21-5 皇太子を廢するの勅 孝謙天皇(第四十六代)

皇太子こうたいしはいするのみことのり(第五段)(天平寶字元年四月 續日本紀

古者治民安國、必以孝理。百行之本、莫先於茲。宜令天下、家藏孝經一本、精勤誦習、倍加敎授。百姓間有孝行通人、郷閭欽仰者、宜令所由長官、具以名薦。其有不孝不恭不友不順者、宜配陸奥國桃生、出羽國小勝、以淸風俗、亦捍邊防。別有高臥穎川、遁跡箕山者、宜爲朕代之巢許、以禮巡問、放令養性。

【謹譯】古者いにしえたみおさくにやすんずるは、かならこうもってす。百こうもとこれよりさきなるはなし。よろしく天下てんかいえごとに孝經こうきょうぽんぞうし、精勤せいきん誦習しょうしゅうますます敎授きょうじゅくわへしむべし。百せいあいだ孝行こうこう通人つうじんありて、郷閭きょうりょ欽仰きんこうするものは、よろしく所由しょゆ長官ちょうかんをして、つぶさもっすすめしむべし。不孝ふこう 不恭ふきょう不友ふゆう不順ふじゅんなるものあらば、よろしく陸奥むつのくに桃生もも出羽國でわのくに小勝こかちはいし、もっ風俗ふうぞくきよめ、また邊防へんぼうふせがしむべし。べつたか頴川えいせんし、あと箕山きざんのがるるものあらば、よろしくちん巢許そうきょとなし、れいもっ巡問じゅんもんし、はなつてせいやしなはしむべし。

【字句謹解】◯百行の本 孝行こうこうのことを意味する。孝行こうこうは人間の行ふすべての行爲こういの根本となるものの意で、『孝經こうきょう』から借りた句 ◯孝經 孔子こうし曾子そうしとがこうを論じて門人もんじんがそれを筆記した一卷本かんぼんである ◯精勤誦習 せい出してまなび常々から身から離さないで暇あるごと音誦おんしょうする事 ◯通人 事物によく通じた人 ◯郷閭の欽仰するもの 郷里きょうりの人々から尊敬を受けてゐる者、りょは村里の入口の意である ◯所由の長官 その地方の郡領ぐんりょうあるい國司こくしを意味する ◯具に名を以て薦め 詳細にその名をしるして名譽めいよを表彰する意で、村內そんない孝行者こうこうしゃあるい學者がくしゃを村の入口の立札たてふだに記して一同に知らせる ◯不恭 長者ちょうじゃむかれいのない者 ◯不友 近親と親しみむつまじくすることを知らない者 ◯不順 目上の者のげんを守らない者 ◯陸奥國の桃生 當時とうじ皇室の威勢いせいの及ぶ範圍はんい極點きょくてんで、次にある出羽國でわのくに小勝こかちと共に蝦夷え ぞと境を接してゐた地點ちてんである ◯配し その地點ちてんに流し送ること ◯風俗を淸め 郷里の風俗をみだす者を一そうして、美しくきよくする意 ◯邊防を捍がしむべし 國境こっきょう警備の任にかせる ◯高く頴川に臥し 世をだっして頴川えいせんきよい生活を送る者の意、これは支那し な巢父そうふのこと ◯跡を箕山に遁るる者 この世の不純さからのがれて箕山きざんかくれ、世の交際をつた者、これは支那し な許由きょゆうのことをいつた ◯朕の代の巢許 ちん高潔こうけつのことで、巢許そうきょとは巢父そうふ許由きょゆうのこと。〔註一〕參照 ◯巡問 一おうはその理由をふこと ◯性を養ふ 人間の本性ほんせいやしなふ。

〔註一〕巢父・許由 巢父そうふぎょうの時代の隱者いんじゃで、ぎょうが天下をゆずらうとした時に、「そんな俗事ぞくじを聞いて、耳がけがれた」と、頴川えいせんで耳を洗つたとの故事こ じがある。支那し なの『高士傳こうしでん』には「巢父そうふぎょうの時の隱人いんじんなり。山居さんきょして世利せいりいとなまず。を以てとなし、の上にかくる。ゆえ時人じじんごうして巢父そうふといふ」とある。許由きょゆうも同じくぎょう時代の隱者いんじゃで、ぎょうが天下をゆずらうとしたのを拒絕きょぜつして箕山きざんかくれたとつたへられてゐる。同じく『高士傳こうしでん』には、「許由きょゆう箕山きざんかくる。手を以て水をささげてこれまんとす。人、一ぴょうのこして、以て取りむことを得たり。おわりて樹上じゅじょうく。風吹いて歷々れきれきとしてこえす。ほ以てわずらわしとなし、ついこれを去る」とある。共に世間的な利害を心にしないで、本性ほんせいの命ずるがままの生活をいとなんだ。

【大意謹述】いにしえでは、國民を理想的に治め、國家を平安にするために、必ず孝行こうこうを根本とした。『孝經こうきょう』にもある通り、孝行こうこうすべての人間の行爲こういの根本となるもので、治國ちこく平天下へいてんかに於いてこれ以上に大切な事はない。ゆえちんもこのしたがひ、天下いたところ家每いえごとに『孝經こうきょう』を一かんづつ備へさせ、常々せい出してみ、暇あるごと音讀おんどくさせ、熱心に敎授きょうじゅするがよろしいと思ふ。國民の間に、孝行こうこうな者、諸種しょしゅの道理に達した者があつて、その郷里の人々の尊敬の中心となつてれば、その地方を支配する長官は、詳細にその名を村の入口に記して、の人々の模範とさせなければならない。又、その反對はんたい不孝ふこうな者・を尊敬するのを知らない者・近親とむつまじくしない者・目上の命に服しない者があれば、早速陸奥むつのくに桃生もも出羽國でわのくに小勝こかちに送り、一方に於いて郷里の惡風あくふうを一そうすると共に他方では、國境こっきょうの警備に役立てるがよい。更にいにしえ支那し なぎょう時代の隱士いんししょうせられ、頴川えいせん附邊あたりに住んだといはれる巢父そうふ箕山きざんつて世をのがれたといはれる許由きょゆうのやうに、一切の世間的な名譽めいよ度外視どがいしして、ひと高潔こうけつを保つ者があるならば、ちんの時代の巢父そうふ許由きょゆうとして禮儀れいぎ正しく一度その理由を問うたのちに、自由に放つて、その人間としての本性ほんせいを高く養はせることが大切である。

【備考】『孝經こうきょう』を重んぜられたことについては、『道德どうとく敎育きょういく篇』の中でもいて置いた。本勅ほんちょくによると、佛敎ぶっきょう以外、儒敎じゅきょう思想が、次第に勢力を占めてゐたことが分明わ かる。支那し な隱者いんじゃを尊敬されたことは、いくらか老莊ろうそう思想の滲透しんとうした意味を示すのではなからうかと思ふ。『孝經こうきょう』は支那し なで作られたが、その實質じっしつをよく生かしたのは日本にっぽん國民こくみんであつた。老莊ろうそう思想は、『孝經こうきょう』ほどに、また一般儒敎じゅきょうほどに、日本にっぽんにおいて勢力を得ない。支那し な流の隱者いんじゃが極少かつたこともその一例として考へられる。