9-3 庶政改新の詔 孝德天皇(第三十六代)

庶政しょせい改新かいしんみことのり(其の三)(大化二年正月 日本書紀

初造戸籍計帳班田收授之法。凡五十戸爲里、每里置長一人。掌按撿戸口、課殖農桑、禁察非違、催駈賦役。若山谷阻險、地遠人稀之處、隨便量置。凡田長三十歩、廣十二歩爲段、十段爲町。段租稻二束二把、町租稻二十二束。

【謹譯】はじめて戸籍こせき計帳けいちょう班田はんでん收授しゅうじゅほうつくる。およそ五十となし、里每りごとおさ一人ひとりく。戸口ここう按撿あんけんし、農桑のうそう課殖かしょくし、非違ひ い禁察きんさつし、賦役ぶえき催駈うながすことをつかさどれ。山谷さんこく阻險け わしくて、とおひとまれなるのところには、便べんしたがつて量置りょうちす。およながさ三十ひろさ十二たんとなし、十たんちょうとなす。段租たんそいねそく町租ちょうそいね二十二そくとす。

【字句謹解】◯初めて 我が國に於ける戸籍は允恭いんぎょう天皇御世み よに始まつたといはれてゐるから、ここではその造り方を始めたと見るのが穩當おんとうであらう ◯戸籍 大寶令たいほうれいによれば六年ごとに戸籍を造る制が定められてゐた。十一月上旬までに調査して、里每さとごと別卷べっかんとなし、三通の寫本しゃほんを製作する。これを五月中に仕上げて、二通を太政官だじょうかんに送り、一通をその國にめて置いた ◯計帳 人口の調査帳の意、翌年の課役かえきを決定する上に必要だつた。每年まいねん六月中に造り、八月中に太政官だじょうかんに送るとされてゐた ◯班田收授の法 舊訓きゅうくんには「あかちた」とある。天下の人民に男女共に一定の田地でんちわかさずけて、その人が死亡すればかんおさめた。これを口分田くぶんでんといつた。〔註一〕及び〔注意〕參照 ◯戸口 戸數こすう及び人口の意 ◯按撿 十分に調査すること ◯課殖 農業や養蠶ようさん業を奬勵しょうれいし、產額さんがく增加ぞうかさせること ◯非違を禁察し 國法こくほう嚴格げんかくに守らせて、それに違犯いはんした者をつみする ◯賦役 後文にある租庸調そようちょうの意 ◯催駈 催促さいそくする意 ◯便に隨つて量置す 戸數こすうあまりに少ない時には、附近ふきんさとがっすることをいふ ◯三十歩 高麗尺こまざしほうしゃくの意である。高麗尺こまざしとは大寶令たいほうれい所謂いわゆる大尺おおざしのことで、とう大尺おおざしで計算すれば一しゃくすんとなる ◯ 長さ三十ひろさ十二すなわち、三百六十のこと、これをたんとした ◯十段を町となす ちょうは三千六百である ◯段租 一たんごとの田租でんその意 ◯二束二把 そくは「つか」は「たはり」とくんぜられる。とは普通に一しょうこくを得られる程のいねのこととされ、十が一そくとなるのだから、これは二しょういね相當そうとうする ◯町租 町ごとの田租でんその意 ◯二十二束 二こく程のいねのこと。〔註二〕參照

