64 招魂社を靖國神社と改稱し別格官幣社と定め給へる御祭文 明治天皇(第百二十二代)

招魂社しょうこんしゃ靖國やすくに神社じんじゃ改稱かいしょう別格べっかく官幣社かんぺいしゃさだたまへる御祭文ごさいもん(明治十二年六月二十五日 靖國神社誌)

天皇大命、此廣前式部助兼一等掌典正六位丸岡莞爾使告給波久止左久、掛卷畝火橿原宮肇國知⻝天皇御代與利、天日嗣高御座知⻝來⻝國天下衰頽多留乎明治元年云年與利以降、內外荒振寇等刑罸、不服人言和、汝命等眞心、家、各死亡爾志其大勳功氐志、大皇國乎婆安國知⻝曾止思⻝須賀、靖國神社改稱、別格官幣社定奉利氐、御幣帛奉幣奉良世、今與利後、彌遠永事无祭給波牟止須。故是告給波久止白給天皇大命聞⻝世止、恐美毛

【謹譯】天皇すめら大命おおみことせ、ひろきみまえ式部助しきぶのすけけんとう掌典しょうてんしょう丸岡まるおか莞爾かんじ使つかいとなしてたまはくともうさく、けまくもかしこ畝火うねび橿原宮かしはらのみや肇國はつくにらせし天皇すめら御代み よより、天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざらしめ⻝國おすくにあめしたまつりごと衰頽おとろへたるをいにしえかえたまひ、明治めいじ元年がんねんとしより以降の ち內外ないがいくにあら寇等あだども刑罸こらしめ、まつろはぬひとことたまときに、なんじ命等みことたちあかなお眞心まごころもって、いえわすて、おのおのほろびにしおおたか勳功いさおりてし、大皇國おおすめらみくにをば安國やすくにしめすことぞとおもほしめすがゆえに、靖國やすくに神社じんじゃあらたとなへ、別格べっかく官幣社かんぺいしゃさだまつりて、御幣帛みてぐらまつぬさまつらせたまひ、いまよりのちいや遠永と わおこたことなくまつたまはむとす。さまたまはくともうたま天皇すめら大命おおみこときこしめせと、かしこかしこみももうす。

【字句謹解】◯此の 招魂社しょうこんしゃを指す。招魂社しょうこんしゃとは殉國じゅんこく志士し し及び從軍じゅうぐん戰死者せんししゃ魂魄こんぱくを祭る神社じんじゃで、東京麹町こうじまちの九だん坂上さかうえにある ◯式部助 式部寮しきぶりょうぞくする役人ですけはその地位をあらはしたもの、式部寮しきぶりょうは明治四年に式部局しきぶきょく改稱かいしょうしたので、內外の儀式及び圖書としょかんした事務をつかさどる。その職員はかみ權頭ごんのかみすけ權助ごんのすけ大屬たいぞく權大屬ごんたいぞく中屬ちゅうぞく權中屬ごんちゅうぞく少屬しょうぞく權少屬ごんしょうぞく大舍人おおとねり權大舍人ごんおおとねり伶人だいれいじん伶人ちゅうれいじん伶人しょうれいじんと分かれてゐる ◯一等掌典 掌典しょうてんとは明治四年八月四日に神祇官じんぎかんに置いた奏任そうにん又は判任官はんにんかんのことで、祭事さいじ神饌しんせんつかさどる。最初は大中少だいちゅうしょうの三等にわかち、いで各權位ごんいを加へて六等としたが、明治十年十二月二十日から一等から四等までの名稱めいしょうを使用した。右の一等の掌典しょうてんを意味する ◯畝火の橿原宮に肇國知らせし天皇 神武じんむ天皇を申したてまつる ◯天日嗣高御座 連綿れんめんとした皇位こういのこと ◯⻝國 御統治國ごとうちこく ◯荒振る寇 我が國をあらす賊 ◯服ろはぬ人 皇威こういに服しない人々 ◯言和し 平定する ◯赤き直き 赤誠せきせいをこめたといふ義 ◯別格官幣社 官幣かんぺい大・中・小しゃ以外にあつて、官幣社かんぺいしゃとしてその格式が國幣社こくへいしゃの上にあるもの ◯彌遠永に この上共に永久にの意。

〔注意〕本詔ほんしょう發布はっぷに至るまで、招魂社しょうこんしゃかんした詔勅しょうちょくは左の如くである。

(一)招魂社しょうこんしゃ戰死者せんししゃ合祀ごうし祭文さいもん(明治八年二月二十二日、陸軍省日誌)(二)肥前ひぜんのくに賊徒ぞくと討伐とうばつこうありし矢柄やがらいたる招魂社しょうこんしゃ合祀ごうしするの祭文さいもん(明治八年七月四日、陸軍省日誌)

