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46-2 國難の平定を祈るの宣命 伏見天皇(第九十二代)

國難こくなん平定へいていいのるの宣命せんみょう(第二段)(正德六年七月 公卿勅使參宮次第)

縡旣文永與利倍里度止毛、我朝未容其言、誠安危難決、理亂叵辨。邊將防禦警衞勢者、邦家。旁衆庶之患

【謹譯】ことすで文永ぶんえいよりおこりていまおよべりとふとも、ちょういまげんれず、まこと安危あんきあいけっがたく、理亂りらんもとべんずるし。邊將へんしょうかた防禦ぼうぎょもうけてしずかに警衞けいえいいたせば、邦家ほうかわずらひなきにあらず。はなは衆庶しゅうしょうれへあり。

【字句謹解】◯ この事、すなわげんと我が國との國交こっこうかんする危機の意 ◯文永 龜山かめやま天皇御世み よ年號ねんごう、〔註一〕參照 ◯安危の間だ 國が安穩あんのんとなるか危險きけん區域くいきひんするかの分れ目 ◯理亂の本 國が平和に治まるかいなかの根本 ◯邊將 國境こっきょう方面を守る武士のかしら ◯衆庶の患へ 國民一同の心配。

〔註一〕文永の役 げん成吉思汗じんぎすかん鐵木眞てむじんの子窩闊台おごだいから孫の忽必烈くびらいに至つて、くにつよへいみ、高麗こ ま屬國ぞっこくとしたいきおいじょうじて、龜山かめやま天皇文永ぶんえい五年に國書こくしょを飛ばし、六年再び書を日本に致した。我國では北条時宗ほうじょうときむね斷乎だんこたる決心で返書せず、文永ぶんえい十一年に入寇にゅうこうした元軍げんぐんを打破り、いで來た元使げんしたつくち及び博多でり、ヨオロツパ諸國までをも戰慄せんりつさせたげんたいして、一歩もゆずらなかつた。弘安こうあん四年に大擧たいきょして侵略しきたつた元軍げんぐん神風かみかぜつて覆沒ふくぼつせしめた。じつにこの兩役りょうえきこそ全東洋に我國の名を高めた一大事件であり、相模さがみ太郞たろう時宗ときむねの態度はじつに立派だつた。

【大意謹述】げん修交しゅうこうを求めるのは何も今始まつたことではない。すで龜山かめやま天皇文永ぶんえい年間から起つて、引きつづいてゐるのである。しかながら我が朝廷では未だかつてその要求におうじたことはない。それにもかかわらず、又もしょを致したとすれば、じつ今囘こんかいの事は國家が平穩へいおんとなるか危機にひんするかの分れ目であり、平安におもむくか國がみだれるか、想像がつかない。ちんめいつて國境こっきょう方面を守る人々はしつかりと防禦ぼうぎょを固め、何時い つ侵入されても大丈夫であるやう適切な手段を執つてゐる。この事件は我が國家にとつて空前の大難だいなんであり、國民一般はまた文永ぶんえい弘安こうあん兩役りょうえきを繰返すのでないかとひどく不安に沈んでゐる。

【備考】元寇げんこうを一ぱいし得たのは、神風しんぷうの力だといはれる。事實じじつ、日本は昔から海軍かいぐんにおいては、進歩してをらず、その戰器せんき戰艦せんかんなどは、到底とうていげんに及ばない。げんは、朝鮮・支那し なと同じく、海軍の上にも、長所を有し、日本よりずつと進んでゐた。したがつて、も一度、攻めよせたとき、また神風しんぷうが吹くとよいが、それはたのみにならぬ。げんは、前年の失敗にり、十分、新しい用意があるから、日本としては最も不氣味ぶ き みに感じたにちがひなかつた。上下不安の有樣ありさが想像される。