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55 氷川神社を武藏國の鎭守と爲すの勅語 明治天皇(第百二十二代)

氷川ひかわ神社じんじゃ武藏國むさしのくに鎭守ちんじゅすの勅語ちょくご明治元年十月十七日 法令全書)

崇神祇重祭祀、皇國大典、政敎基本。然中世以降、政道漸衰、祀典不擧、遂馴致綱記不振。朕深慨之。方今更始之秋、新置東京、親臨視政。將先興祀典、張綱紀、以復祭政一致之道也。乃以武藏國大宮驛氷川神社、爲富國鎭守、親幸祭之。自今以後、歳遣奉幣使、以爲永例。

【謹譯】神祇じんぎたっとび、祭祀さいしおもんずるは、皇國こうこく大典たいてん政敎せいきょう基本きほんなり。しかるに中世ちゅうせい以降いこう政道せいどうようやおとろへ、祀典してんあがらず、つい綱記こうき不振ふしん馴致じゅんちす。ちんふかこれがいす。方今ほうこん更始こうしときあらたに東京とうきょうき、したしくのぞみてまつりごとる。まさ祀典してんおこし、綱紀こうきり、もっ祭政さいせいみちふくせんとす。すなわ武藏國むさしのくに大宮驛おおみやえき氷川ひかわ神社じんじゃもって、當國とうごく鎭守ちんじゅし、したしくみゆきしてこれまつる。自今じこん以後い ごとしごとに奉幣使ほうへいしつかわし、もっ永例えいれいとなす。

【字句謹解】◯氷川神社 大宮町おおみやまちにある官幣かんぺい大社たいしゃで、祭神さいじん大己貴命おおなむちのみこと素盞嗚尊すさのおのみこと稻田姬命いなだひめのみことである。〔註一〕參照 ◯鎭守 まもがみのこと ◯神祇 天地の神々 ◯皇國の大典 我が日本で非常に重大視じゅうだいしする儀式の意、〔註二〕參照 ◯政敎の基本 政治及び國民敎育の根本 ◯祀典擧らず 神を祭る儀式が盛大とならない ◯綱記の不振 のこと、國家の基礎となる大本たいほんの方針が衰へること、大本たいほんの方針とは天照大御神あまてらすおおみかみ神勅しんちょくによつて國運こくうん發展はってんをはかることである ◯馴致す まねきたす ◯更始の秋 萬事ばんじが改め始められる時、これは明治維新きゅう封建ほうけん政治を破壞はかいして、全く王政おうせい復古ふっこ實現じつげんしたことをいふ ◯新たに東京を置き 江戸を東京と改め、皇都こうとと定められた ◯親しく臨みて 御親政ごしんせいあらせられる意 ◯祭政一致の道 政治と神事しんじとが一致する道。〔註三〕參照 ◯當國 武藏國むさしのくにの意 ◯永例 永久の規定。

〔註一〕氷川神社 氷川ひかわ神社じんじゃの起源に就いては、孝昭こうしょう天皇御代み よ勅願ちょくがんつて建立こんりゅうしたとするせつと、日本武尊やまとたけるのみこと東征とうせいの時に勸請かんじょうしたといふせつと二せつある。その後天平てんぴょう神護しんご二年に朝廷から神戸かんべを寄せられたのを始めとしてしょう位上いじょうにまで昇り、慶長けいちょう九年には社領しゃりょう三百こくとなり、明治に至つて官幣かんぺい大社たいしゃとなつた。祭祀さいし每年まいねん十二月十日に行はれる。

〔註二〕皇國の大典 神祇じんぎ崇拜すうはいは日本固有の天地の諸神しょじんを祭る意で、天照大御神あまてらすおおみかみ御血統ごけっとうにまします天皇御統治ごとうちある日本では、全くの國々と比較出來ない程の重大さが加はるのであつた。

〔註三〕祭政一致の道 上古じょうこ天皇祭主さいしゅであり、政治的に日本の統治者にましまして祭事さいじを通じて敎化きょうかあたられ、政治と宗敎しゅうきょうあるいは政治と國民道德どうとくの基本とが一致してゐた。明治の御代み よになつて祭政さいせい祭敎さいきょうを特に主張されるのは、王政おうせい復古ふっこともな當然とうぜんの結果で、決してたんに表面的の修飾語ではなかつた。王政復古後は我が國上代じょうだいの政治方針を復活し、祭敎さいきょう一致・祭政さいせい一致がつよく呼ばれ、詔勅しょうちょくの上にも反映してゐる。

