戎恣猖獗、幕吏失措置、天下騒然、萬民欲墜塗炭。朕深憂之。仰恥祖宗、俯愧蒼生。而幕吏奏曰、近來國民不協和、是以不能擧膺懲之師。願降嫁皇妹於大樹、則公武一和、而天下戮力、以掃攘夷戎。故許其所請焉。而幕吏連署曰、十年內必攘夷戎。朕甚喜之、抽誠祈神、以待其成功。

【謹譯】ちんおもふに、方今ほうこん時勢じせい夷戎いじゅう猖獗しょうけつほしいままにし、幕吏ばくり措置そ ちうしなひ、天下てんか騒然そうぜんとして、萬民ばんみん塗炭とたんちんとほっす。ちんふかこれうれふ。あおいで祖宗そそうち、して蒼生そうせいづ。しかして幕吏ばくりそうしていわく、近來きんらい國民こくみん協和きょうわせず、れをもっ膺懲ようちょうぐるあたはず。ねがふらくは皇妹こうまい大樹たいじゅ降嫁こうかさるれば、すなわ公武こうぶしかして天下てんかちからあわせ、もっ夷戎いじゅう掃攘そうじょうせんと。ゆえところゆるす。しか幕吏ばくり連署れんしょしていわく、十年內ねんないかなら夷戎いじゅうはらはんと。ちんはなはこれよろこび、まことぬきんかみいのり、もっ成功せいこうつ。

【字句謹解】◯夷戎猖獗を恣にし 東西の外人が我儘わがまま勝手な行動をする事。〔註一〕參照 ◯幕吏 幕府の役人 ◯措置を失ひ 我が國未曾有み ぞ う大難たいなんあたつて適當てきとうな手段をり、善處ぜんしょすることが出來ない意 ◯天下騒然 天下がざはざはしてゐて落ちつかない ◯萬民塗炭に墜ちんと欲す 國民一般が非常な苦惱くのううちちようとする狀態じょうたいをいふ。どろたんで、水火すいかの苦しみを塗炭とたんといふのである ◯仰いで祖宗に恥ぢ 天をあおいで皇室の御祖先ごそせん御靈みたまに自身の無能をづるといふ意 ◯俯して蒼生に愧づ 地にして一般國民にたいしてたまふの意 ◯幕吏 主として閣老かくろう安藤あんどう信正のぶまさを指す ◯膺懲の師 外人を打ちはらふための軍隊 ◯皇妹 和宮かずのみや(親子內親王)の御事おんこと。〔註二〕參照 ◯大樹 將軍しょうぐんの意、ここでは德川とくがわ家茂いえもちの事 ◯降嫁 皇族のうちから皇女こうじょ臣家しんかの者にとつがれること ◯公武一和 朝廷と幕府とが一たいとなつて親和しんわする意 ◯連署 老中ろうじゅう全部が署名して眞意しんいを述べる ◯誠を抽じ 誠心せいしんを以てする意。

〔註一〕內外多難 當時とうじ內外の混亂こんらんのため、如何い か國狀こくじょう多端たたんを極めてゐたかは、次に記す嘉永かえい六年以後の簡單かんたんな年代記でも十分判明しよう。

嘉永かえい六年(皇紀二五一三年)

◯六月―米使べいしペリイ、浦賀うらがきたる。幕府外國來航らいこう上奏じょうそうす。將軍しょうぐん家慶いえよしこうず。◯七月―幕府、アメリカの國書こくしょを示して諸侯しょこうの意見を求む。齊昭なりあき登城とじょうを命ず。露使ろ しプウチヤチン長崎にきたる。◯八月―品川灣しながわわん砲臺ほうだいを築く。◯九月―內藤ないとう信親のぶちか老中ろうじゅうに任ず。大船たいせん製造解禁。◯十月―家定いえさだ將軍しょうぐん宣下せんげ

安政あんせい元年(二五一四年)

