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6 小野妹子の罪を赦すの勅 推古天皇(第三十三代)

小野妹子おののいもこつみゆるすのみことのり(十六年六月 日本書紀

妹子雖有失書之罪、輙不可罪。其大國客等聞之、亦不良。

【謹譯】妹子いもこにはしょうしなへるつみありといえども、たやすつみすべからず。大國たいこく客等きゃくらこれかば、またよろしからざるなり。

【字句謹解】◯妹子 小野妹子おののいもこの事、妹子いもこに就ては『軍事外交篇』で說明せつめいした ◯書を失へる罪 妹子いもこ推古すいこ天皇の十五年七月にとうに向つて出帆しゅっぱんし、十六年の春四月に歸朝きちょう、同年六月にとう國書こくしょを失つた事を奏上そうじょうした。〔註一〕參照 ◯大國の客 時に妹子いもこと共に來朝らいちょうしたとうの使者裴世淸はいせいせいなどの一行のこと ◯亦良しからざるなり 工合ぐあいがよくないとか、感心しないとかいつた程の意味。

〔註一〕書を失へる罪 十六年夏六月に妹子いもこ歸朝きちょうして朝廷に次のやうに報告した。「私がとうの宮廷に最後にまいりました時に、てい國書こくしょわたくしさずけられました。途中大切にしてりましたが、百濟國くだらのくにを過ぎた頃、どうしたものか一寸ちょっとすき百濟人くだらじんのためにかすめ取られてしまつたのです。ですから本日、それをたてまつることは出來ません」と。群臣ぐんしん妹子いもこ國書こくしょ紛失の罪をして流刑るけいに決した。しかるに天皇本勅ほんちょくを下されてその罪を問はぬ事にされたのである。何故なにゆえ天皇はこの罪をゆるされたか、このてんについて本居宣長もとおりのりながは『馭戎ぎょじゅう慨言がいげん』中にこの事に言及げんきゅうして「妹子いもこ國書こくしょを紛失したといふのは全く託言たくげんで、事實じじつ無根むこん奏上そうじょうしたのだ」と主張してゐる。元來がんらい當時とうじ日の出のいきおいにあつたとうは、我國わがくにを東方の一小國しょうこくとして輕視けいしし、外交上、對等たいとうの交際を承認しなかつた。しかるに我が國では『軍事外交篇』にずいあたふる國書こくしょの部分で謹述きんじゅつしたやうに、決してとうを一段上に見たのではなく、相互の獨立國どくりつこくとして對等たいとうな交際をした。ところが、唐王とうおうから妹子いもこに授けた國書こくしょには、日本にっぽん輕視けいしした文句が挿入してあつたらしく、日本にっぽんに於いてこれ直奏ちょくそうすると、ぐ問題を惹き起すのは明白である。ゆえ妹子いもこ萬事ばんじの罪を負ふ覺悟かくごとうからの國書こくしょを紛失したと奏上そうじょうし、これから我國わがくに上下しょうかに生ずるいきどおりを防がうとしたものらしい。

 以上妹子いもこ胸中きょうちゅうにあつた外交上の深い決意を知らない群臣ぐんしんは、いたずらに表面的な國書こくしょ紛失の罪だけで事を判定し、妹子いもこ流刑るけいしょしようとした。ところが推古すいこ天皇及びその御傍おそばられた聖德太子しょうとくたいしは早くも妹子いもこ胸中きょうちゅう洞察どうさつされ、これ程の罪を不問にさせられた。ここに明君めいくん良臣りょうしんとが共に國事こくじうれふる心から、國史こくしかくれた美しい挿話そうわを後世にのこされたのである。以上宣長のりながの主張こそ千古せんこの疑問を解いたものとして、賛成したい。

【大意謹述】小野妹子おののいもこが、唐帝とうていから受取つた國書こくしょを紛失した罪は確かにあるが、軽率に罰してはならない。現在、とうから寄越よ こした使者がこの國に滯留たいりゅうしてゐる。その人々に聞えても、あまり感心しないからである。

【備考】支那し な唐代とうだいは、何とつても、文化の上で燦爛さんらんたるを放つてゐた。したがつてれが、萬事ばんじ尊大そんだいに構へたことは、當然とうぜんあるべきはずと考へる。けれども日本にっぽんは一個の獨立國どくりつこくとして、それにゆずつたり、屈したりする必要は少しもなかつた。それゆえに、小野妹子おののいもこは、右に述べた如き配慮をしたものと想像されるが、同時に、日本にっぽんの地位が國際こくさい的にまだ向上こうじょうしてをらなかつた有樣ありさをも考へられる。今日こんにち日本にっぽん國際こくさい的地位に對照たいしょうすると、今昔こんじゃくの感がことに深い。