58-2 惟神の大道を宣揚するの勅語 明治天皇(第百二十二代)

【備考】本勅ほんちょくにある如く、全國に宣敎師せんきょうしを派遣されたことは、神道しんどう國家こっかの建設を意味し、祭政さいせい精神せいしんを復活されたわけであつた。當時とうじ(明治二年末)に神祇官じんぎかんに多くの宣敎師せんきょうしを置き、全國に向つて、神道しんどうを中心とする敎化きょうか運動が開始せられた。今日こんにちは、政府に神祇官じんぎかんも、神祇省じんぎしょうも置かれてゐないが、明治のはじめは、この方面を重視じゅうしし、明治元年正月、太政官だじょうかんのもとに神祇科じんぎかを設け、翌二年、これを神祇じんぎ事務局と改稱かいしょう、同年三月、神祇官じんぎかんを再興して出張所を京都に置いたのである。

 その時分、特に諭達ゆたつはっせられ「此度このたび王政おうせい復古ふっこ神武じんむ創業そうぎょうの始めにもとづかせられ、諸事しょじしん祭政さいせいの御制度に御囘復ごかいふくあそばされそうろうついては、づ第一、神祇官じんぎかん御再興ごさいこう御造立ごぞうりゅうの上、追々おいおい諸祭典もおこさせらるべきおおいだされそうろうよっ此旨このむね、五どう諸國に布告ふこくし、往古おうこ立歸たちかえり、諸家しょけ執奏しっそう配下はいかとどめられ、あまねく天下の諸神社しょじんじゃ神主かんぬし禰宜ね ぎ祝部ほうりべ神戸こうべに至る迄向後こうごみぎ神祇官じんぎかん附屬ふぞくおおせわたされ候間そうろうあいだ官位かんいを初め、諸事しょじ萬端ばんたん、同官へ願立ねがいたて候樣そうろうよう相心得あいこころえべき事」とつたへられたのである。

 ぎに明治五年のはじめ、敎部省きょうぶしょうを設け、敎導職きょうどうしょくを置いた。敎導職きょうどうしょくには主として神官しんかんを用ひたが、佛敎家ぶっきょうか俳優はいゆう講談師こうだんしなどをも任用した。すこしく混淆こんゆうの形であるが、說敎せっきょうの方針については、五年四月、敎則きょうそくじょうを規定し、それによつて講說こうぜつせしめたのである。

敎則きょうそくじょう 

一、敬神けいしん愛國あいこくむねたいすべき事。一、天理てんり人道じんどうあきらかにすべき事。一、皇上こうじょう奉體ほうたいし、朝旨ちょうし遵守じゅんしゅせしむべき事。

 かうした方針で、神道しんどう中心の敎化きょうか運動が行はれ、各府縣ふけん中敎院ちゅうきょういん小敎院しょうきょういん分置ぶんちし、それを中央の大敎院だいきょういんに於て統轄とうかつした。かうして到るところの社寺しゃじで、惟神かむながら大道だいどう宣傳せんでんしたのである。そして說敎せっきょうの標準綱目こうもくともなるべき『十一兼題けんだい』及び『十七兼題けんだい』により、研究を加へ、大衆に神道しんどうの現代的な解說かいせつつたへた。

◯十一兼題けんだい

(一)神德しんとく洪恩こうおん(二)人魂じんこん不死ふ し(三)天神てんじん造化ぞうか(四)顯幽けんゆう分界ぶんかい(五)愛國あいこく(六)神祭しんさい(七)鎭魂ちんこん(八)君臣くんしん(九)父子ふ し(一〇)夫婦ふうふ(一一)大祓おおはらい

◯一七兼題けんだい

(一)皇國こうこく々體こくたい(二)皇政こうせいしん(三)道變みちへんずべからず(四)制時せいときしたがふべし(五)ひと禽獸きんじゅうことなる(六)おしへざるべからず(七)まなばざるべからず(八)外國がいこく交際こうさい(九)權利けんり義務ぎ む(一〇)こころえきかたちえきす(一一)政體せいたい各種かくしゅ(一二)文明ぶんめい開化かいか(一三)律法りっぽう沿革えんかく(一四)國法こくほう民法みんぽう(一五)富國ふこく强兵きょうへい(一六)租稅そぜい賦役ぶやく(一七)ものさんものせい

 當時とうじ大敎院だいきょういんは東京麹町こうじまちに設けられ、天御中主神あめのみなかぬしのかみ高皇產靈神たかみむすびのかみ神皇產靈神かみむすびのかみ及び天照大御神あまてらすおおみかみの四はしらかみ鎭祭ちんさいした。ここに至つて、神道しんどう國家こっか面目めんもくととのひ、「日本の國敎こっきょうは、神道しんどうである」といふ感じを何人なんびとにも痛切にあたへた。

