66 明治天皇ノ御靈ヲ伏見桃山ニ斂葬セラルル時ノ御誄 大正天皇(第百二十三代)

明治めいじ天皇てんのう御靈みたま伏見ふしみ桃山ももやま斂葬れんそうセラルルとき御誄ぎょるい(大正元年九月十三日)

【謹譯】

嘉仁よしひとつつしミテ皇考こうこう靈前れいぜんもうス。

皇考こうこう登遐とうかたまヒシヨリ、夙夜しゅくや夢寐む び溫容おんようわすあたハス、櫬宮しんきゅう嬪殿ひんでん奉饌ほうせん拜參はいさんシテ、むなシク靈前れいぜん感泣かんきゅうスルコトヤ四十餘日よにちいま伏見ふしみ桃山ももやま斂葬れんそうセムトシ、轜車じしゃおくリテここきたレリ。おもフニさき皇考こうこうやまいあらたまルヤ、上下じょうげ憂惧ゆうぐシテ天地てんちいのルアリ、ここ葬儀そうぎおこなフヤ、朝野ちょうや悲傷ひしょうシテマス。國民こくみん忠忱ちゅうしん發露はつろスルところニシテ、すなわチ、皇考こうこう德澤とくたく感孚かんぷスルところナリ。これおもかれおもヒ、痛悼つうとうじょう倍倍ますますせつナリ。嗚呼あ あ哀哉かなしいかな

【字句謹解】◯斂葬 明治天皇御葬儀ごそうぎを送られること ◯御誄 るいとは死者の生前の功德くどく累列るいれつしてしょうする意 ◯嘉仁 大正天皇御事おんこと ◯皇考 ほうぜられた御父君おふくんの意で、明治天皇御事おんこと ◯登遐 天皇崩御ほうぎょ ◯夙夜夢寐 夙夜しゅくやとは朝早くから夜おそくまでのこと、夢寐む びとはとこに就いて夢を見ること。つまり朝から晚まで先帝せんてい御事おんことを忘れず、とこに入つても夢にまであらはれたまふ意味である ◯溫容ヲ諼ル能ハス わするは忘れること。溫容おんよう先帝せんてい御姿おすがたを忘れることが出來ない ◯櫬宮 天子の御棺ぎょかん ◯嬪殿 本葬ほんそうする以前のる期間に御遺骸ごいがいりにおさめてある場所のしょう ◯奉饌 かみ御饌ぎょせんたてまつる意、せんとは⻝物しょくもつのこと ◯空シク靈前ニ感泣スルコト かえらぬ事とは知りながらもあきらめ切れないで先帝せんてい御靈前ごれいぜんに涙して御靈みたまにうつたへる意 ◯早ヤ四十餘日 七月三十日から九月十三日までの日數にっすう ◯轜車 と同じで、喪車そうしゃのこと、ひつぎのくるま ◯病革ル 御病おんやまい御重態ごじゅうたいとなる ◯憂惧 非常に心痛しんつうする ◯天地ニ祈ル 天地あめつち神々かみがみいのること ◯朝野 國民全部のこと、ちょうとは直接宮室きゅうしつに奉仕する者、とは在野ざいやの人々 ◯忠忱ノ發露スル所 忠義ちゅうぎまことが表面にあらはれた所 ◯感孚 諸方面にれなく感じさせる ◯痛悼ノ情 崩御ほうぎょをひどく悲しむ至情しじょう ◯倍倍切ナリ 一しおふかい。

〔注意〕明治天皇崩御ほうぎょかんする詔勅しょうちょくとして、

(一)改元かいげん詔勅しょうちょく(明治四十五年七月三十日)(二)斂葬れんそう御誄ぎょるい(大正元年九月十三日)(三)恩赦おんしゃ詔書しょうしょ(大正元年九月十三日)(四)卽位そくい詔勅しょうしょ(大正四年十一月十日)

はいせられる。なほ、本詔ほんしょう發布はっぷ當日とうじつ乃木の ぎ大將たいしょう夫妻の殉死じゅんしが全日本人の腦裡のうりに更に嚴肅げんしゅくさを感ぜしめたことを忘れてはならない。

【大意謹述】ちん嘉仁よしひとここにこの上もなく嚴肅げんしゅくな態度で、先帝せんてい御靈前ごれいぜんに申し上げる。

 先帝せんてい崩御ほうぎょ以來いらい、朕は朝も夕もその御溫容ごおんようを忘れることが出來ず、とこに入つても夢のうちあらはれるのは、先帝の御姿おすがたである。御棺ぎょかん神饌しんせんたてまつつたり、假葬かりそう御宮おみや參拜さんぱいしたりして、最早もはや如何い かにしてもかえたまはないとは知りながら、先帝の御靈みたまの前に涙する日も、もう四十日以上となり、今囘こんかい伏見ふしみ桃山ももやまにいよいよ御遺骸ごいがいを永久におさめまゐらせることとなつて、御喪車ごそうしゃを送つて、この場所にた。

 考へて見るのに、かつて先帝が重態じゅうたいおちいられた際、上流の者も下流の者も、等しく深く心痛しんつうし、天地の神々に御恢復ごかいふくいのつたのであつた。今、先帝の御葬儀ごそうぎおこなはれるにあたつては、ちょうに奉仕する者、在野ざいやの者の區別くべつなく、非常に悲しみなげいてまない。全くこれは全國民の忠義ちゅうぎまことあらはれたので、言ひ換へれば、先帝の偉大な御德おんとく感化かんかである。ちんは一方に國民の忠誠ちゅうせいを思ひ、他方に先帝の御德おんとくしたふ心、崩御ほうぎょを悲しむ情とが一そう切實せつじつなるをおぼえる。何といふ悲しいことであらう。ああ、何といふ悲しいことであらう。この悲しみは、永久にきない。

【備考】今日こんにち伏見ふしみ桃山ももやま大廟だいびょうは、伊勢大廟いせのだいびょうと共に多くの大官たいかん士民しみんが必ず參拜さんぱいする聖蹟せいせきとなつてゐる。明治天皇は久しく京都にゐらせられ、その地方の風物ふうぶつを愛せられた。左樣そ うした因緣いんねんの深い土地、こと風光ふうこううるはしい、靜閑せいかん桃山ももやま靈廟れいびょうを設けられたことは、そこに大きい意義がある。桃山の大廟たいびょう參拜さんぱいして、そぞろに明治天皇御若おわかき時に、國難こくなんしきりに至る際にあたつて京都にられ、先帝、孝明こうめい天皇宸襟しんきんなやませらるる御樣子ごようすを親しくはいせられ、深く御心みこころ國事こくじとどめさせられた當年とうねんの事に想ひ至ると、感慨かんがいしきりにいて、おさがたい。