10-4 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第四段)(大化二年三月 日本書紀

其紀麻利耆拖臣所犯者、使人於朝倉君、井上君二人之所、而爲牽來其馬視之。復使朝倉君作刀、復得朝倉君之弓布。復以國造所送兵代之物、不明還主、妄傳國造。復於所任之國被他偷刀。復於倭國被他偷刀。是其紀臣、其介三輪君大口、河邊臣百依等過也。其以下官人、河邊臣磯泊、丹比深目、百舌鳥長兄、葛城福草、難波癬龜、犬養五十君、伊岐史麻呂、丹比犬眼、凡是八人等、咸有過也。

【謹譯】紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみおかところは、ひと朝倉君あさくらのきみ井上君いのうえのきみにんもと使つかはして、めにうまきたりてる。朝倉君あさくらのきみをしてかたなつくらしめ、朝倉君あさくらのきみゆみぬのたり。國造くにのみやつこおくところ兵代つわものしろものもって、あきらかにしゅかえさず、みだりに國造くにのみやつこつたふ。にんずるところくにいてひとかたなぬすまれぬ。倭國やまとのくにいてひとかたなぬすまれぬ。これ紀臣きのおみすけ三輪君みわのくみ大口おおぐち河邊臣かわべのおみ百依ももよりとがなり。以下い か官人かんじん河邊臣かわべのおみ磯泊しはつ丹比深目たじひのふかめ百舌鳥も ず の長兄ながえ葛城福草かつらぎのさきくさ難波癬龜なにわのくいがめ犬養五十君いぬかいのいきみ伊岐史麻呂いきのふひとまろ丹比犬眼たじひのいぬめすべの八にんとがあり。

【字句謹解】◯紀麻利耆拖臣 うじで、麻利耆拖ま り き たは名である。系統は不明 ◯朝倉君 『聖武しょうむき』の天平てんぴょう九年二月のくだり位下いのげを授けられたよしが見え、『萬葉集まんようしゅうまき二十に上野防人こうずけのさきもりとして朝倉あさくら益人ますひとの名があり、『桓武かんむき』の延曆えんりゃく六年十二月に朝倉公あさくらのきみ家長いえながの名があるが、この朝倉君あさくらのきみとどれ程の關係かんけいがあるかは不明 ◯井上君 この人も系統不明 ◯兵代の物 兵器の事、各地方の兵器の所有者が國造くにのみやつこに保管を依賴いらいして置いた兵器を、自己の一存で國造くにのみやつこの所有とさせた意 ◯他に刀を偷まれぬ 刀とは官刀かんとうのことであらう ◯三輪君大口 でんつまびらかでない ◯河邊臣百依 これも不明 ◯河邊臣磯泊 系統不明 ◯丹比深目 丹比たじひうじ深目ふかめは名で、丹比たじひ火明命ほあかりのみことだとしょうされてゐる ◯百舌鳥長兄 百舌鳥も ずうじで、土師はにしの一族 ◯葛城福草 でんは不明 ◯難波癬龜 難波なにわ大彥命おおひこのみことまでさかのぼることが出來る。癬龜くいがめとは小さい錢龜ぜにがめのことであらうと『通釋つうしゃく』につてゐる ◯犬養五十君 『天武紀てんむき』には犬養連いぬかいのむらじ五十君い き みとあるから、のちせいたまはつたのらしい。犬養いぬかい神魂命かみたまのみこと十九世の孫の田根連たねのむらじのちだといはれる ◯伊岐史麻呂 でんは不明 ◯丹比犬眼 犬眼いぬめに就いては一ぽんには大眼おおめとある。

【大意謹述】次に紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみが犯した罪は、朝倉君あさくらのきみ井上君いのうえのきみの二人のもとに人をつかわして、自分の地位を利用して、その所有する馬を勝手に引き出し、所有してしまつた。その上朝倉君あさくらのきみ官刀かんとうを作らせたこともあり、同じく朝倉君あさくらのきみの弓と布とを强要きょうようした。更に各地方から國造くにのみやつこに預けた兵器の類を、その所有者に戻すことなく、國造にあたへてしまつたこともあり、任地で官刀かんとうを盗まれ、やまとの國でも官刀かんとうを盗まれた。これは紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ自身の不注意であることは言ふまでもなく、次官じかん三輪君みわのきみ大口おおぐち河邊臣かわべのおみ百依ももよりの罪もまぬがれない。それ以下の官吏かんりである河邊臣かわべのおみ磯泊しはつ丹比深目たじひのふかめ百舌鳥長兄もずのながえ葛城福草かつらぎのさきくさ難波癬龜なにわのくいがめ犬養五十君いぬかいのいきみ伊岐史麻呂いきのふひとまろ丹比犬眼たじひのいぬめなどの八人も、みな罪にあたるであらう。