24 和氣王の謀反に就て下し給へる宣命 稱德天皇(第四十八代)

和氣わ けおう謀反むほんついくだたまへる宣命せんみょう天平神護元年八月 續日本紀

今和氣、先奈良麻呂謀反事起仁方仲麻呂忠臣止之天。然後逆心、朝庭動傾止之天、兵、和氣在。此官位昇賜治賜。可久方阿禮止毛仲麻呂和氣仁方猶逆心以家利。復己先靈祈願弊流流仁、云良久、己念求乎之成給天波、尊靈子孫遠流乎方京都召上无止。復己怨男女二人在、此殺賜弊止在。是書流仁、謀反阿利止方。是以乃末仁末仁治賜宣。

【謹譯】いま和氣わ けりたまはく、さき奈良麻呂な ら ま ろたち謀反むほんことおこりてありしときには、仲麻呂なかまろただしきおみとしてはべりつ。さてのちきたなこころをもちて、朝庭みかどうごかしかたむけむとして、いくさそなふるときに、和氣わ けもうしてあり。これによりて官位つかさくらいげたまひおさめたまひつ。かくはあれども仲麻呂なかまろ和氣わ けのちにはなほきたなこころもちてありけり。またおのおやみたまねがへるふみるに、ひてあらく、おのこころおももとむることをしたまひてば、とうとみたま子孫こどもとおはぶりてあるをば京都みやこめしげておみとなさむとへり。またおのあだおのこおみな二人ふたりあり、こをころたまへとひてあり。このふみるに謀反むほんこころありとはあきらかにつ。ここのりのまにまにおさめたまふとりたまふ。

【字句謹解】◯和氣 舍人とねり親王の孫で御原王みはらおうの子である ◯奈良麻呂 橘奈良麻呂たちばなのならまろのことである。〔註一〕參照 ◯仲麻呂 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろのこと。〔註二〕參照 ◯忠しき臣 朝廷に忠義ちゅうぎつく謀反人むほんにんを討つた人 ◯逆き心 反逆の心 ◯和氣い申してあり 和氣王わけおうは朝廷の命を奉じて、仲麻呂なかまろ謀反むほんを告げまつつた ◯云ひてあらく そのうちつてあるとの意。あらくはあるの延言えんげん ◯己が心に思ひ求むる事 皇太子の地位を望んでゐた和氣王わけおうが、自分のこころざしが通じて儲位ちょいに立つたならばの意 ◯尊き靈の子孫 舍人とねり親王しんのう御子み この意。そのうち船王ふなおう隱岐お きに、池田王いけだおう土佐と さに流されてゐられた ◯流りて はなる ◯ 朝廷近くに奉仕するしんのこと ◯己が怨男女二人 孝謙こうけん天皇道鏡どうきょうのことを申したのであらうとはれてゐる。

〔註一〕奈良麻呂 橘奈良麻呂たちばなのならまろ諸兄もろえの子である。天平てんぴょうちゅうじゅになつたのを初めとして累進るいしんし、天平てんぴょう寶字ほうじ元年にはしょう左大辨さだいべんとなつたが、當時とうじ天皇御寵愛ごちょうあいあつい藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ(惠美押勝)をのぞかうとして、廢太子はいたいし道祖王ふなどのおう、及び鹽燒王しおやきおう安宿王あすかおう黄文王きぶみおう小野東人おののあずまびと大伴古麻呂おおとものこまろなどとはかり、押勝おしかつを殺し廢立はいりゅうを行はうとして失敗した上、ちゅうふくした。

〔註二〕仲麻呂 仲麻呂なかまろ武知麻呂む ち ま ろの二で、孝謙こうけん天皇御寵愛ごちょうあいを受け、女婿じょせいである大炊王おおいおう冊立さくりつし、のちちょう道鏡どうきょうに奪はれて謀反むほんした次第は、『軍事外交篇』にいた。當時とうじ道祖王ふなどのおう廢後はいご、皇太子がましまさなかつた。和氣王わけおうがそれを望んだが達成されぬと知つて、粟田道麻呂あわだのみちまろ大津大浦おおつのおおうら石川長年いしかわのながとしらと謀反むほんし、露見ろけん後、和氣王わけおう伊豆い ずに流される途中で絞殺された。その他の人々もちゅうふくしたのである。その時分道麻呂みちまろ參議さんぎ近衞このえ中將ちゅうじょう勅旨ちょくし式部しきぶりょう大輔たいふであり、大浦おおうら兵部ひょうぶ大輔たいふ長年ながとし(或は永年)は式部しきぶ少輔しょうふである。これも反道鏡どうきょう運動の一つとして考へられよう。

〔注意〕本詔ほんしょう關係かんけいを持つものとして、

(一)親王ふねしんのう池田いけだ親王しんのうながたまふの宣命せんみょう天平寶字八年十月、續日本紀)(二)粟田道麻呂あわだのみちまろに下し給へる宣命天平神護元年八月、續日本紀)がある。

【大意謹述】ここにちん和氣わ けに向つて次の事をつたへる。以前橘奈良麻呂たちばなのならまろなどが皇室に謀反むほんした際には、藤原仲麻呂ふじわらのなかまろは朝廷に忠誠ちゅうせいつくしんとしてよく働いた。そののち仲麻呂なかまろが反逆心をいだいて皇室を傾けようと兵を働かした時、和氣王わけおうは第一番にちんにそれを告げた。ちんはそのこうしょうして地位をあげ厚遇こうぐうしたのである。仲麻呂なかまろ和氣王わけおう兩人りょうにんは最初はそれぞれ朝廷にこうを立て、のちには反逆をはかつた。又、ちん和氣王わけおうが自己の祖先そせんれいいのつたしょを見る機會きかいを得たが、その書のうちには「し自分が兼ねてから望んでゐる皇太子の地位に就いたならば、現在流罪るざいにある舍人とねり親王しんのうの子の船王ふねおう池田王いけだおう京師けいしかえして、再び朝廷近く奉仕するしんとする」ともあり、更に「自分が平常ふだんからうらんでゐる男女二人がある。この二人の男女の生命をつやうに願ふ」とも書いてあつた。この書を見れば、謀反むほんの心をいだいてゐたことを誰も疑はない。ゆえちん國法こくほうの命ずるままにこれ處分しょぶんする。以上天皇おおせである。