 それらの日、『三じょう敎憲きょうけん』についての著述ちょじゅつ續々ぞくぞく出た。この種の著述は、今日こんにちとちがつて、全く西洋紀元などは用ひず、必ず皇紀こうきを用ひてゐる。このてんについてはかつて我らが度々、いたことであるが、日本人として西洋紀元を用ひ、雜誌ざっしなどに、それを麗々れいれいしく入れてゐるのは矛盾のはなはだしいものだといふ意味を繰返し、叫んだのである。が、今ほこれに賛成する人が割合にすくない。勿論もちろん漸次ぜんじ皇紀こうきを用ひるものが增加ぞうかしてゐるのは、喜ぶべきで、大倉おおくら文化研究所の大倉おおくら邦彥くにひこ氏は、著者が數年前すうねんぜん、親しく同氏に右の旨をいたことに感激し、爾後じ ご、同氏が每年まいねん刊行するパンフレットに皇紀こうきを用ひてゐることだ。

 さて當時とうじ神道しんどう宣傳せんでんした著述のうち近衞このえ忠房ただふさ千家せんげ尊福たかとみの『神敎しんきょう要旨ようし略解りゃっかい田中たなか賴庸よりつねの『三じょう演義えんぎ』などが代表的なものとして注目せられる。ただそのくところは、今日こんにち、見ると、あまりにむづかしく、また解釋かいしゃくが、古すぎる氣味き みがある。このてん神道しんどうを大衆に普及するについて、すこしく行屆ゆきとどいてゐない氣味き みがあるやうに思ふ。

 聞くところによると、大敎だいきょう宣布せんぷ運動は、常世つねよ長胤ながたね小野お の述信つぐのぶ江藤えとう新平しんぺい盡力じんりょく策畫さっかくによつたといはれる。同時に、この方面の運動に加はつたのは、大國おおくに隆正たかまさ矢野や の玄道げんどう權田ごんだ直助なおすけ近藤こんどう芳樹よしき平田ひらた鐵胤かねたね落合おちあい直亮なおすけ千家せんげ尊澄たかすみ久米く め幹文もとぶみ稻葉いなば正邦まさくにそのの人々だつた。また栗田くりだひろし丸山まるやま作樂さらく三島みしま通庸みちつね黑田くろだ淸綱きよつならの人々も、各方面から神道しんどう振興しんこうにつくしたのである。

 以上に伴ひ、おのづから起生きせいしたのは、排佛はいぶつ毀釋きしゃく佛敎ぶっきょう排斥はいせき運動だつた。江戸時代に神道しんどうしのいでゐた佛敎ぶっきょうは、ここに至つて、手ひどい排撃はいげきを受けた。それは何によるか。一つは、國學こくがく及び水戸學みとがく鼓吹こすいによる。國學こくがくでは主として儒敎じゅきょうしりぞけたが、佛敎ぶっきょうに向つても反對はんたいした。水戸學みとがくとなると、全力を佛敎ぶっきょう排撃はいげきに用ひ、藤田ふじた東湖とうこ會澤あいさわ正志せいしなどの有力な思想家が、力を極めて、佛敎ぶっきょう弊害へいがいを指摘し、その非國家的なところに不滿ふまんの意をひょうした。

 水戸學みとがく巨擘きょはく藤田ふじた東湖とうこは、『弘道館こうどうかん記述義きじゅつぎちゅう佛敎ぶっきょうの害を論じて、當時とうじの上下があらそつてこれにはしつた理由を論斷ろんだんしてゐる。少し長文ではあるが、引用する。

