20-5 皇后を立つるの宣命 聖武天皇(第四十五代)

皇后こうごうつるの宣命せんみょう(第五段)(天平元年八月 續日本紀

朕時乃未爾波不有。難波高津宮御宇所知大鷦鷯天皇、葛城曾豆比古女子伊波乃比賣命皇后御相坐而、⻝國天下之政治賜行賜家利。今米豆良可政者不有、本由利行來迹事曾止詔勅聞宣。

【謹譯】しかときのみにはあらず。難波なにわ高津たかつみやあめしたろしめしし大鷦鷯おおささぎ天皇すめらみこと葛城かつらぎ曾豆比古そ つ ひ こ女子むすめ伊波乃い わ の比賣皇后ひめのおおきさきあいまして、⻝國おすくにあめしたまつりごとおさめたまひおこなひたまひけり。いまめづらかにあたらしきまつりごとにはあらず、もとゆりおこな迹事あとごとぞとりたまふ詔勅おおみこときこしめさへとる。

【字句謹解】◯朕が時のみにはあらず 臣下しんかむすめ皇后こうごう冊立さくりつするのはちんの時に始まつたのではないとの意 ◯難波の高津の宮に天の下知ろしめしし大鷦鷯の天皇 仁德にんとく天皇を申したてまつる。〔註一〕參照 ◯御相まして 婚儀を結ぶこと ◯⻝國 御支配の土地 ◯めづらかに 珍らしいことで、前例のない意 ◯新しき政 最初のことといふ程の意 ◯もとゆり行ひ來し迹事 ふるくからある例にしたがつておこなつたこと。

〔註一〕難波の高津の宮云々 『仁德紀にんとくき』元年には「難波なにわみやこつくる。これ高津宮たかつのみやふ」とあり、『神皇じんのう正統記しょうとうき』の履中りちゅう天皇くだりには「履中りちゅう天皇仁德にんとく太子たいし御母おんはは磐之姬命いわのひめのみこと葛城襲津彥かつらぎのそつひこむすめなり」と見える。この葛城かつらぎ曾豆比古そ つ ひ ことは武內宿禰たけのうちのすくねの第八である。

【大意謹述】臣下しんかから皇后こうごう冊立さくりつするのは、何もちんが最初の例をつくるのではない。難波なにわ高津宮たかつのみやに於いて天下を御統治ごとうちあそばされた仁德にんとく天皇は、臣下しんかである武內宿禰たけのうちのすくねの第八あた葛城かつらぎ曾豆比古そ つ ひ こむすめ伊波乃比賣い わ の ひ めを皇后に冊立さくりつし、御支配國ごしはいこくである我が日本にっぽんの政治を行はれたことがあられるので、決して今に始まつた珍らしい事でもなく前例のない事でもなく、ふるくからある例につて行はれたものである。以上、天皇おおせられる御詞おことばを、理解されるやうにと申し上げる。

【備考】藤原氏が政治上の勢力獨占どくせんしたについては、いろいろの原因・理由がある。そのうちの一つは自派じ はから皇后を進めまゐらす事だつた。勿論もちろん、この事はまだ最初であるが、爾後じ ご自派じ はで、この方面を獨占どくせんする政策をり、全力を傾倒けいとうした姿だつた。彼等の多くは、善政ぜんせいすに熱心であるよりも、自派じ は勢力けてゆくことに熱心だつた。したがつて、その政治上に於ける勢力擴大かくだいに反比例して、よき政治をした場合がすくない。その政爭せいそう陰險いんけんとなり、女性的となつたのは、これがためである。それは藤原氏のためにしむべき事だつた。