〔注意〕本勅ほんちょく以外、神事しんじかんし、左の如きみことのりがある。

(一)天神てんじん地祇ち ぎ鎭座ちんざ宣命せんみょう(明治二年十二月十七日、太政官日誌)(二)皇靈こうれい鎭座ちんざ宣命(明治二年十二月十七日、太政官日誌)(三)神靈しんれい鎭祭ちんさい勅語ちょくご(明治三年正月三日、太政官日誌)(四)惟神かむながら大道だいどう宣揚せんようするの勅語(明治三年正月三日、太政官日誌)(五)松尾祭まつおさい奉幣ほうへい宣命(明治三年四月十二日、太政官日誌)(六)欽明きんめい天皇てんのう御年祭ごねんさい奉幣ほうへい宣命(明治三年四月十五日、太政官日誌)(七)大友おおとも廢帝はいてい九條くじょう廢帝はいていおくりなたてまつるの宣命(明治三年七月二十三日、太政官日誌)

などが本勅ほんちょくを除いて拜誦はいしょう出來る。

【大意謹述】天地の神々かみがみまつつて、その祭事さいじ重要視じゅうようしするのは、我が日本の大きな儀典ぎてんで、それが政治や國民道德どうとくの根本となるのである。しかるに中世ちゅうせい以後に至るに及んで、皇室の權力けんりょく武門ぶもん跋扈ばっこなどにより時と共に衰へ、神々の祭祀さいしも盛大にはならず、これが原因となつて結局我が國家こっか發展はってんの基本方針も不活潑ふかっぱつになつてしまつた。ちんすこぶるこの傾向を悲しく思ふ。現在は過去すう百年にわたつた武家政治をはいして、萬事ばんじが改め始められる時で、新しく江戸を東京と呼び、我が皇都こうととして、朕が萬機ばんき親政しんせいしてゐる。ゆえに朕はこの際にあたつて、第一に神々の祭典さいてんを盛大にし、我が國發展はってんの根本方針をその上に置き、上古じょうこに於いて實際じっさいに行はれた祭事さいじと政治との一致された道を復活する意志でゐる。このくわだてのもとに、今囘こんかい武藏國むさしのくに大宮驛おおみやえき鎭座ちんざされる氷川ひかわ神社じんじゃ武藏國むさしのくにまもがみあおぎ、朕がみゆきしてこれまつり、今後每歳まいとし幣帛へいはくたてまつる使者を派遣すべきことを永久に規定する。

【備考】このおおせをはいすると、あらたに東天とうてんに太陽をはいするやうな心持ちがする。古來こらい帝室ていしつにおかせられては、最も神道しんどうを重んぜられた。それは、古代から、おのづから發達はったつした惟神かむながら大道だいどうの上に、純粹じゅんすい國民こくみん精神せいしん發揚はつようしてゐるからだつた。

 したがつて、特に祖先そせん祭事さいじを大切にせられ、眞心まごころをつくして、祖先そせん御靈みたま奉祀ほうしされ、左樣そ うした恭敬きょうけい心持こころもちを以て政治にあたられた。すなわ祭事さいじは政治と離れることが出來ない關係かんけいにあつて、政事せいじすなわ祭事さいじ祭事さいじすなわち政治の精神せいしん發達はったつし、祭政さいせいを見たのである。

 ところが、中世に及び、藤原政治の失敗、武門ぶもん政治の連續れんぞくにより、神道しんどう尊崇そんそうするの道をおこたり、祭政さいせい精神せいしんまた衰へた。勿論もちろん鎌倉時代以來、神道しんどう思想の新興しんこうを見たが、佛敎ぶっきょうほどの盛大さを容易に見ることが出來なかつた。江戸時代に入ると、神道しんどう尊崇そんそうの思想があらたに起り、有力な神道しんどう宣傳家せんでんかあらはれ、國學こくがく及び水戸學みどがくの運動にともなひ、復古ふっこ神道しんどう擡頭たいとうを見た。すなわちそれは、佛意ぶつい又は儒意じゅい加味か みしないところの古代神道しんどうの復活だつた。かの尊王そんのう攘夷派じょういはの人々の多くは、いずれも神道しんどうを重んじ、この方面の知識を有したものが少くない。

 かうした趨勢すうせいのもとに、明治維新が來た。それは、王政おうせい復古ふっこを以て、呼ばるる如く、神道しんどう復古ふっこといふことが、一つの眼目がんもくだつた。古代に於けるそれのやうに、祭事さいじは政治であり、政治は祭事さいじだといふ精神せいしん復興ふっこうをそこに見たわけで、かうした思潮しちょう先驅せんくせられたのは明治天皇であらせられる。