そもそ浮圖ふ との害、古人こじんこれを論ずることつまびらかなり。怪妄かいもう虛誕きょたんもとよりふに足らず。しかさかんなるれが如きは、ゆえ何ぞや。いわく、愚冥ぐめいたみ、信じてほうじ、智巧ちこうしてを使ひ、純明じゅんめい剛毅ごうきの人、にくんではいし、姦詐かんさ狡黠こうきつぞくしてを用ふ。はいする者未だ必ずしもの道を得ず。之を用ゐる者あるいわたくしをなす。佛法ぶっぽうさかんなる、もとれにる。何をか信じて之をほうずといふか。富貴ふっきなる者は死後の貧賤ひんせんを恐れ、患難かんなんなる者は身後しんご安樂あんらくねがひ、の善をなす者は彼岸ひがんに到らんと欲し、あくをなす者は呵責かしゃくまぬがれんことをいのる。また信じて之をほうずるにあらずや。何をかして之を使ふといふか。しゅうみなほとけを信ず。ひとり之にたがふは不智ふ ちなり。說妄せつもういえども、以て愚俗ぐぞく勸懲かんちょうするに足る。いやしくも我がおぎなふあらば、何ぞ夷狄いてきの法を嫌はんと。またして之を使ふにあらずや。異端いたんの民に害あるは、疾病しっぺいの人に於けるが如し。疾病しっぺいを治むる者は元氣げんきを養ひ、異端いたんはいする者は大道だいどうおさむ。いたずら攻擊こうげき驅除くじょしてかいを一に取れば、禍變かへんげきする所、まさに救ふべからざるものあらんとす。またこれはいする者、未だ必ずしもの道を得ざるにあらずや。愚俗ぐぞくほとけを信ずるはみなよくしたがふなり。今ほとけほうじて之を率ゐる時は、しゅうわれとうとぶことなおほとけとうとぶ如くならん。しかのち、彼はむし君父くんぷそむくとも、ほとけれとにはそむかず。れの大欲たいよくここに於てかたくましくすべきなり。これまた之を用ふるもの、あるいわたくしをなすにあらずや。嗚呼あ あ天下のひろき、愚冥ぐめいの民、十に七八にる。智巧ちこうの一二にる。ほとけほうずる者、滔々とうとうとして日にしげし。純明じゅんめい剛毅ごうきの人に至りては、わずかに十一を千百にそんす。しかして又あるい禍敗かはいまぬがれず。大道だいどうあきらかにし、元氣げんきを養ひ、の民を仁壽じんじゅの域に進むる所以ゆえんのもの、寥々りょうりょうとしてはなはすくなし。まん一、姦詐かんさ狡黠こうきつの賊、胡敎こきょう(佛敎)にりて以て民心みんしんに結び、滔々とうとうとして日にしげしゅうして、寥々りょうりょうはなはすくなき人をつくし、以て大欲たいよくたくましくせんとすれば、茫々ぼうぼうたる宇宙、西戎さいじゅうたらざるもの幾何いくばくぞ。當路とうろの人深くはかり、遠くおもんばかつて、異日いじつ不慮ふりょへんおうずる所以ゆえんを思はざるべけんや」

 更に水戸學みとがく權威けんい會澤あいさわ正志齋せいしさいは、『新論しんろん』のうちで、神道しんどう高調こうちょうし、これを以て敎化きょうかとせねばならぬことを論じた。所論しょろん純正じゅんせい參考さんこうとすべく、當時とうじ志士し しは、いづれも新論の意見に共鳴したのである。

「昔は天祖てんそ神道しんどうを以ておしえを設け、忠孝ちゅうこうあきらかにし、以て人紀じんきを立つ。萬世ばんせいを維持する所以ゆえんのもの、もとよりすで瞭然りょうぜんたり。太古たいこに始りて、無窮むきゅうる、天孫てんそん奉承ほうしょうし、以て皇化こうかひろむ。天祖てんそおしえを設くるの遺意い いあらざるなし。太祖たいそ(神武天皇征戰せいせんつね神威しんいり、以て成功をす。(太祖の中土を平ぐる、先づ神祇を禮祭す。背には日神の威を負ひて進戰す。其の韴靈ふつのみたまの劍を堤げ、及び頭に八咫や た烏を以て嚮導となす等の如き、皆天神の敎を奉ずるもの、而して天神地祇を丹生川上に祭り、道臣みちおみに勅して、高皇產靈尊を祭るの類、皆神威に仗らざるなし)中州ちゅうしゅうを定むるに及び、靈畤れいし鳥見と みに立て、皇祖こうそ天神てんじん報祭ほうさいし、以て大孝たいこうぶ。(中略)神地しんち神戸こうべを定めて百しん供奉ぐ ぶおのおのつねあり、たみ、朝廷の神祇じんぎけいするを知る。兵器を用ゐてかみを祭り、つて以て軍令ぐんれいぐうす。しかして險要けんようまもりあり、たみ、朝廷のおかすべからざるを知り、しかして益々ますますこれを畏敬いけいす・・・たみ、朝廷を尊奉そんぽう畏敬いけいし、しかしてそむく者はおのずかたいらぎ、埴安はにやす振根ふるねの如ききびすめぐらさずしてりくく。神道しんどうすであきらかにして、列聖れっせい繼紹けいしょうし、祀典してんを四方にわかち、みなぶんなきをちっす」

 以上の如き思想が、王政おうせい復古ふっこと共に擡頭たいとうしたので、それが大敎だいきょう宣布せんぷ運動にともなひ、猛烈もうれついきおいを以て、排佛はいぶつ毀釋きしゃくといふ現象をていするに至らしめたのであらう思はれる。

 この運動の最初は、必ずしも、猛烈もうれつ・極端な傾向をびてゐたのではない。神佛しんぶつ混合の內容を區別くべつし、純粹じゅんすい神道しんどうの意義をはつきりさせる事に力を注がれた。すなわ明治元年、諸國の神社じんじゃ別當べっとう社僧しゃそう復飾ふくしょくさせ、また佛像ぶつぞうを以て神體しんたいとする神社じんじゃあらためしめた。社前しゃぜん佛像ぶつぞう佛具ぶつぐを置いたものは、ことごとく取りはらはせたのである。同年四月、石淸水いわしみず八幡宮はちまんぐうなどの菩薩號ぼさつごう廢止はいしして、佛意ぶついの混入をはいし、ぎに八幡宮はちまんぐう及び北野きたの天滿宮てんまんぐう魚味ぎょみ供進ぐしんしてよい事にした。茲迄ここまでは、大體だいたい穩當おんとうだつたが、いきおいげきするところ、ほとん底止ていしせず、あるい神宮寺じんぐうじ破壞はかいし、あるい僧侶そうりょ迫害はくがいし、あるい佛事ぶつじ寶物ほうもつとするところを燒棄しょうきするに至つた。このてんは、中正ちゅうせいむねを失ひ、極端に流れたといふ非難をまぬがれないが、當時とうじの情勢上、むを得なかつたものと思はれる。