◯正月―米使べいしペリイ再び浦賀うらがきたる。◯三月―アメリカとの和親わしん條約じょうやく締結ていけつ吉田よしだ松陰しょういんとらへられ、翌月佐久間さ く ま象山しょうざんも捕へらる。◯七月―日章旗にっしょうきを日本國惣船印そうせんいんと定む。◯うるう七月―英艦えいかん長崎にきたる。◯八月―イギリスと和親條約締結。◯十一月―二十七日改元かいげん。◯十二月―ロシアと和親條約締結。

安政二年(二五一五年)

◯二月―講武所こうぶしょ新設、江川えがわ英龍ひでたつぼっす。蝦夷え ぞ地を幕府直轄ちょっかつと定む。◯三月―梵鐘ぼんしょうを以て大砲たいほう鑄造ちゅうぞうす。◯六月―オランダ人、蒸汽船じょうきせん及びほうけんず。◯八月―老中ろうじゅう松平まつだいら乘全のりみつ松平まつだいら忠優ただひろおのおのめんぜらる。◯十月―江戸地震藤田ふじた東湖とうこ壓死あっしす。堀田ほった正篤まさあつ老中ろうじゅうとなる。◯十二月―オランダとの和親條約締結。

安政三年(二五一六年)

◯二月―蕃書ばんしょ取調所とりしらべじょ建設せらる。◯六月―二分金にぶきん鑄造ちゅうぞう。◯七月―アメリカ總領事そうりょうじハルリスきたる。◯十月―老中ろうじゅう堀田ほった正篤まさあつ外國事務專任せんにんとなる。

安政四年(二五一七年)

◯正月―蕃書ばんしょ取調所を開く。◯四月―軍艦敎授所きょうじゅじょを開く。◯六月―阿部あ べ正弘まさひろそっす。◯七月―水戸み と齊昭なりあきの顧問をめんず。◯八月―脇坂わきざか安宅あたか老中ろうじゅうに任ず。◯十月―ハルリス將軍しょうぐんえっし、翌月アメリカとの通商つうしょう條約じょうやく議定ぎていす。

安政五年(二五一八年)

◯正月―老中ろうじゅう堀田ほった正睦まさよし上京。條約じょうやく勅許ちょっきょ奏請そうせいす。◯四月―井伊い い直弼なおすけ大老たいろう就任。◯六月―獨斷どくだんを以て、井伊い い、日米條約じょうやくに調印。家茂いえもち將軍しょうぐん繼嗣けいしとす。◯七月―尾張おわり慶勝よしかつ水戸み と齊昭なりあきばっす。イギリス・オランダ・ロシアとの條約じょうやくに調印す。家定いえさだこうず。◯九月―日佛にちふつ條約じょうやく調印。安政あんせいごく起る。◯十月―家茂いえもち將軍しょうぐん宣下せんげ

安政六年(二五一九年)

◯六月―ロシア・オランダ・フランス・アメリカ・イタリアと神奈川かながわ・長崎・函館はこだてで貿易せしむ。◯八月―幕府、慶喜よしのぶ齊昭なりあき慶篤よしあつらに謹愼きんしん蟄居ちっきょを命ず。安島あじま帶刀たてわき鵜飼うがい幸吉こうきちなど所刑しょけいさる。◯十月―らい三樹三郞みきさぶろう橋本はしもと左內さない吉田よしだ松陰しょういんなど刑死けいし

萬延まんえん元年(二五二〇年)

◯正月―安藤あんどう信正のぶまさ老中ろうじゅう就任。始めて西洋に使節派遣。◯三月―櫻田さくらだへん。十八日改元かいげん。◯うるう三月―久世く ぜ廣周ひろちか老中ろうじゅう就任。◯六月―ポルトガルと和親條約締結。◯八月―水戸み と齊昭なりあきこうず。慶喜よしのぶ春嶽しゅんがく容堂ようどうなどの謹愼きんしんを解く。◯十二月―プロシアと條約締結。

文久ぶんきゅう元年(二五二一年)

◯二月―十九日改元かいげん。◯四月―兩都りょうと兩港りょうこう開市かいしの延期を外國に告ぐ。◯五月―高輪たかなわ東禪寺とうぜんじへん。◯十二月―和宮かずのみや御降嫁ごこうか。使節を西洋に派遣す。

