46-1 國難の平定を祈るの宣命 伏見天皇(第九十二代)

國難こくなん平定へいていいのるの宣命せんみょう(第一段)(正德六年七月 公卿勅使參宮次第)

天皇詔旨、掛畏伊勢度會五十鈴河上下都石根大宮柱廣敷立高天原千木高知稱辭定奉、天照坐皇大神廣前、恐美毛申賜者久止、朕忝苗胤神器。爰去年冬比與利、異國忽牒書强和好。若逆命倍者可用兵之由

【謹譯】天皇すめら詔旨みことと、けまくもかしこ伊勢い せ度會わたらい五十鈴河上いすずのかわかみしも石根いわね大宮柱おおみやはしらひろて、高天原たかまのはら千木ち ぎたかりて稱辭たたえごとさだまつる、天照坐あまてらしま皇大神すめらおおかみひろきみまえに、かしこかしこみももうたまはくともうさく、ちんかたじけなくも苗胤びょういんけて神器しんきまもる。ここ去年きょねん冬比ふゆごろより、異國いこくたちまちに牒書ちょうしょおくりてひて和好わこうもとむ。めいさかへばへいもちふべきのよしぐ。

【字句謹解】◯下つ石根に大宮柱敷き立て 堅い土地に立派な神殿しんでんを建てること、しも石根いわね土臺どだい堅固けんごなことで、大宮柱おおみやばしら神殿しんでんの基礎となる大きな柱 ◯高天原に千木高知りて 千木ち ぎは古代の家作いえづくりに、きりむねの左右の端に用ふる長い材で、むねふ部分を交叉こうさし高く空中に出せるもの、高天原たかまのはらたかりての冠辭かんじかいされる ◯稱辭定め奉る 大神おかみいつき祭る意 ◯天照坐す皇大神 天下をてらされる大御神おおみかみのこと、この部分は『祝詞のりと』によくある形式で多くのものに見える。◯苗胤を禀けて 天照大御神あまてらすおおみかみ御血統ごけっとうけての意 ◯神器を守る 皇位こうい繼承けいしょうしたこと ◯去年 正應しょうおう五年(皇紀一九五二年)で、げん世祖せいそ二十九年にあたる ◯異國 げんのこと ◯牒書 國書こくしょの義 ◯和好を求む 修好しゅうこうを求めた。〔註一〕參照 ◯命に逆へば 要求にしたがはなければ ◯兵を用ふ 兵力を使用する。

〔註一〕元兵 文永ぶんえい弘安こうあん兩役りょうえき大敗たいはいしたげんは、その後更に兵をつのつて日本侵略をこころざした。日本に近い江南こうなんの人民はそれに反對はんたいし、所在に盗賊となつて四方をかすめる者が多いので、諸臣しょしん元主げんしゅいさめ、遂にそのこころざしてさせた。その後げんは主として和親わしん政策を執り、正應しょうおう四年には南海なんかい補陀ふ だ禪寺ぜんじぜん住持じゅうじ如智にょち奏議そうぎにより、如智にょちほかおう君冶くんやを使者として日本に遣はした。その時和親わしん國書こくしょたてまつつたが、朝廷では何ら答へられなかつたらしい。更にのち正安しょうあん元年にねいさん間諜かんちょう事件があり、足利あしかが尊氏たかうじが京都に幕府を開くに及んで、日本から進んで、支那し なとの通商つうしょうを開始するに至つた。

【大意謹述】天皇大御言おおみことを、くちに掛けるのも恐れ多い、伊勢の渡會郡わたらいごおりにある五十鈴河上いすずのかわかみの地盤の固い場所に立派な神殿しんでんを造り、高く千木ち ぎを空にそびえさせて諸神しょしん統括とうかつされ、天下をてららさるる我が皇室の御先祖ごせんぞ天照大御神あまてらすおおみかみ御前みまえに、この上もなくつつしんで告げたてまつる。ちんかたじけなくも大御神おおみかみ御血統ごけっとうとして皇位こういぎ、三しゅ神器しんきを守護してゐる。しかるに去年の冬にあたつて、やや長い間沈默ちんもくしてゐたげんくにからたちま國書こくしょきたり、我が國の意志にかんせずひて和親わしんを求めて來た。その文中には、しこの要求にしたがはなければ、ぐ兵力を使用するとの意味があり、使者もまた口頭でそれを告げた。

【備考】當時とうじ正應しょうおう元年二月、日本に向ひほ野心をいだいたげんは、征東せいとうこう尙書省しょうしょしょうを設け、高麗王こまおうをその左丞相さじょうしょうに任命して、著々ちゃくちゃく、日本侵略の準備をした。同二年正月、げんの使者を高麗こ まし、せい日本軍にっぽんぐん糧⻝りょうしょくを十分に用意せしめ、十月には、武器の檢査けんさまでした。かういふ事實じじつが日本に知られると、「げんは近く押寄せるにちがひない」とふので、朝廷では、國難こくなんはら祈禱きとうをされた。幕府もまた諸國の社寺しゃじに命じて、異國いこく降伏ごうぶくいのりをさしめたのである。

 時に正應しょうおう四年五月、げん征東行せいとうこう尙書省しょうしょしょうをやめ、中書省ちゅうしょしょうに入れ、高麗王こまおう中書省ちゅうしょしょう右丞相うじょうしょうに任命した。翌五年げん燕公南えんこうなんをして、わが商船の歸朝きちょうするに、託して外交文書を送り、八月、げんこう君祥くんしょう高麗こ まして、日本征伐の打合せをさしめ、日本商人の送還に託して、通交つうこうのことを日本に要求せしめようと計つた。その時高麗王こまおうは使を日本にし、げん國書こくしょを幕府にていせしめたが、書辭しょじ非禮ひれいを極め、恫喝的どうかつてきだつた。したがつて正應しょうおう六年、幕府はげん國書こくしょしりぞけ、高麗こ まの使者を送還した。以上の有樣ありさを知つて我國わがくにの上下は、異國いこく降伏ごうぶくいのりに熱中したのである。同時に、幕府では元軍げんぐんむかつべき準備を怠らなかつた。場合によると、われから進んでげんを攻めようといふ意氣い きさへもあつたのは、賴母たのもしかつた。本勅ほんちょくはっせられたについては、以上の如き當時とうじの形勢に照らし合せると、一そう諒解りょうかいるところがあらう。