20-1 皇后を立つるの宣命 聖武天皇(第四十五代)

皇后こうごうつるの宣命せんみょう(第一段)(天平元年八月 續日本紀

天皇大命良麻止親王等又汝王臣等語賜幣止、皇朕高御座坐初由利、今年麻弖、六年。此嗣坐倍伎、皇太子侍。由是其婆婆藤原夫人、皇后定賜。

【謹譯】天皇すめら大命おおみことらまと、親王み こたち、また汝王いましおおきみたち、おみたちにかたらひたまへとりたまはく、皇朕すめらわが高御座たかみくらいましそめしゆり、今年ことしいたるまで六年むとせになりぬ。あいだあまくらいぎますべきつぎてとして皇太子ひつぎのみこはべりつ。これりてははとゐます藤原夫人ふじわらのきさき皇后おおきさきさだめたまふ。

【字句謹解】◯らまと 確かに申し上げると念をおした御詞おことばである ◯皇朕高御座に坐しそめしゆり 高御座たかみくら天皇御座ぎょざの意で皇位こういをいふ。ゆりは動作の出發點しゅっぱつてんを示す「ゆ」に「り」のうたもので、よりと同じ。つまりちん皇位こういいて以來いらいといふことになる ◯六年になりぬ 聖武しょうむ天皇御卽位ごそくいの時に神龜しんき改元かいげんし、それは五年間つづいて天平てんぴょうとなつたのだから六年目にあたる ◯次として 次代じだい天皇として ◯藤原夫人 光明こうみょう皇后こうごう御事おんこと皇后不比等ふ ひ とむすめであることが後文こうぶん拜見はいけんさる。

〔注意〕聖武しょうむ天皇天平てんぴょう元年八月十日にしょう藤原ふじわら夫人ふじんを皇后に冊立さくりつするみことのりがあり、同二十四日に五の人々及び諸司しょしの長官を內裏だいりして、太政官ちだじょうかんじぽん舍人とねり親王しんのうつて本詔ほんしょうくだつたのである事は『日本紀しょくにほんぎまきの十に見える。

 宣命ほんせんみょう藤原氏ふじわらしの最初の皇后として、のちに皇后を五攝家せっけに限り、藤原一門が宮中に於いて、特に後宮こうきゅう方面に絕對ぜったい勢力を得たものとして、我が內政上ないせいじょう看過かんか出來ないてんがある。宣命ほんせんみょう後文こうぶんにもはいするやうに、臣下しんかから出た皇后はこれが最初ではない。仁德にんとく天皇以來の例であるが、仁德にんとく天皇詔勅しょうちょくつたはらない以上、文獻ぶんけんとしてこれが最初の例といへるてんからも價値か ちがある。

【大意謹述】天皇御詞みことばとして確かにふことを、今この場に集合した諸親王しんのう及び汝等なんじら王臣おうしんたちに理解させるやうにとの叡慮えいりょほうじて、次のことを方々かたがたにおつたへする。ちん皇位こういいで以來いらい、今年に至るまですでに六年の月日をた。この六年の間に、皇位こういいで、次代じだい天皇となる皇太子も出來た。ゆえにその生みの母たる藤原ふじわら夫人ふじんを、ここに皇后の地位にけることにした。