16 遷都に當つて調租を免ずるの詔 元明天皇(第四十三代)

遷都せんとあたつて調租ちょうそめんずるのみことのり和銅二年十月 續日本紀

比者遷都易邑、搖動百姓。雖加鎭撫、未能安堵。每念於此、朕甚愍焉。宜當年調 租、竝悉免之。

【謹譯】比者さきごろみやこうつむらへ、百せい搖動ようどうす。鎭撫ちんぶくわふといえども、いま安堵あんどせず。おもごとに、ちんはなはあわれむ。よろしく當年とうねん調租ちょうそならびことごとこれめんずべし。

【字句謹解】◯比者 和銅わどう元年二月の『遷都せんとみことのり』を指すが、事實じじつ奈良に都をうつされたのは四年三月だとのせつがある ◯都を遷し 平城へいじょう(奈良)へ遷都せんとの事、こののち桓武かんむ天皇に至るまで七十年間つづいた ◯邑を易へ 村里をへる ◯百姓搖動す 一般國民が不安となつて落つかない ◯鎭撫を加ふ 人心の不安を除かうとして種々しゅじゅの手段をめぐらす ◯安堵 心が平安になること ◯甚だ愍む 國民にたいして同情にたへない意 ◯當年 本年の意。

〔注意〕遷都せんとに就いて人心じんしん不安を生じたといふのは、たん今日こんにちから考へられる如く、皇都こうとの住民が政治經濟けいざい上に不安を感じたことではなく、諸國から右について課役かえきのために上京する人々、及びその期限などについて不安を感じた方がおもだつた。

 遷都せんと關係かんけいある詔勅しょうちょくとして、(一)容隱よういん逃亡を禁ずるの制(和銅二年十月、續日本紀)(二)造都ぞうと役民えきみん奔亡ほんぼうかんし下し給へるみことのり和銅四年九月、續日本紀)(三)役民えきみん賑恤しんじゅつするみことのり和銅五年正月、續日本紀)などが出てゐる。

 役民えきみんかんし下したまはつた御仁慈ごじんじに就いては、本詔ほんしょうを除き、(四)民をあわれむのみことのり和銅四年十一月、續日本紀)(五)恩赦おんしゃみことのり和銅五年九月、續日本紀)(六)出擧稻すいこのいね免除めんじょするのみことのり和銅六年九月、續日本紀)(七)恩赦おんしゃみことのり(靈龜元年正月、續日本紀)などがある。

【大意謹述】先年せんねんちんが奈良へ都をうつすの意あるよしを天下に發表はっぴょうして、これ實行じっこう著手ちゃくしゅし村里をへるとなると、諸國民は課役かえき日數にっすうがこの上多くなるのであらうかとすこぶる不安に思ふらしく、種々しゅじゅの手段でそれを取鎭とりしずめようとしても、未だ全く安心したやうに見えない。ちんはこのてんを考へるごとに、民にたいして同情の念に堪へぬ。ゆえ今囘こんかい、本年の調ちょうとを共に全免ぜんめんすることにした。

【備考】奈良へ都をうつされたことは、當時とうじ必要くべからざるためであつた。けだし文化次第に向上して、經濟けいざい生活もまた進み、一切が著しく整頓して來た時代にあたつて、王臣おうしんの家は非常に增加ぞうかし、皇居もまた手狹てぜまなることを痛感さるるに至つた。すなわ王者おうしゃ威容いようを整へ、政治の規模を張るには、いきおひ奈良へ都を移すことの必要がおおいに起つたのである。このてんについて、民衆が早く理解するやう、諭達ゆたつせられたが、一般にまだ無智む ちに近いものが多いので、以上のむねを理解せず、課役かえきなどについて不安の思ひをいだいたのである。それも一つは、民衆の生活苦せいかつくにもとづいたのであらう。したがつて、天皇は、その事情を察せられ、租稅そぜいめんずることとせられた。ここに皇室のあたたかい慈仁じにん精神せいしん流露りゅうろし、一部民衆の不安も、解消したにちがひない。