 この機會きかいに、日本神道しんどうの本質について、一げんするの必要を切に感ずる。率直にいふと、神道しんどう精神せいしんは、むしろ今後に發揚はつようされ闡明せんめいされるのであらうと思ふ。在來ざいらいは、いろいろと、神道しんどうについていたものがあるけれども、まだ十分に、その本質を究明きゅうめいしてゐないうらみがある。しかしそれは、現代の道家しんどうか神道しんどう學者がくしゃの責任だとのみは、いひがたい。その由來ゆらいするところ、すこぶる久しいのである。

 神道しんどう精神せいしんが、十分、日常の云爲うんいの上に生かされてゐた古代においては、そこに何ら學的がくてき說明せつめいを必要としなかつた。敬神けいしん心持こころもちは、朝廷及び有司ゆうしにゆきわたり、崇祖すうその考へは、一般にとどいてゐた。同時にその標目ひょうもくとし、聖典せいてんとするところは、祝詞のりとの上にあつて、それだけで、こと足りたのである。一げんにしていへば、神道しんどうを論じ、神道しんどうこうずるものが、一人もなくとも、神道しんどうの本質は、立派に行はれた。

 左樣そ うした時代においては、神道しんどうが日常生活の基調となり、無意識のうちに、各自が神道しんどうを行つたのである。しかながら、物にはおのづから本末ほんまつがあつて、大體だいたいの上から、そのもとについていふと、政敎せいきょう祭政さいせいといふことが、基本をしてゐたと思ふ。かみつかへる心を以て政治をし、神を祭る心を以て、政治を行ふ。それが一つの根本思想であつた。

 すでに『道德どうとく敎育きょういく篇』においても述べて置いたが、忠孝ちゅうこうぽんの思想は、早く古代から日本で行はれてゐた。ちゅうとは何ぞや、こうとは何ぞやといふ解釋かいしゃくと理論とは、支那し なからおしへられたけれども、忠孝ちゅうこうぽんの心を如實にょじつに日常行爲こういの上にあらはすことは、何も支那し な儒學じゅがくによつて、おしへらるるの必要がなかつたのである。一たい、日本は、その國民性の特質として、道德上、實行じっこう實踐じっせん主眼しゅがんとし、理論の組織・發展はってんについては、必ずしも重きを置かない。本居もとおり宣長のりながこれを「ことあげせぬ」とつてゐる。

 一たい道德どうとくは、理論のために存在するのではなく、實行じっこうのために存在する。いかに支那し なの『書經しょきょう』において、政治の理論がたくみにかれてゐようとも、『論語ろんご』において、道德の講說こうぜつが巧みに行はれてゐようとも、支那人しなじんの如く、これをほとん實行じっこうしないときは意義をさぬ。勿論もちろん、理論・講說こうぜつとても、まるで必要なしとはしない。一般人に、これを知らしめるためには、これを必要とする場合も多い。けれども支那し なにおける如く、理論・講說こうぜつ相當そうとう發達はったつしてゐても、肝腎かんじん實行じっこう實踐じっせんともなはないとすると、きょうざめた次第ではないか。何のために、『書經しょきょう』があり、『大學だいがく』があるのか、何のために『論語ろんご』があり、『中庸ちゅうよう』があるのか。實行じっこう實踐じっせんあたるものがすくなくては、孔子こうし長大息ちょうたいそくせざるを得まい。老子ろうしは以上の如き弊害へいがいあきたらないで、「大道だいどうすたれて仁義じんぎあり」と叫んだのである。

 ところが、日本の場合になると、「仁義じんぎすたれて大道だいどうあり」とはねばならぬ。古代日本では支那し な儒者じゅしゃのやうに仁義じんぎをやかましくはなかつたけれども、仁義じんぎは行はれてゐたとへる。ことばすこしく奇矯ききょうしっしたが、つまりひらたくふなら、神道しんどうを論じ、神道しんどうこうずるものがゐなくとも、神道しんどう實行者じっこうしゃは、一部に存在したのである。その指揮にあたられたのは、朝廷であつた。

