22 新錢を行ふの勅 淳仁天皇(第四十七代)

新錢しんせんおこなふのみことのり天平寶字四年三月 續日本紀

錢之爲用、行之已久。公私要便、莫甚於斯。頃者私鑄稍多、僞濫旣半。頓將禁斷、恐有騒擾。宜造新樣、與舊竝行。庶使無損於民、有益於國。其新錢文曰、萬年通寶、以一當舊錢之十。銀錢文曰、太平元寶、以一當新錢之十。金錢文曰、開基勝寶、以一當銀錢之十。

【謹譯】ぜにようたる、これおこなふことすでひさし。公私こうし要便ようべんこれよりはなはだしきはなし。頃者このごろ私鑄しちゅうはなはおおく、僞濫ぎらんすでなかばす。とみまさ禁斷きんだんせんとすれば、おそらくは騒擾そうじょうあらん。よろしく新樣しんようつくり、きゅうともならおこなふべし。ねがわくばたみそんなくして、くにえきあらしめん。新錢しんせんぶんいわく、萬年まんねん通寶つうほう、一をもっ舊錢きゅうせんの十にあたるべし。銀錢ぎんせんぶんいわく、太平たいへい元寶げんぽう、一をもっ新錢しんせんの十にあたるべし。金錢きんせんぶんいわく、開基かいき勝寶しょうほう、一をもっ銀錢ぎんせんの十にあたるべし。

【字句謹解】◯之を行ふこと已に久し 我が國に於いて銅錢どうせん和銅わどう年間に行はれたことは、すでに『蓄錢ちくせんみことのり』(元明天皇和銅四年十月)に於いて說明せつめいした ◯公私の要便 ぜにが出來て流通させることにり、公私のりょう方面で非常に手數てすうがはぶけて便利になつた意 ◯僞濫 ぜに僞物にせもの ◯旣に半ばす 現在世上せじょうに流通してゐるぜにの約半數はんすう私鑄しちゅう僞物にせものである ◯頓に 一に全部を禁止すればの意 ◯騒擾あらん 大騒ぎとなるであらう ◯新樣を造り 新鑄錢しんちゅうせんを造ること ◯新錢の文 新鑄錢しんちゅうせんの表面に書く文字。

【大意謹述】我が國に於いてぜにを交換の媒介物ばいかいぶつとして使用したのは、現在から大分だいぶ以前の和銅わどう年間で、その後繼續けいぞくして行はれてゐる。公用にも私用にも、ぜにほど萬事ばんじ便益べんえきのあるものはないであらう。しかるに近頃では勝手に民間でぜに僞造ぎぞうする者が多くなつて、現在天下に流通してゐるぜにの約半數はんすうはこの種のものであるやうな傾向を見せてゐる。その不可を論じて一きょ僞造錢ぎぞうせんの流通を禁止するならば、國民はこの上もなく騒ぎみだれるであらうとは容易に想像が出來る。ゆえに今ここに新錢しんせんちゅうして舊錢きゅうせんと共に流通させれば、國民に損失をけることなく、國家にとつても利益りえきであるに相違そういない。今囘こんかい鑄造ちゅうぞうするのは銅・金・銀の三種である。銅の新錢しんせんには表面に萬年まんねん通寶つうほうと記し、この一舊錢きゅうせんの十箇とを等しい價値か ち取扱とりあつかふ。銀錢ぎんせん太平たいへい元寶げんぽうといひ、この一箇と新銅錢しんどうせんの十箇と相當そうとうさせる。又、金錢きんせん開基かいき勝寶しょうほうといひ、その一箇と新銀錢しんぎんせんの十箇と同じ度合に價値か ちある事とする。

【備考】當時とうじ、政府は金錢きんせん及び銀錢ぎんせんの製造をしたが、その鑄造額ちゅうぞうがく極めて少く、十分、世上せじょうに流通しないで終つた。爾後じ ご平安時代に至ると、政府は金錢きんせん銀錢ぎんせん發行はっこう計畫けいかくをしないで、往々おうおう砂金しゃきんつて、ある特殊の支拂しはらい充當じゅうとうしたのである。

 けだし藤原政治の結果、政府の威權いけん失墜しっついしたことにもよるが、一つは、錢貨せんかたいする切實せつじつな需要が起らないめにもよる。かうして稻米とうまいなどの物品貨幣が勢力を占め、錢貨せんかの流通は、ただ一部分に限られてしまつた。したがつて貨幣の流通は、鎌倉時代るに及んで、ようや擴張かくちょうされ、室町時代には、銅錢どうせんの流通がさかんになつてた。貨幣流通が正しく一般に行はれたのは、室町末期のことである。勿論もちろん、それも銅錢どうせんしゅで、支那し な鑄造ちゅうぞうしたものが多く行はれたが、金銀貨幣はあまり用ひられなかつた。そしてそれは、秤量しょうりょう貨幣として用ひたにとどまつた。

 以上、金貨は一定の形を有する貨幣として鑄造ちゅうぞうせられないで、砂金しゃきんを紙又は袋に包み、一つつみりょうつて用ひた。それは平安から鎌倉時代にかけての現𧰼げんしょうである。室町時代ると、金塊きんかい延金のべがねを用ひ、安土桃山時代に至るに及び、有力な大名はみずから金貨を鑄造ちゅうぞうして用ひるやうになつた。織田お だ信長のぶながが造つた大判金おおばんきん武田たけだ信玄しんげんが作つた甲州こうしゅうきんの如きはその實例じつれいである。

 次ぎに銀貨は、鎌倉時代南鐐なんりょう南延なんえんしょうせられ、銀塊ぎんかいとして用ひた。それが室町時代になると、一定の形を備へたものとして鑄造ちゅうぞうされたのである。銅貨は一たい外國錢がいこくせんを用ひた例が多い。最初は流通しなかつたが、奈良時代の末から流通しはじめた。鎌倉時代に至ると、宋錢そうせん續々ぞくぞく輸入ゆにゅうせられて、物價ぶっか平準へいじゅんみだしたこともある。室町時代には、支那し な明錢みんせんが多く流入し、そのうちで、永樂錢えいらくせんが一番よく行はれた。その私鑄錢しちゅうせんが行はれて、往々おうおう惡錢あくせん跋扈ばっこしたのである。それから紙幣は、後醍醐ごだいご天皇建武けんむ中興ちゅうこうの時代に始めて作られたといふ傳說でんせつがある。が、當時とうじ乾坤けんこん通寶つうほうといふ貨幣と同樣どうよう計畫けいかくだけに終つたらしい。紙幣が行はれ始めたのは室町末期のことで、伊勢い せ山田やまだに於ける羽書はかきの如きは、その一例だとされてゐる。ほ近世の事は、ここに述べないで置く。