大日本詔勅謹解5 政治經濟篇 序言

序言

 明治以來いらい日本にっぽんの政治・經濟けいざいは、著大ちょだいの飛躍、進展をしたが、昭和につて以來いらいようや積弊せきへいのために行詰ゆきづまつてた。思ふに、古代から王朝時代にかけて、天皇御親政ごしんせいの時代には、綱紀こうき張り、皇權こうけん振ひ、一くん萬民ばんみんのもとに經世けいせい愛民あいみんじつあがつた。すなわ產業さんぎょう振興しんこう及び道德どうとく振作しんさに力をつくされ、社會しゃかい政策・救貧きゅうひん政策などにおいてもまた天皇思召おぼしめし大體だいたいにおいて實現じつげんされた。「においては君臣くんしんじょうにおいては父子ふ し」とおおせられた意味があらはれてゐる。

 ところが、藤原氏政權せいけんを左右するに及び、ようや天皇思召おぼしめしさえぎりまゐらせ、更に武家の手によつて武門ぶもん政治が確立すると、天皇御精神ごせいしんのあるところを政治・經濟けいざいの上に發揚はつようせられる機會きかいほとんどなくなつた。したがつて安德あんとく天皇以後、仁孝にんこう天皇御代み よに至る迄、政治・經濟けいざい上、天皇御意ぎょいそんするところを知るによしなく、その詔勅ごしょうちょくはいすることが出來ないのは、そのめである。ところが、孝明こうめい天皇の時代にるに及んで、內憂ないゆう外患がいかんの加はるにつれ、無能な幕府が失政に失政を重ねて、尊王そんのう攘夷じょういの叫びが猛烈にあがると、天皇は深く宸襟しんきんなやませられ、ここにはじめて國事こくじについて、度々叡慮えいりょそんするところを詔勅しょうちょくの上に表示せられるやうになつた。我等われらは、かくして、天皇御思召おんおぼしめししたしく詔勅しょうちょくの上に拜誦はいしょうすることが出來る事になつたのである。

 それに明治時代にると、皇政こうせい維新いしんと共に、明治天皇御親政ごしんせいのもとに、政治・經濟けいざいいちじるしい進歩をした。在來ざいらい動脈硬化おちいつてゐた舊幕政きゅうばくせいのために行詰ゆきづまつた政治・經濟けいざいは四みん平等びょうどう實施じっしと共にその面目めんぼくを一新し、立憲りっけん政治の確立、商業上の自由な進展等により、空前の盛觀せいかんていするに至つた。畢竟ひっきょう天皇御親政ごしんせいにより、建國けんこく精神せいしん宣揚せんよう皇道こうどう發揮はっきと共に經世けいせい愛民あいみんじつげさせらるるに至つたからである。

 大正・昭和の時代においては、皇室におかせられて明治天皇鴻謨こうぼのあとを受けて、更に一そうの進展をすべく、大正天皇御精勵ごせいれい今上きんじょう陛下の御英邁ごえいまいにより、著々ちゃくちゃくあゆみを進められててある。が、政治方面に間接・直接の關係かんけいを持つ政黨人せいとうじんが、ようやくその使命を忘れ、吏人りじんうちにも任務をおこたるものがあつて政黨人せいとうじんはすべてを黨利とうり黨略とうりゃくによつて決し、吏人りじんの一ぱん私門しもん私家し かを目安として政務にあたるが弊害へいがいしゅつ天皇正大せいだい御精神ごせいしん遮斷しゃだんしまゐらせた傾きが多い。それに實業じつぎょう方面の人々の中にも兎角とかく自家じ か本位ほんいに行動して、公利こうり公益こうえき無視む ししようとするの風潮がようやいちじるしい。このてんは、特に國民一般の猛省もうせいし、自奮じふんしなければならぬところで、今や國民は全力をげて政黨せいとうの腐敗を一掃し、吏人りじん墮落だらくはいし、實業じつぎょう界の廓淸かくせいあたらねばならぬ重大時機に迫られてゐる。

 し政治方面・實業じつぎょう方面の人々が、國家本位に建國けんこく精神せいしんに目ざめ、皇道こうどう深義しんぎたいし、それを土臺どだいとして、政治・經濟けいざいの上に眞摯しんしな改革を加へるならば、日本にっぽんここ息詰いきづまつた狀態じょうたいから更生こうせいし、新しい生命と新しい希望との上に長く生きてゆくことが出來よう。今、歷代れきだい天皇の政治・經濟けいざいについての詔勅ごしょうちょくはいする我等われらは、このてんに十分の考慮を重ねて、聖旨せいしそんするところをつつしんで奉體ほうたいせねばならぬと思ふ。

  昭和九年四月     高須芳次郞 謹識