 神道しんどうは、忠孝ちゅうこうぽんを基調とする宗敎しゅうきょうである。少くとも、忠孝ちゅうこうぽんの考へ方は、早く神道しんどうの上にあらはれてゐる。かうした國民的宗敎しゅうきょうは、世界に類がない。支那し な儒敎じゅきょうは、むしこうに重きを置き、ちゅうといふことは割合にかるく取扱つてゐる。のみならず、その根本は、「じん」または「仁義じんぎ」の力說りきせつにあつて、ちゅうについては、これを力說りきせつしてをらぬ。佛敎ぶっきょう・キリストきょうになると、佛陀ぶっだへの絕對ぜったい服從ふくじゅう、ゴツドにたいする絕對ぜったい歸依き え力說りきせつするけれども、忠孝ちゅうこうについては、一げんれてをらぬ。

 ところが、神道しんどうは、忠孝ちゅうこうぽん宗敎しゅうきょうであり、日本の國民性に最もふさはしい宗敎しゅうきょうである。皇祖こうそ神武じんむ天皇は、忠孝ちゅうこうぽん精神せいしんをその御行爲ごこういの上に實現じつげんせられ、はんを一般に向つて示された。すなわ道義どうぎ肇國ちょうこくむねによつて、東征とうせいして中國ちゅうごくを平定せられ、平定後、御祖先ごそせん御靈みたま誠敬せいけいをいたして、これを鳥見と みの山中に祭られたのは、忠孝ちゅうこうぽん精神せいしん實現じつげんあらせられたのである。大孝たいこうは、やがて大忠たいゆうであり、大忠たいちゅうはやがて大孝たいこうだつた。神武じんむ天皇が、大孝たいこう御祖先ごそせんの前にべられたことは、やがて大忠たいちゅうであるとしょうしてよからうと思ふ。

 またこれを臣下しんかの例に取つて見ると、帝室ていしつつかへて近衞兵このえへい重任じゅうにんあたつた久米く め大伴おおともは、一方においては、その祖先そせんの名を重んじて一致結束し、一方においては、帝室ていしつ恩寵おんちょう銘記めいきして、主上しゅじょうのために一死をおしまなかつた。すなわち彼等は、忠孝ちゅうこうぽん精神せいしんに生き、忠孝ちゅうこうをそのまま日常生活の上に實現じつげんしたのである。

 以上の如く考へると、忠孝ちゅうこうぽんといふことは、古代から日本に行はれたことで、それは、支那し な流にただ文字の上の知識として存在したのではない。ただちに、國民こくみん精神せいしんの中核として、實踐じっせんされたのであつた。道德どうとくについて、考へる前に行ひ、論ずる前に實行じっこうする。それが、日本の一特色をしてゐる。

 したがつて、祭政さいせいといふことについても、別段、理論はない。『書經しょきょう』の如く、巧みにいた書物はない。けれども、それは立派に實行じっこうせられてゐた。祭政さいせいといふことを現代流儀りゅうぎにわかりやすくいふならば、政治そく敎化きょうか敎化きょうかそく政治である。いひかへると、「政治は敎化きょうかなり」といふことになる。今日こんにちは、政治は政治、敎化きょうか敎化きょうかといふ風に分割されてゐて、ばらばらになつてしまつてゐる。そこに何らの聯絡れんらくがない。ところが、古代においては、政治そく敎化きょうか敎化きょうかそく政治のむねが立派に行はれてゐた。

 古代神道しんどう精神せいしんによると、「かみの心に隨順ずいじゅんして、政治を行ふ」といふことが、第一義的なものとされてゐた。大祓おおはらい祝詞のりとしょうすると、左樣そ うした精神せいしん生々いきいきとよくあらはれてゐる。勿論もちろん、神といつても、それはキリストきょうにいふゴツドではない。また世上せじょう漠然ばくぜんといふ神ではない。『古事記こ じ き』『日本にほん書紀しょき』に現はれた天照大御神あまてらすおおみかみのことである。

 天照大御神あまてらすおおみかみは、中正ちゅうせい公明こうめい精神せいしん發揮はっきせられ、政治を振肅しんしゅくし、產業さんぎょうおこし、眞善美しんぜんびの調和を示された。神道しんどうにおいて、「神の御心みこころ隨順ずいじゅんして政治を執り行ふ」といふのは、かうした大御神おおみかみ御心みこころ隨順ずいじゅんし、その御心みこころ奉戴ほうたいしてゆくといふ意味である。したがつて、大祓おおはらい祝詞のりとは、大御神おおみかみ御心みこころ隨順ずいじゅんした精神せいしんの一發現はつげんにほかならない。

 大祓おおはらい元來がんらい淸淨せいじょう淸白せいはく淸潔せいけつなどの精神せいしんもとづき、國の罪穢ざいえ・個人の罪穢ざいえを一切はらきよめるといふ意味をあらはしてゐる。神道しんどうでは、最も罪穢ざいえむ、俗に「けがれ」なるものをげんむ。この「けがれ」をむ心は、やがて、淸淨せいじょう淸白せいはく淸潔せいけつとうとむ心たらざるを得ない。每年まいねん六月・十二月に國の罪穢ざいえ・個人の罪穢ざいえはらきよめることによつて、國の政治を淸淨せいじょうにし、國民の生活を淨化じょうかする。これが何よりも、必要である。政治の意義を正しく實現じつげんしてゆくには、日常の政治が淸淨せいじょうでなくてはならぬ。國民の生活を正しくしてゆくには、彼等の云爲うんいするところが、淸淨せいじょうであらねばならぬ。これが國家を發展はってんし、國民を向上せしむべき根本の原則である。したがつて、神道しんどうに於ける大祓おおはらいの思想は、その道德的どうとくてき意義をはつきりと高調こうちょうしてゐるてんにおいて、政治そく敎化きょうか敎化きょうかそく政治の精神せいしんれてゐる。