【大意謹述】天皇大御詞おおみことばをば、招魂社しょうこんしゃ御前みまえ式部助しきぶのすけ兼一等掌典しょうてんしょう丸岡まるおか莞爾かんじを使者として告げたてまつる。くちにのぼすも恐れ多いが、大和やまと畝火うねびにある橿原宮かしはらのみやに天下を始めて平定して卽位そくいせられた神武じんむ天皇御代み よから連綿れんめんつづく皇室の御血統ごけっとうまつつて今囘こんかい卽位そくいされ、この日本を統治なされた天皇が、天下の政治が非常に衰へたのをいにしえ狀態じょうたいかえされたまひ、明治元年以後は、內外の者共ものどもの我が國をあらすを處罰しょばつし、皇威こういに服しない者をすつかり平定された。その際、汝等なんじら赤誠せきせい眞心まごころを以て、家を忘れ、自己の一身を投げ出して皇國こうこくのために護國ごこくの鬼と化したその勳功くんこうつてこそ、天皇は我が國を世にも平和な國として御支配あそばされることが出來たと思召おぼしめされてゐる。ゆえに、今囘こんかい招魂社しょうこんしゃ靖國やすくに神社じんじゃと改め、別格べっかく官幣社かんぺいしゃの地位をさずけ、只今、大御幣帛おおみてぐら及びその供物くもつたてまつつていのる次第で、今後、永久にこれを怠らないゆえ神前しんぜんに於いて誓はせられる。以上のよしを告げたてまつるとの大御言おおみことをお聞き入れ下さるやう、つつしんで申し上げる。

【備考】國家に身命しんめいを捧げ、誠忠せいちゅうをつくした人々をかみとして祭ることは、日本の一特色である。生きては、護國ごこく干城かんじょうとなり、死しては護國ごこくの神となる。そこに忠誠ちゅうせいな人々の生命の永遠性がある。たとひ、その身はほろびても、その精神せいしんほろびない。彼等の精神せいしんは、常に國民に呼びかけ、その國家―道義どうぎ建國けんこくであり、正義肇國ちょうこくである日本への奉仕ほうし忠誠ちゅうせい力强ちからづよ鼓吹こすいしてやまない。

 國にじゅんじた將士しょうしが神として合祀ごうしせらるるについて、思ひ出されるのは、日本において、英雄・偉人が大抵たいてい、神としてまつられてゐることである。それが、いくらか政治家・武將ぶしょうなどにかたよつた傾向はあるとしても、極めてよい事と思ふ。豐臣とよとみ秀吉ひでよしの如き、德川とくがわ家康いえやすの如き、皆立派に神としてまつられてゐる。一たい、日本に於ける古代の神々かみがみを見ると、人間味が多い。西洋のゴツドとなると空想にえがかれた存在で、したしみのうすい感じがする。ところが、日本においては左樣そ うでない。天照大御神あまてらすおおみかみにしても、大國主神おおくにぬしのかみにしても、一めん神として偉大であるが、多面ためん多くの人間味をたたへてをられる。その他の主要な神々も皆神であると同時に、まったき人であつた。ここに國民性の美所びしょ・長所も見られ、したしみ深い感じが起る。

 以上の如き關係かんけいからすると、國民的英雄・國民的偉人が神としてまつられることには何らの不思議もない。神は人であり、人は神である。人として最高・最優秀の地位にある英雄・偉人は死後、護國ごこくみたまとして神にまつられ、その雄風ゆうふう、その忠誠ちゅうせい後人こうじんに深い感銘かんめいあたへる。これを敎化きょうかの上から見てすこぶる意義の深いものがある。例へば、吉田よしだ松陰しょういんの如き、民間の一志士し しにすぎなかつたが、その雄風ゆうふう、その忠誠ちゅうせいにおいては、深く人を動かすところがあつた。それゆえに、れは世田せ た豪德寺ごうとくじはんに神としてまつられ、後人こうじん崇敬すうけいを受けてゐる。畏友いゆう松岡まつおか洋右ようすけ氏が先日政友會せいゆうかい脫黨だっとうの決心を實行じっこうすることになつた時、それに先立つて明治めいじ神宮じんぐう參詣さんけいし、ぎに松陰しょういん神社じんじゃもうでたとつたへられてゐる。長州ちょうしゅう出身の松岡氏が明治維新貢獻こうけんした同郷の先覺せんかく吉田松陰英靈えいれいの前にぬかづいたのは、やはり、松陰の熱誠ねっせい英風えいふうとに平生へいぜい、感激するところがあつたからだと思ふ。