 ここ勅書ちょくしょに示されてゐるやうに、氷川ひかわ神社じんじゃ恭敬きょうけいの意をささげられたのであるが、當時とうじ(明治二年)陛下は、九だん坂上さかうえ招魂社しょうこんしゃを設けられ、これを別格べっかく官幣社かんぺいしゃとし、維新いしん當初とうしょ、國にじゅんじた大誠忠だいせいちゅうを祭られたのである。明治天皇は、每年まいねん一月一日の四方拜ほうはいあたり、みずか祭事さいじをなされる。當日とうじつは午前四時に入湯にゅうとうして、玉體ぎょくたいきよめられ、五時に御拜ぎょはいを行はれる。それから每月まいげつ一日に月初旬祭つきはじめのじゅんさいがあつて、賢所かしこどころ皇靈こうれい神殿しんでんの三殿でん參拜さんぱいせられる。賢所かしこどころには三種の神器しんきの一つ、御鏡おかがみが祭られ、(これは伊勢大廟に鎭齋しまゐらせた神鏡の模造)皇靈殿こうれいでんには、神武じんむ天皇以來歷代れきだいの天子・皇后こうごう皇親こうしん神靈しんれいが祭られてある。神殿しんでんには、高皇產靈神たかみむすびのかみ神皇產靈神かみむすびのかみその他合せて八しん奉祀ほうししてある。この神殿しんでん祭事さいじは、一、吉田家の手により行はれたが、明治の御世み よと共に、更に八百萬神やおよろずのかみ合祀ごうしし、宮中で奉祀ほうしせらるるに至つたのである。以上三殿でん月初旬祭つきはじめのじゅんさいは、明治天皇において、みずからせられたのである。

 今、宮中に於ける大祭たいさい及び小祭しょうさい謹記きんきすると、左の如くである。

大祭 元始祭げんしさい(一月三日)紀元節きげんせつさい(二月十一日)春季しゅんき皇靈祭こうれいさい春分日)春季しゅんき神殿祭しんでんさい(同上)神武じんむ天皇てんのうさい(四月三日)秋季しゅうき皇靈祭こうれいさい秋分日)秋季しゅうき神殿祭しんでんさい(同上)神嘗祭かんなめさい(十月十七日)新嘗祭にいなめさい(十一月二十三日より二十四日に至る)先帝祭せんていさい(每年崩御日に當る日)先帝せんてい以前いぜんだい式年祭しきねんさい崩御日に當る日)先后せんこう式年祭しきねんさい(同上)皇妣こうひたる皇后こうごう式年祭しきねんさい(同上)

大祭に準ずる祭典 (一)天皇太后たいこう太后こうたいごう靈代みたましろ皇靈殿こうれいでん奉還ほうかんする場合。(二)皇室乃至ないし國家の大事を賢所かしこどころ皇靈殿こうれいでん神殿しんでん神武じんむ天皇山陵さんりょう先帝せんてい山陵さんりょうに親しく告げまゐらせる場合。(三)神宮じんぐう造營ぞうえいにより神宮じんぐう奉遷ほうせんする場合。(四)賢所かしこどころ皇靈殿こうれいでん神殿しんでん造營ぞうえいによつて、本殿ほんでんあるい假殿かりでん奉遷ほうせんする場合。

小祭 歳旦祭さいたんさい(一月一日)祈年祭きねんさい(二月十七日)賢所かしこどころ御神樂おかぐら(十二月中旬)天長節てんちょうせつさい(每年御誕生日に當る日)先帝せんてい以前いぜんだい例祭れいさい(每年崩御日に當る日)皇妣こうひたる皇后こうごう例祭れいさい(同上)歷代れきだい天皇式年祭しきねんさい(同上)

 以上の祭事さいじは、事故なき限り、明治天皇において、みずか御拜ぎょはいせられる。祭事さいじあたり、つつしんで、玉體ぎょくたいきよめられ、火もまたあらたにきよめられたのを用ひられた。事故ある場合、むなく、代拜だいはいを用ひられたが、その際も天皇誠敬せいけいをつくされ、必ず玉體ぎょくたいきよめられたのち、白の御召おめしはかまとを著用ちゃくようせられ、みずか御拜ぎょはいを行はれる心持こころもちで、かたちただして御座ぎょざ遊ばされた。そして代拜だいはいの人がそのつとめを事なく終へたことを復命ふくめいする迄、しずかに待たれたのである。

   に見えぬかみの心にかよふこそ

       人の心のまことなりけれ

   神垣かみがきあさまゐりしていのるかな

       くにたみとのやすからむ世を

   とこしへにくにまもります天地あめつち

       かみまつりをおろそかにすな

   あまてらすかみ御光みひかりありてこそ

       わがのもとはくもらさりけれ

 以上の御聖詠ごせいえいはいすると、明治天皇御敬神ごけいしん御心みこころが最もはつきりとわかるのである。