 以上のやうな考へは、西洋の政治思想にはない。君主と國民とが雙方そうほう利益りえき本位の契約を結んで、何事も事務的にはこばうといふのが、西洋政治のかたである。それゆえ、日本において、大祓おおはらいをして、一年に二かい(六月・十二月)は必ず政治上の反省をし、誤つたことがあれば、これを改め、行屆ゆきとどかぬてんがあれば、それを補ふといふ風に、誠實せいじつにしておごそかな心持こころもちで政治を振肅しんしゅくしてゆかうとするのは、神道しんどうによつて示された最も正しい道であると思ふ。

 民間には、年中行事として、一年二かいの掃除を行ふが、それは家に附著ふちゃくする一切のちりを除かうといふのであつて、これ又精神的せいしんてきによき影響をあたへる。大祓おおはらいに至つては、一切の心の塵、政治の上にたまつた塵をすつかりはらひ除かうといふのである。左樣そ うした塵があまりに多くて、しかはらひ去つたことがない現代日本の政治界などは、この大祓おおはらい精神せいしんについて、しんみり考へて見る必要がなからうか。

 更に皇室におかせられて、神道しんどうむねにより、御祖先ごそせん御靈みたま嚴肅げんしゅくうやうやしくまつられるといふことは、そこに(一)御祖先ごそせん道義どうぎ肇國ちょうこく道義どうぎ建國けんこく御旨おんむ奉承ほうしょうしてゆくこと、(二)御祖先ごそせんが政治上心からつくされた御功勞ごころう銘記めいきし、その恩寵おんちょう敬謝けいしゃすること、(三)御祖先ごそせんの前で、さながらにその御靈みたま髣髴ほうふつ眼前がんぜんはいする如き至誠しせいの心を以て政治にあたるべきことを意味してゐる。古代に於て、祭事さいじ重要視じゅうようしせられ、祭事さいじが政治の主要な部分を形造かたちづくつたのは、かうした意義による。祭政さいせいといふことも、ここにその淵源えんげんを有する。そこには、多分の道德どうとく思想が加はり、それが政治と固く結び付いてゐる。したがつて、現代人が、祭事さいじかるく見る心を以て、かうした祭政さいせいの思想を解釋かいしゃくしようとするならば、それは大きいあやまりである。現代人の一ぱんは、以上の如き神道しんどう精神せいしんを知らない。彼等は日本の神々かみがみも、キリストきょうのゴツドも、同一だといふ風に考へてゐる。左樣そ うした頭では祭政さいせいの思想はわからぬ。

 以上に述べたやうに、祭政さいせいの思想は、正しい道德的どうとくてきな考へと正しい政治上の考へとが一つに結び付いてゐる。祭事さいじによつて道德どうとくの意義、政治の意義を正しく示し、それによつてよき實行じっこうへ、よき實踐じっせんへの道をも示してゐる。「政治は敎化きょうかなり」といふことが、ここにはじめて高調こうちょうせられる。それは政治を事務とし、政治を機械とし、政治を百貨店化し、政治をスポオツ化する歐米おうべいの考へ方などと餘程よほどちがふ。それらにくらべると、ずつと高尙こうしょうだ。また奥深く、おもむきが優れてゐる。ところが、現代日本人のうちには、祭政さいせいの思想を一向知らないで、かえってスポオツ化し、百貨店化した西洋の政治を有難がり、それを以て一番、進歩したものの如く考へてゐる無智む ちが少くない。彼等は、左樣そ うした淺薄せんぱく低劣ていれつな頭を改造して、祭政さいせい思想の由來するところを知らねばならぬ。

 右の如く、神道しんどうの中には、道德どうとく上においても、政治上においても、重要な思想を含み、忠孝ちゅうこうぽんの考へもここにもとづき、政治そく敎化きょうかの考へもここに源流を持つ。それらから見ても、しんに國民性に深い根を張つた獨自どくじ宗敎しゅうきょうであることがわかる。また神道しんどうにおいて、(一)國家の偉人を神として祭り、忠誠ちゅうせいのために生命を國に捧げた人々を神として祭ること、(二)神道しんどう祭式さいしき嚴肅げんしゅくうち快活かいかつの意をぐうし、快活かいかつうち嚴肅げんしゅくな意をぐうして、佛敎ぶっきょうの儀式に於けるやうな悲哀ひあい悽涼せいりょうおもむきを全然持たぬ事なども、一つの特長として考へられる。ただ在來ざいらい神道しんどう儒意じゅいを加へ、あるい佛意ぶついへて、その純粹じゅんすい性を害し、あるい固陋ころう淺劣せんれつの考へによつて、これをいために、神道しんどうの本質を誤解されるやうな弊害へいがいの多かつたことは、最も遺憾いかんに堪へないところである。

