32 群臣封祿を省約せんことを請へるに報ずるの勅 光孝天皇(第五十八代)

2群臣ぐんしん封祿ほうろく省約せいやくせんことをへるにほうずるのみことのり(仁和元年六月 三代實錄)

公卿去月八日論奏。以爲、節有陰陽、時無水旱。減撤服御、事非舊章。雖非舊章、下以從上。群臣封錄宜暫析留。嗟呼正朔循環、朕新按馳騖之轡。庫倉懸磬、朕已執齏舂之權。彼焦思之爲傷也、熱於爛石千里。沈憂之爲苦也、深於懷山九年。此而不愁亦復何事。至于天吏修良、地融齊整、皆是諸大夫之爕理。都非予一人之施爲。何故割祿封於有功、彌重朕過、補不足於无德、更失人心者乎。卿等能保微祿之入。朕獨將安菲衣之裹身。今之所請、拒而不聽。

【謹譯】公卿こうけい去月きょげつ論奏ろんそうす。以爲お もへらく、せつ陰陽いんようり、とき水旱すいかんし。服御ふくぎょ減撤げんてつするは、こと舊章きゅうしょうあらず。舊章きゅうしょうあらずといえどもしももっかみしたがふ。群臣ぐんしん封錄ほうろくよろしく析留せきりゅうすべしと。嗟呼あ あ正朔せいさく循環じゅんかんして、ちんあらたたに馳騖ち ぶくつわあんず。庫倉こそう懸磬けんけいして、ちんすで韲舂せいしょうけんる。おもいこがすのいたみすや、いし千里せんりただらすよりもあつく、沈憂ちんゆうくるしみすや、懷山かいざんの九ねんよりもふかし。れにしてうれへずんば、亦復またまたなにをかこととせん。天吏てんり修良しゅうりょう地融ちゆう齊整せいせいいたりては、みなしょ大夫たいふ爕理しょうりにして、すべにん施爲し いあらず。なんゆえにか祿俸ろくほう有功ゆうこうき、いよいちんあやまちかさね、不足ふそく无德むとくおぎなひて、さら人心じんしんうしなはんや。卿等けいら微祿びろくるをたもつ。ちんひと菲衣ひ いつつむにやすんぜん。いまところこばんでゆるさず。

【字句謹解】◯水旱 洪水と旱魃かんばつ ◯服御を減撤するは 光孝こうこう天皇儉約けんやくむねとして、中務省なかつかさしょうれいし、御服ぎょふくきぬ綿わたなどのすうを減ぜられた事 ◯舊章 過去の文獻ぶんけん ◯析留 削減の意 ◯正朔 歷數れきすうの義 ◯循環 めぐりめぐつて ◯馳騖 馬をはしらす事 ◯懸磬 一もつの見るべきものなき事 ◯韲舂の權 料理を調ととのへ米をうすづく事についての權利けんりすなわ臣民しんみんの生活を統御とうぎょするのけん ◯懷山 大洪水が山を包むこと。『書經しょきょう堯典ぎょうてんにある。〔註一〕參照 ◯天吏 天の命をほうずる官吏かんり天道てんどうを行ふ有德ゆうとくの人、すなわ王者おうしゃの事 ◯修良 よくをさめゆく事 ◯地融 國土こくどの事 ◯齊整 ととのへをさめる ◯爕理 やはらぎをさめる義 ◯施爲 し行ふこと ◯有功 功勞こうろうあるしん ◯菲衣 粗衣そ いに同じ。

〔註一〕懷山 帝堯ていぎょうの時、大洪水があつた。それを誰に治めさせようかと、四がく大臣だいじんに問ふと、大臣は「これを治めるものはただ伯鯀はくこんあるのみです」と切につた。が、ぎょうは、伯鯀はくこんの人物を信用せぬので、「駄目だ」とした。けれども一同からすすめるので、こんを任用して「つつしんで大洪水を治めるやうに」とつたが、九年の月日を經過けいかしたにかかわらず、これを治めることが出來なかつた。懷山かいざんの九年とはその事を指すのである。

【大意謹述】去月きょげつ八日、公卿こうけいらがちん封祿ほうろく省約せいやくせん事を上奏じょうそうした。その趣旨は「現在季節に陰陽いんようの調和があり、時候じこうに洪水、旱魃かんばつなどがございませぬ。ところが陛下がかうした際にあたり、平生へいぜい御召物おめしものかずを減ぜられました事は過去の文獻ぶんけんあまり見えぬやうに存じますが、たとひ見えずとも、しもにゐるものは、かみたま御旨おむねしたがふのが當然とうぜんでございます。つてわたくしらの封祿ほうろく省約せいやくなさいますやう御願おねがい申上もうしあげます」とふにある。嗚呼あ あ歳月さいげつがめぐりめぐつて、ちんあらたに帝位ていいに就き、天下を治める事となつたが、國庫こっこぶつに近いのを知つた。ちんすで統御とうぎょの地位にする以上、これままにしては置けない。如何い かにして國富こくふすべきか。この事について、ちんが思ひをこがし、胸を痛めてゐることは、丁度ちょうど、石を千里の長い間にただらせるにまさり、その深くうれふるてんは、丁度ちょうど支那し な帝堯ていぎょうの時代に九年つても治め得なかつた大洪水のそれよりもはなはだしいものがある。これを憂慮ゆうりょしないで、一たい何を憂慮ゆうりょしようぞ。思ふに、財政の缺陷けっかんおぎなふことを始め、およ王者おうしゃの事業をよくし、國家こっかを整へ治めゆくことに至つては、皆これ諸大臣の手腕にたねばならぬ。それはちん一人の力の到底とうてい及ぶところではない。したがつて、何の理由を以て、功勞こうろうある臣下しんか俸給ほうろくを減ずることが出來よう。それは到底とうていちんすに忍びない所である。左樣そ うした失德しっとくの事をして、經濟けいざいの不足をおぎなひ、人心じんしん離反りはんせしむるのは、ちんだんじてし得ぬわざだ。汝等なんじら臣下しんかみなわずかばかりの俸祿ほうろく滿足まんぞくしてゐるのだから、ちんまた粗衣そ い著用ちゃくようして滿足まんぞくしたいと思ふ。つて今封祿ほうろくを減ぜられよとのねが聽許ちょうきょせぬ事に決した。

【備考】光孝こうこう天皇は、英明えいめい御資質ごししつを以て皇位こうい繼承けいしょうせられ、銳意えいいはかられた。當時とうじ、財政難がはなはだしかつたので、このてんを改革し、政府の財政を整へると共に國富こくふ增進ぞうしんの一にとこころざされたのである。天皇叡旨えいしは、たちまち政府の官吏かんりをして感激せしめた。つて彼等は、みずから進んで、その俸給ほうきゅうの減額を申出もうしでた。それにたいして、天皇臣下しんか至情しじょうとせられたが、平生へいぜい勤勞きんろう思召おぼしめされ、「それには及ばぬ」と寬大かんだいのおむね本勅ほんちょくに示されたのである。これ政治上の一佳話か わとして、いかにも奥ゆかしい心持ちがする。要するに、光孝こうこう天皇德治とくち主義が、おのづから、公卿こうけいらを薰化くんかされたものと拜察はいさつるのである。