〔註一〕班田收授制 その組織は次の五じょう區別くべつしてくのを便利とする。

(一)人が六歳に達すれば、良賤りょうせんを問はず一定した面積の口分田くぶんでん班給はんきゅうせられた。その口分田くぶんでんの面積は良民りょうみん男子は二たん良民りょうみん女子はその三分の二の一たん百二十である。官戸かんこ官奴婢かんのぬひ良人りょうじんと同じく二たん家人けにん私奴婢わたくしのぬひ良民りょうみん男女の三分の一であつた。(二)班田はんでんは六年ごとに行ひ、この年を班年はんねんといつた。この年にすべての土地を一たん公收こうしゅうして、人口調査の結果班給はんきゅうするのではなく、班年はんねん口分田くぶんでんを受ける條件じょうけん具備ぐ びした者にあたへられるのであるから、不都合を生ずることが多かつた。(三)口分田くぶんでんは原則として一生利用出來る、が永代えいだい賣買ばいばいは出來ない。(四)公民こうみん口分田くぶんでん園地えんち・宅地を給授きゅうじゅされた。(五)この手續てつづきは、班年はんねんの正月三十日以前に、京國きょうごく官吏かんり太政官だじょうかん具申ぐしんして、授田じゅでんの事を行ひ、十月一日から調査して、校田帳こうでんちょう授口帳じゅこうちょうを造り、十一月一日から受田者じゅでんしゃを集めて班給はんきゅうし、翌年の二月末までに完了するのを原則とした。

〔註二〕大化改新の租法 これは一に付き收穫しゅうかくが二あるものと計算する。この基礎によれば一たんは七十二そく、一ちょうは七百二十そくとなり、本詔ほんしょうに見える如く田租でんそは一たんが二そく、一ちょうが二十二そくなので、大體だいたい租率そりつは百分の三となる。ただし、一に付き、二收穫しゅうかくとは上田じょうでんのことで、この基礎を中田ちゅうでん以下にも用ひたから、事實じじつに於いて百分の三以上であつたとは、諸學者がくしゃの一致する所である。

【大意謹述】今、戸籍・人口調査の樣式ようしきを改めて、一定の年齡ねんれいに達した者には口分田くぶんでんを授ける所謂いわゆる班田はんでん收授しゅうじゅ制を採用することにした。約五十さとを編成し、每里まいりに一人づつの長官を置く。長官は戸數こすう・人口を調査し、農業・養蠶ようさん業を奬勵しょうれいして生產せいさん增加ぞうかに注意し、國法こくほうそむく者を取締とりしまつて、租庸調そようちょうの未納を催促する。し山間で道が阻險そけんな場所又は町から遠く離れて人跡じんせきまれところにある小數しょうすうの部落については、それに都合のよいさと附屬ふぞくせしめて取扱つてもよろしい。

 は長さ三十ひろさ十二だけの部分をたんとなし、十たんを一ちょうとする。各たん田租でんそは二そくいね、各ちょうは二十二そくである。

【備考】班田はんでん收授法しゅうじゅほうかんして注意すべき重要てんが多い。ここには、支那し な均田法きんでんほうとの比較を(本庄・黑正兩氏著の『日本經濟史』參照)するにとどめる。右は形式上、支那し な制度の模倣もほうであることは否定出來ないが、その精神せいしんおおいことなつてゐた。

(一)口分田くぶんでんを受くる年齡ねんれいが、支那し な北魏ほくぎに於ては十五歳、北薺ほくせい及びとうに於ては十八歳以上とせられてゐるが、我國わがくにでは六歳以上である。支那し なに於て右の如く相當そうとう年齡ねんれいに達して初めて土地をあたへたのは、土地の利用、生產結果、したがつて又次に述べるやうに租稅そぜい負擔ふたん如何いかんを重要したからである。これに反して、我國わがくにの制度は生活の保證ほしょうを主とし、生產本位のものではない。

(二)更に租稅そぜい負擔ふたんとの關係かんけいを見るに、北魏ほくぎ北薺ほくせいでは、一定の老齡ろうれいに達して課役かえきめんぜらるるに至れば、存命中そんめいちゅうでも田地でんちかみかえす事とした。又とうでは課役かえきめんぜらるる老齡ろうれいとなれば、口分田くぶんでんを半額に減じた。ところが我國わがくにでは課役かえきとは無關係むかんけいで、一たん給授きゅうじゅせられた田地でんち如何い か老齡ろうれいとなり、課役かえき負擔ふたんしなくなつてもこれかみかえさず、田地でんち增減ぞうげんがなかつた。