 更にの一面から、神道しんどうを見ると、その內容は、わたくしらの信ずる生命主義の哲學てつがくとぴたりと合ふところがある。神道しんどうでは、天御中主神あめのみなかぬしのかみを宇宙の創造神そうぞうじんとし、高皇產靈神たかみむすびのかみ神皇產靈神かみむすびのかみ造化神ぞうかじんあおいでゐる。また日本國土の創成神そうせいじんとして、伊邪那岐い ざ な ぎ伊邪那美い ざ な みの二じんを有する。

 以上の神々が、種々しゅじゅ盡力じんりょくせられたのちあらはれた天照大御神あまてらすおおみかみは、大生命力だいせいめいりょく象徵しょうちょうとしてあおがれる。普通、太陽のシムボルがすなわ天照大御神あまてらすおおみかみであらせられると解釋かいしゃくされ、太陽そのものの如くうららかに、明るく、公平で、中正ちゅうせいで、無限の仁慈じんじを示してをられる。素盞嗚尊すさのをのみことが、高天原たかまのはら亂暴らんぼうされた時、天照大御神あまてらすおおみかみがその御姿おすがたかくされると、天上界も下界もことごとく闇となり、いろいろの邪神じゃしんがはびこり騒いで、一切の平和と歡樂かんらくとを打壞うちこはしたといふことが、神代史しんだいしに記されてゐる。これを憂へた神々が、再び大御神おおみかみ天岩屋あまのいわやから誘ひ出しまゐらせたとき、すべての闇黑あんこくは去り、光明こうみょうの世界がたといふことを記されてゐる。

 この一を見ても、天照大御神あまてらすおおみかみが、正義・光明を象徵しょうちょうしてをらるることがわかる。その他、高天原たかまのはらの政治を指導せられ、產業さんぎょうおこされ、とうとび、天業てんぎょう擴張かくちょう御心みこころを注がるるなど、生々せいせい無限むげんの活動をなされた。そこにはちない、ほろびないところの大生命力そのものを表示せられてゐる。

 思ふに、近代西洋哲學てつがくは、何事も物質本位に解釋かいしゃくし、この宇宙もことごとく物質から成り、人間の頭腦ずのう灰白色かいはくしょくの物質から形作かたちづくられ、その活動は、のうの反射作用によるといふ風に解釋かいしゃくしてゐる。けれどもそれだけでは、この宇宙・人間を解釋かいしゃくない多くの神秘しんぴがある。多くの不可思議がある。この場合、彼等は、何らの徹底した解釋かいしゃくを加へることが出來ない。ここに近代西洋哲學の大きい誤りがある。

 とつて、印度インド支那し なの如く一切を唯心ゆいしん本位ほんい解釋かいしゃくし、この宇宙も、この人間も、心のあらはれであり、心から成立つと見るのも、かたよつた考へである。一切を精神せいしん本位ほんい解釋かいしゃくするとなると、あまりに主觀しゅかんとらはれ、客觀界かっかんかいのことを輕視けいししてしまへいがある。そこで、日本流の生命哲學てつがくからいへば、この宇宙、この人間は、物質・精神せいしんの二大原素げんそから成り、これを統御とうぎょし、指導してゆく一大生命力だいせいめいりょくが、背景をしてゐると見る。いひへると、生命力が靈動れいどう的にこの宇宙の活動・人間の云爲うんいを統一し、指導してゐるのだ。人間は時として物を主として動き、また時には、精神せいしんを主として動く。が、これを統一、指導してゆく生命力によつて、いつも支持せられぬことはない。その不可說ふかせつの現象、不可言ふかげん神秘しんぴも、つまりは、生命力の靈動れいどうによるにほかならない。

 神道しんどうにおいては、天照大御神あまてらすおおみかみが、大生命力の發現はつげんとしてあおがれるが、つまり、人間個々の生命力は、當然とうぜん、宇宙をつらぬく一大生命力によつて、統一されねばならない。この無限むげん生々せいぜい無限むげん靈動れいどうの大根本であらせらるるのが天照大御神あまてらすおおみかみであると拜察はいさつする。すなわちそこには、西洋流の物にかたよつた姿を見ない。また印度インド支那し な流の精神せいしんかたよつた姿を見ない。物と精神せいしんとを統一し、一かんするところの大生命力の發動はつどうを見るのみである。したがつて、日本においては、物質本位に物を考へたり、精神せいしん本位に一切を解釋かいしゃくしたりしない。たとひ、一變則へんそく的に左樣そ うしたことがあつても、やはり、物心ぶっしん調和の道へ還元する。

