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49-2 石淸水放生會に外患調伏を祈るの宣命 孝明天皇(第百二十一代)

石淸水いわしみず放生會ほうじょうえ外患がいかん調伏ちょうぶくいのるの宣命せんみょう(第二段)(嘉永六年八月 孝明天皇紀)

辭別、去六月、相模國御浦郡浦賀、夷又來利志加、無爲不經、飛帆志氐退奴禮止、近年屢近海奴禮波、防禦嚴止伊倍止毛、民心不安古止奈何爾也波、寤氐毛氐毛。大菩薩御恤、廣御助、縱來奈牟奈利止毛、擁護不愆志氐、未萌禳除給、四海彌淸謐、國體彌安穩、護幸給倍止、恐美毛申給波久止申。

【謹譯】ことけてもうさく、りし六がつに、相模國さがみのくに御浦郡みうらごおり浦賀うらがきしに、えびすふねまたきたりしが、無爲む い日數ひかずず、とばして退まかりぬれど、近年きんねんしばしば近海きんかいきぬれば、防禦ぼうぎょげんになすといへども、民心みんしんやすからざること、奈何い かにやはなすと。さめてもてもあやぶみおそたまふ。大菩薩だいぼさつふかめぐみ、ひろたすけにりて、たときたらむまがつみなりとも、擁護ようごちかいあやまらずして、いまきざさざるにはらのぞたまひて、四かいいよいよ淸謐せいひつに、國體こくたいいよいよ安穩あんのんに、まもさきわたまへとかしこかしこみももうたまはくともうす。

【字句謹解】◯去りし六月 嘉永かえい六年六月のこと ◯夷の船 アメリカ使節のペリイ一行の乘船じょうせんした船。〔註一〕參照 ◯又來り アメリカの黑船くろぶねはこの前に弘化こうか三年うるう五月に軍艦二隻を率ゐて浦賀に來て互市ご しを幕府に求め、幕府が許さなかつたことがある。ゆえに「また」とおおせがあつた ◯無爲に日數も經ず 幕府が明年みょうねん返答をするといつたら、おだやかに立ち去つたこと ◯奈何にやはなす 何とも言葉で言ひあらわせない不安の多いこと ◯來らむ禍なりとも 來年らいねんになつて如何い かなるわざわいがふりかからうとも ◯未だ萌さざるに わざわいが未だ表面にあらはれない以前に ◯靜謐 しずかで事の起らない意。

〔註一〕ペリイ來朝の目的 ペリイは日本にちゃくする前に我が國情こくじょうを十分調査し、ことによつたら日本の一部を占領しようと計畫けいかくしてゐた。れが上陸の際あらかじ戰鬪せんとう準備をし、巨砲きょほうはっしたこと、黑船くろぶね操縱法そうじゅうほうを見せ、幕府の役人が想像もしなかつた舶載はくさいの品物の數々かずかずおくつた事はただ通商を求めるといふばかりのためではなかつた。時の老中ろうじゅう阿部あ べ正弘まさひろが開國を決意したのは、ペリイの外交戰術せんじゅつが全く成功したからだといはれる。ペリイは船艦四隻を率ゐて浦賀きたり、國書こくしょていして通商貿易を求めた。幕府では大學頭だいがくのかみ林韑はやしあきら浦賀奉行うらがぶぎょう井戸い ど弘道ひろみちに命じて久里濱くりはま會見かいけんさせ、その返答は明年みょうねんにするといつて一時ペリイを引取らせた。時の國書こくしょの一節を左に示す。

貴國きこく從來じゅうらいの制度、支那人しなじん及び和蘭オランダじんを除くのほかは、外邦がいほうと交易することを禁ずるは、もとよりが知る所なり。しかれども、世界中時勢じせい變換へんかんしたがひ、改革の新政しんせい行はるるの時にあたつては、の時にしたがひて、新律しんりつを定むるをしょうすべし。けだし、貴國きこく舊制きゅうせいの法律、初めてきこえし時は、今よりこれを見れば、すではなはりたり。の時代にあたつてアメリカ州始めて見出され、あるいはこれを新世界と名け、ヨオロツパ人これに住棲じゅうせいせり。の頃にりては、アメリカ人は人民稀少きしょうにして、たみみな貧陋ひんろうなりしが、當今とうこん民口みんこうおおい蕃息はんそくし、交易もまたはなは弘博こうはくとなれり。ゆえ殿下でんか外邦がいほうの交易を禁停きんていせる古來こらい定律ていりつを全く廢棄はいきするをほっせざる時は、五年あるいは十年を限りて允准いんじゅんし、以ての利害を察し、はたして貴國きこくなきに於いては、再び舊律きゅうりつ囘復かいふくしてなり。およそ合衆國の他國と盟約めいやくを行ふには、常に數年すうねんを限りて約定やくじょうす。しかしてこと便宜べんぎなるを知るときは、再び盟約めいやくぐこととす。(中略)日本の石炭はなはだ多く、⻝料しょくりょう又多きことは、(大統領)がかつて聞き知れる所なり。我が國もちふる所の蒸氣船じょうきせん大洋たいようこうするにあたりて、石炭をついやすことはなはだ多し。しかしての石炭をアメリカより運搬せんとすれば、の不便知るべし。これを以て、願はくば、我が國の蒸氣船じょうきせん及びの諸船舶せんぱく、石炭・⻝料しょくりょう及び水をんがために日本にることを許されんことをふ」云々うんぬん

【大意謹述】ことばを改めて特に次の事を申し上げる。去る六月相模國さがみのくに御浦郡みうらごおり浦賀うらが海岸かいがん異國船いこくせんが再びたが、今度は無駄に長い間とどまることなく、やがて帆を張つて立ち去つてしまつた。しかし近年になつてこの種の事件が度々起り、異國船が我が近海きんかいることも再三なので、全國に命じて固く防禦ぼうぎょさしめた。が、言葉でひあらはせない程、國民の不安は濃くなり、ちんてもめても將來しょうらい危險きけん國情こくじょうを思うて只管ひたすら憂懼ゆうくいたしてゐる。何とぞ八まん大菩薩だいぼさつの深い御慈悲お じ ひ御守護ごしゅごにより如何い かなる危機に接しようとも、我が國體こくたいがこの上何のあやうきことなきやうまもられて幸福こうふくさずけられん事を御願おねがひいたしたい。以上この上もなくおそつつしんで申し上げられる陛下のおおせを告げたてまつる。

【備考】孝明こうめい天皇御詠ぎょえいに「異國ことくにもなづめる人ものこりなく、はらひつくさむ神風かみかぜもがな」とおおせられたのがある。攘夷じょうい主義の徹底をせられた大御心おおみこころのほどが拜察はいさつされる。また「あめした人といふ人こころあはせ、よろづのことに思ふとちなれ」との御詠ぎょえいがある。擧國きょこく祖國そこくを守らうと思召おぼしめされた御意ぎょいの表現である。陛下が如何い か外患がいかん叡慮えいりょなやまされたかは、『軍事外交篇』のうち謹說きんせつしたから、再び繰返すことを差控へよう。が、陛下が如何い か擧國きょこくのもとに至誠しせい眞實しんじつを傾けて、日本の外交難を一ぱいしようと日夜、御苦心ごくしんになつたかが、石淸水いわしみず八幡はちまんたいする御祈おいのりの御言葉おことばにも深く拜察はいさつさるるのである。