(三)それから生產せいさん力との關係かんけいを見ると、支那し なでは大體だいたい生產力のすくないものには給授きゅうじゅすべき田地でんちが少ないのを原則として居る。例へば、北魏ほくぎ北薺ほくせいでは、生產力の少い女子の受くべき田地でんちは男子の半額、とうでは男女は一けいであるのにたいし、寡妻妾かさいしょうは三十にすぎない。已述きじゅつの如く我國わがくにでは女子の田地でんちの割合が大きい。又とうでは病疾びょうしつ篤病とくびょうの者は老人と同じく丁男ていだんの半額の田地でんちを受けたにすぎない。ことに生產力さへ大であれば、身分の如何いかんを問はず、一人前の田地でんちあたへた。例へば北魏ほくぎでは奴婢ぬ ひにも良民りょうみんと同額の田をきゅうし、北薺ほくせいに於ては一定の制限すう以內の奴婢ぬ ひには良民りょうみんと同額の田をあたへた。北魏ほくぎ北薺ほくせいでは耕牛こうぎゅうたいしても一定の田を付與ふ よしたから、支那し な均田制きんでんせい如何い かに生產本位であり、納稅のうぜい力を尊重したかが推察せられる。

(四)日本にっぽんでは宅地園地えんちほか口分田くぶんでん賣買ばいばいする事を禁じ、土地私有を認めぬのを原則としたが、支那し なでは私有地もあり、又口分田くぶんでん賣買ばいばいをもる程度に認めて居た。

 なほ、班田はんでん收授しゅうじゅは全國的に行はれたと見るのが正しく、改新以後三百年間は一部分に行はれた文獻ぶんけんがあるといはれてゐる。更に當時とうじの田の種類は非常に多かつたらしい。改新以後約八十年を大寶令たいほうれいでは、次のやうに田を區別くべつしてゐる。

(一)輸租ゆ そでん口分田くぶんでん(六歳以上の民に班給するもの)・位田いでん(五位以上の人々に給せられるもの)・功田こうでん(勳功ある者に給せられるもの)・賜田しでん(別勅に依つて給せられるもの)・見任けんにん國造田くにのみやつこでん(現任の國造に給せられるもの)・郡司ぐんじ職田しきでん(現任の郡司に給せられるもの)・釆女田うねめでん(釆女に給せられるもの)・墾田こんでん(新田及び荒地を開墾したもの)・易田えきでん(土地が不毛のため倍額を給せられるもの)―一定の租稅そぜい徵收ちょうしゅうされたので、この名稱めいしょうがある。

(二)不輸租ふ ゆ そでん官田かんでん(皇室御料地)・神田しんでん(神社所領地)・寺田じでん(寺院所領地)・戒本田かいほんでん(布薩戒を授受する費用に充てる田地)・放生田ほうしょうでん(放生の科に充てる田)・公廨く げでん官衙の費用に充てる田)・職田しきでん(大納言以上に授ける田)・驛田えきでん(諸國の驛戸の用途に充てる田)・官戸かんこ奴婢ぬ ひ口分田くぶんでんいずれもその租稅そぜいを納入せぬもの。

(三)地子ち しでん(地子の語は大化改新の田制に始まる。當時國營の小作地たる薺田を作らせ、その耕人より收むるものを地子と云つた。)—無主位むしゅいでんけつ郡司ぐんじ職田しきでん闕國造田けつくにのみやつこでんけつ釆女田うねめでん射田しゃでん乘田じょうでん―以上、いずれも賃租田ちんそでんの事。

 以上、繰返してへば、輸租田ゆそでんとは政府で租稅そぜい徵收ちょうしょうする田地でんち不輸租田ふゆそでんとは政府に納めないで、その土地の所有者が收入しゅうにゅうとするもの、地子田ちしでんとは政府が地子ち しおさめて耕作させる田地でんちをいふ。

 なほ、る本には前文の「山谷さんこく阻險けわしくて云々うんぬん」がこの終りにてゐるが、これらの本文がすで大寶たいほう戸令こりょうと同一の順でかれてゐるので、これを戸令こりょうの順にしたがつて前文に附屬ふぞくさせた。