文久二年(二五二二年)

◯正月―坂下門さかしたもんへん。◯四月―島津しまづ久光ひさみつ入京にゅうきょう。◯五月―勅使ちょくし大原おおはら重德しげのり東下とうか。◯八月―生麥なまむぎへん

かくて文久ぶんきゅう三年・元治がんじ慶應けいおう年每としごとに上下は混亂こんらんうちき込まれた。

〔註二〕和宮御降嫁 和宮かずのみや御降嫁ごこうかは幕府が一刻も長く自己の生命を長く保たうとした最後の苦肉策で、老中ろうじゅう安藤あんどう信正のぶまさ久世く ぜ廣周ひろちかとが計畫けいかくしたのである。が、その最初の策謀さくぼう者は井伊い い直弼なおすけだとつたへられてゐる。當時とうじ和宮かずのみやは、のち維新いしんに於ける官軍かんぐんそう指揮にあたられた有栖川宮ありすがわのみや熾仁たるひと親王しんのうと御婚約があり、みや御自身も關東かんとう下向げこうを欲せられなかつたが、幕府の老中ろうじゅうは、有栖川宮ありすがわのみやけに直接交渉して、降嫁こうか拜辭はいじさせたてまつり、みや御生母ごせいぼにも手を𢌞はしてあらゆる方面から叡慮えいりょを動かす運動をした。それが遂に成功して、十年間に攘夷じょういを完全にするとのやくもとに於いて御降嫁ごこうか實現じつげんされた。かえりみれば幕府は安政あんせい五年には條約じょうやく勅許ちょっきょあおぐために、將來しょうらい必ず鎖國さこく邁進まいしんするむね奏上そうじょうし、今又十年間に攘夷じょういを決行するなどと心にもない事を述べて、天聽てんちょう欺罔ぎもうたてまつつた。當時とうじ、一部の浪士ろうしこれ憤慨ふんがいした如く、幕府は眼前がんぜんの無事をねがふのあまり、朝廷を輕視けいしする氣味き みまぬがれなかつた。當時とうじ二百五十年の太平の夢は破れ、歐米おうべい勢力に直面した幕府の無能が白日はくじつもとさらされ、討幕論とうばくろんが四方から沸騰ふっとうして、皇室に於て一大御決心を遊ばされた經過けいか本詔ほんしょうの上によくあらはれてゐる。

【大意謹述】おもふに、現在の世の有樣ありさは、外夷がいいいきおいつて我儘わがまま勝手な振舞ふるまいし、幕府の役人は、それらにたいする適當てきとうな手段を事每ことごとあやまつてゐる。その結果、國中くにじゅうがざはざはして落ちつかず、國民は水火中すいかちゅうにあると同樣どうようの苦しみにちつつある。ちんはこの世相せそうについてすこぶ心痛しんつうし、日本の統治者として、天をあおいでは皇室の御先祖ごせんぞたいして自分の無能をぢ、地にしては國民にたいし、責任をはたせないのを深くぢてゐる。折柄おりから幕府の役人は、奏上そうじょうするやう、「近頃國民が一致協力して事にあたらず、外夷がいいの侵入を打ちはらふのじつげることが出來ませぬのを殘念ざんねんぞんじます。皇妹こうまい和宮かずのみやさま將軍家しょうぐんけ御降嫁ごこうかあらせられる事を御許し下さるならば、朝廷・幕府の親睦しんぼくは一段と加はり、その上天下の全部が力をあわせて、外夷がいいの侵入を一そうすることが出來ようと思ひます」と。ちん外夷がいい打拂うちはらひたい一心から、幕府のふ所を許可したのである。この時、更に幕府は老中ろうじゅう全部署名した文書を差出し、「十年以內に誓つて外夷がいいを一人ものこらず、神國しんこくから退散させます」と奉告ほうこくした。ちんはその意氣い きを非常に滿足まんぞくに思ひ、誠心せいしんを以て神明しんめい祈禱きとうし、幕府の手で行はれる攘夷じょうい實現じつげんほうを一にちしゅうの思ひで待つてゐた。