 かう考へると、國家的英雄・國家的偉人が神としてまつられることに重大な意義がある。ただ一歩、進めていふと、もつと、偉人の範圍はんい擴張かくちょうし、政治・軍事に貢獻こうけんしたもののみならず、學術がくじゅつ敎育きょういく文藝ぶんげい・商工業その他に貢獻こうけんした偉人もまた公平に神としてまつりたい。それを一方にへんするものとしてはならない。例へば、實業じつぎょう貢獻こうけんした二三の代表者の如き、人格において、圓滿えんまんなものは、神としてまつつて差支さしつかえなからうと思ふ。學術がくじゅつ上、特に有力な發見はっけんをしたもののうちでも、その代表的な二三を神としてまつることもまた意義があらう。現代に於ける商工の神、敎育の神、文藝ぶんげいの神、學術がくじゅつの神などをまつり、それによつて、人々に發奮はっぷんの力をあたへ、模範を示すことは、敎化きょうかの上から必要であらう。

 更にそれらの神として祀られた英雄・偉人について、英雄・偉人祭をそれぞれ誕生日にもよほし、その事業を記念し、その風采ふうさい囘顧かいこすることもまた意義があらう。日本では、現在、歐米おうべい追隨ついずいの考へから、歐米おうべいの偉人祭などを屢々しばしばもよほすが、祖國そこくの偉人祭は、存外ぞんがいもよほさない。これでは、本末ほんまつ顚倒てんとうではないか。歐米おうべいの偉人を尊敬するの雅量がりょうには深く敬服けいふくするが、それも、祖國そこくの偉人を記念し、これを祭ることに十分、力を致してから、歐米おうべいの偉人に及ぼすのもからう。けれども祖國そこくの偉人祭を碌々ろくろくもよほすことをしないで、歐米おうべいの偉人祭ばかりに沒頭ぼっとうするのはすこしく雅量がりょうがすぎるとはねばならぬ。

 かういふ事を考へてくると、更に日本國民を指導せられた十だい天皇については、是非とも、年々記念祭を開かれねばならぬことを痛感する。例へば、神武じんむ天皇を始め、崇神すじん天皇景行けいこう天皇仁德にんとく天皇天智てんち天皇桓武かんむ天皇後三條ごさんじょう天皇後醍醐ごだいご天皇孝明こうめい天皇明治めいじ天皇の如きまさに十だい天皇にあらせらるると拜察はいさつする。今日こんにちの非常時にあたつては、切に以上の偉大な天皇が國家にたいし、非常の力を注がれたことを切に追想して、感激をあらたにせざるを得ない。神武じんむ天皇道義どうぎ建國けんこくに於ける、崇神すじん天皇敎化きょうか事業に於ける、景行けいこう天皇帝威ていい伸張しんちょうに於ける、仁德にんとく天皇愛民あいみんに全力を傾注けいちゅうせられた事に於ける、天智てんち天皇大化たいか革新かくしんに於ける、桓武かんむ天皇庶政しょせいしん遷都せんと斷行だんこうに於ける、後三條ごさんじょう天皇皇威こうい恢復かいふく大御心おおみこころに於ける、後醍醐ごだいご天皇建武けんむ中興ちゅうこうに於ける、孝明こうめい天皇內憂ないゆう外患がいかんあたつて祖國そこくくべき道を正しくせられた事に於ける、明治めいじ天皇國威こくいを空前に發揚はつようせられた諸事業に於ける、いずれもこの非常時にあたつて、切に追慕ついぼせざるを得ない。

 ゆえに日本國民は、報恩ほうおんの意味からも、當然とうぜん、十だい天皇御誕生日ごたんじょうびあたり、盛大な祭典を國民的におこなひ、あらたたにその御英風ごえいふうあおぐことを必要とする。現在、神武じんむ天皇孝明こうめい天皇明治めいじ天皇御聖業ごせいぎょう大體だいたい國民の一般に知るところであると思はれるが、その他の七だい天皇御聖業ごせいぎょうも深くこれを記憶し、新しい感激の泉をそこからきたらねばならぬ。よっ

(一)崇神天皇祭(二)景行天皇祭(三)仁德天皇祭(四)天智天皇祭(五)桓武天皇祭(六)後三條天皇(七)後醍醐天皇

每年まいねんその御誕生日ごたんじょうびに國民祭として奉祀ほうしし、盛大な祭典を開き、だい御事業ごじぎょう御生活ごせいかつを國民の腦裡のうりに深く印象することを以て、一つの急務であると信ずるが、どうであらうか。偶々たまたま招魂社しょうこんしゃのことから、自然、考へがかうした方面に伸びたので、一げん平生へいぜい所懷しょかいを記したのである。