 神道しんどうの考へ方は、物心ぶっしん調和にあり、物心ぶっしん統一にある。これが根柢こんていすのは、生命力であり、その生命力によつて、宇宙の作用もすこやかにされ、人間の働きもまたすこやかになされる。かうしたすべての生々せいせい光明こうみょうに生きてゆく根源は大生命力の象徵しょうちょうであらせらるる天照大御神あまてらすおおみかみで、大御神おおみかみの指導のもとに、一切が正しく、一切が明るく、無限の進展をしてゆくのである。

 神道しんどうには、以上の如き哲學てつがく的な傾向があつて、それが、わたくしらの信ずる生命主義の哲學てつがくと一致するやうに思はれる。それは、西洋・支那し な印度インドにおいては、あまり見ない哲學てつがくである。大生命の無限・無窮むきゅうの流れ!そのながれ沿うてゆく物質の伸長しんちょう精神せいしんの飛躍!日々に新しく、刻々こくこくに新しく、しかも正しいうちに進む。神道しんどうの思想には、かうした積極的の意義があるやうに思はれる。これもまた神道しんどうの本質中、主要分を構成する思想の一つである。

 一たい、日本國民本來ほんらいの性質は、過去に執著しゅうちゃくせず、未來みらい―死後のことについて深く考へず、主として現世げんし的で快活かいかつであり、明朗めいろうであり、活潑かっぱつであり、單純たんじゅんでもあつた。同時に、進取しんしゅ的だつた、樂天らくてん的だつた。ところが小乘しょうじょう佛敎ぶっきょうによつて、厭世えんせい的な考へと、過去の罪業ざいごうや死後の冥福めいふくといふやうなことをおしへられ、次第に暗い思想を不知々々しらずしらず附加ふ かするに至つた。奈良・平安時代厭世えんせい思想は、おおむ小乘しょうじょう佛敎ぶっきょうに根ざしてゐる。

 それから儒敎じゅきょうに於ける道學どうがく先生せんせいふうつたはつて、日本國民の一部を偏固へんこならしめたところがある。孔孟こうもうの本意は、必ずしも偏固へんこな人物を養成する上にはない。けれどもその末流は儒書じゅしょ拘泥こうでいして、偏固へんこ習癖しゅうへきを作つてしまつた。左樣そ うした影響が日本國民の持つのびのびした性質を妨げたことはいながたい。

 それに、支那し な道敎どうきょう思想もまた、日本に流れる入いつて、いろいろの迷信めいしん分子を撒布さんぷした。それは、人間性弱點じゃくてんにつけつて、禍福かふく吉凶きっちょう豫言よげんするとか、方位その他について、種々しゅじゅ虛說きょせつすとか、乃至ないしは、人間の運命を判斷はんだんするとかいふ方面に手をひろげた。それらのために、在來ざいらい迷信めいしん分子の割合に少かつた國民は、奈良・平安時代つて、いちじるしく迷信めいしん的となつた傾向がある。

 勿論もちろん外來がいらい思想によつて、えきせられたところも少くはないが、少くとも、國民性の明朗めいろう快活かいかつ活潑かっぱつてんに、いろいろの隱影いんえいを投射せられ、じゅんせいを損はれたことはおおがたい。それらの日に神道しんどう關係者かんけいしゃが、もつと奮發ふんぱつしてその原理を發揚はつようし、積極的に國民に働きかけたら、國民性の純一を、もつと確持かくじすることが出來たらうと思ふ。昭和の純正じゅんせい神道しんどう新興しんこうを要求するの日、切に神道しんどう闡明せんめい發揚はつようを期待したい。

 ほ以上の言葉にたいして、佛敎ぶっきょう方面の人々は、「日本國民に厭世えんせい思想を吹込んだのは、そのせめ小乘敎しょうじょうきょうの上にはない。日本國民の上にある」とはるるかも知れぬ。また儒敎じゅきょう側も「日本國民に偏固へんこな考へを吹込んだのは、儒敎じゅきょう本來の性質によらない。偏固へんこおちいつたのは、國民の罪だ」とはれるであらうと思ふ。この抗議は正當せいとうである。

 無論、當時とうじ有識ゆうしき階級が、思想上、もつとしつかりしてをれば、左樣そ うした影響を受けずにしまつたらう。けれども識者しきしゃ階級が思想的に深味ふかみき、批判・剖析ぼうせきする力が十分でなく、思想善導ぜんどうの能力にとぼしかつた以上、いきお小乘敎しょうじょうきょう眞意しんい闡明せんめいしたり、儒敎じゅきょうの本質を高調こうちょうしたりすることが出來なかつた。そこに日本國民の解釋かいしゃく力の不足はあつたらう。が、厭世えんせい的に、もしくは偏固へんこ的に流れしむるだけの要素が、佛敎ぶっきょうの上に儒敎じゅきょうの上に、まるでなかつたとはがたい。ここわたくしら相互の反省すべき餘地よ ちがあらうと思ふ。