51 慈性親王を三宮に准ずるの勅 孝明天皇(第百二十一代)

慈性じしょう親王しんのうを三ぐうじゅんずるのみことのり文久二年五月 孝明天皇紀)

有德必得其位、有行必得其名。爰入道一品慈性親王、曩入峨山之法門、令居台嶽之貫首、顯密夙備、智鋒解衆生之惑。戒業全熟、德光照下界之暗。淸聲揚緇林、才華馨禁庭。寔是釋氏之棟梁、佛家之柱礎。嘉其嘉猷、感其美功。豈不授崇範乎。宜准三宮、加年官年爵、授封戸三千戸、一遵舊典。主者施行。

【謹譯】とくるものはかならくらいおこないあるものはかならここ入道にゅうどう一品いっぽん慈性じしょう親王しんのうは、さき峨山がざん法門ほうもんつて、台嶽だいがく貫首かんずらしめ、顯密けんみつつとそなはり、智鋒ちぼう衆生しゅじょうまどいけり。戒業かいごうまったじゅくし、德光とっこう下界げかいやみてらす。淸聲せいせい緇林しりんあがり、才華さいか禁庭きんていかおる。まことにこれ釋氏しゃくし棟梁とうりょう佛家ぶっけ柱礎ちゅうそ嘉猷かゆうよみし、美功びこうかんず。あに崇範すうはんさずけむらんや。よろしく三ぐうじゅんじて、年官ねんかん年爵ねんしゃくくわへ、封戸ふ こ三千さずくること、一に舊典きゅうてんしたがふべし。主者つかさどるもの施行しこうせよ。

【字句謹解】◯入道 佛道ぶつどうに入つた人、日本では、特に佛門ぶつもんに入つた三以上の人のしょう ◯一品 親王位階中いかいちゅうの第一 ◯峨山の法門 天台宗てんだいしゅう法門ほうもん峨山がざん叡山えいざんの事 ◯台嶽 天台宗てんだいしゅうの根本道場、延曆寺えんりゃくじのこと ◯貫首 法主ほっすに同じ。ここでは天台てんだい座主ざ す ◯顯密 顯敎けんぎょう及び密敎みっきょう顯敎けんぎょう顯露けんろおしえ小智しょうち衆生しゅじょう機根きこんを目安としていたあさ法門ほうもん密敎みっきょう秘奥ひおうおしえ絕對的ぜったいてき境地にれた深い法門ほうもん ◯智鋒 するど才智さいち ◯戒業 佛敎ぶっきょう戒律かいりつををさめる事 ◯德光 身に備つたとくの光 ◯淸聲 かんばしい名 ◯緇林 墨染すみぞめころもてんじて佛敎界ぶっきょうかいの事 ◯才華 立派な才能 ◯禁庭 王宮のうち ◯釋氏 佛敎ぶっきょうを意味す ◯礎柱 柱やいしずえすなわち中心 ◯嘉猷 よきはかりごとの義。ここでは善行ぜんこうこころざして成しとげたこと ◯美功 目ざましい功績 ◯崇範 とうと位階いかい功賞こうしょう ◯三宮 太皇たいこう太后たいこうぐう太后こうたいごうぐう皇后宮こうごうぐうの事 ◯年官年爵 年給ねんきゅうの事、年官ねんかんとは天皇太上皇たいじょうこう・三ぐう・皇太子・親王その他の所得とするために特に任補にんぽした諸國のじょうさかん史生ししょう等をひ、年爵ねんしゃくとは太上皇たいじょうこう・三ごうの所得とするために特にじょしたじゅふ。けだじょう公廨稻くげのいねの十分の三、さかんは同じく十分の二、史生ししょうは同じく十分の一を職祿しょくろくとし、じゅ五位は位田いでんちょうきゅうせられる規定で、それらの官位かんいぞくする收入しゅうにゅう年官ねんかん年爵ねんしゃくたまわつた人の收入しゅうにゅうとするのである ◯封戸 古昔むかし、皇族及び官位あるものにたいし、地方の戸口ここう若干じゃっかん田租でんその半額及び調庸ちょうようの全部をきゅうせられしこと。一ぽん親王しんのうたいしては、八百といふ規程きていになつてゐる。これを職封じきふともいふ。

〔注意〕本勅ほんちょく關係かんけいあるものを左にげる。

(一)天台てんだい座主ざ すを任ずるの宣命せんみょう安政六年九月)(二)天台座主を任ずるの宣命文久二年三月)

【大意謹述】人生において、道德どうとくを備へたものは、必ずそれにふさはしい地位を占め、また立派なおこなひをしたものは、必ずその名聲めいせいげる。實例じつれい慈性じしょう親王しんのうの上に見ることが出來ると思ふ。親王は、きに天台宗てんだいしゅうつて、修業を積み、一ざん管長かんちょう輪王寺宮)として重きをした。その學問がくもん顯敎けんぎょうのみならず、密敎みっきょうにもわたり、そのするどく、優れた佛智ぶっち世人せじんの道に迷へるものを目ざましめるに十分だつた。かく戒律かいりつを守る上に於てすつかり大成たいせいして、そのとくの光は人々の心の闇を照らし、名聲めいせいは全佛敎界ぶっきょうかいに響き、優れた才能は、宮廷に迄、周知さるるに至つた。以上の意味で、親王まさ斯界しかい棟梁とうりょうであり、またの中心の柱やいしずえたる人である。ちんの立派な佛敎上ぶっきょうじょう功勞こうろうや事業について深く感歎かんたんせざるを得ない。これを表彰すべく、ここに三ぐうじゅんじて、年官ねんかん年爵ねんしゃくを加へ、封戸ふ と三千を授ける。それはすべて在來ざいらいの式によるがい。當局者とうきょくしゃつつしんでこれを奉行ぶぎょうせよ。

【備考】慈性じしょう親王しんのうは、光格こうかく天皇皇子おうじで、天台宗てんだいしゅうに於ける自覺じかく大師だいし門流もんりゅうである。親王かつ天海てんかい僧正そうじょうが、京の叡山えいざん王城おうじょう鬼門きもん鎭護ちんごあたるにして、上野うえのしのぶおか東叡山とうえいざん寬永寺かんえいじ(圓頓院)を建て、第一開山かいざんとなつた系統を第十四のち繼承けいしょうされた。寬永寺かんえいじは二公海こうかい僧正そうじょうを除くと、は皆親王御身おんみを以て、住職となられて、輪王寺宮りんのうじのみやしょうし、日光山主にっこうざんしゅ及び叡山えいざん天台てんだい座主ざ すを兼任せられたのである。その學德がくとく高くゐらせられたことは、本勅ほんちょく御言葉おことばにより、あきらかで、宗風しゅうふう宣揚せんようすくなからずつくされた事も想察そうさつせられる。