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45-1 飢饉につき奉幣の宣命 近衞天皇(第七十六代)

飢饉ききんにつき奉幣ほうへい宣命せんみょう(第一段)(仁平元年四月 本朝世紀

天皇詔旨、掛畏某大神廣前ミ毛申給波久止、國以養民爲寶、君以施仁爲本。因茲古之明王仰神鑒、偏祈治世之術。況年末之少子非冥德爭𢌞攘災之謀。而去年孟秋、州縣旁遇風水之難、今春以後都鄙粗有飢饉之苦

【謹譯】天皇すめら詔旨みことと、けまくもかしこ某大神なにがしのおおかみひろきみまえかしこかしこみももうたまはくともうさく、くにたみやしなふをもったからとなし、きみじんほどこすをもっもととなす。これつて、いにしえ明王めいおう神鑒しんかんあおいで、ひとえ治世ちせいすべいのられき。いわんや年末ねんまつ少子しょうし冥德めいとにあらざればいか攘災じょうさいはかりごと𢌞めぐらさん。しか去年こ ぞ孟秋もうしゅうに、州縣しゅうけんはなは風雨ふううなんひ、今春こんしゅん以後い ご都鄙と ひやや飢饉ききんあり。

【字句謹解】◯某大神 これは一種のかたで、石淸水いわしみず八幡はちまん大菩薩だいぼさついのられるのなら、その文字がここに入るのである ◯神鑒を仰いで 神明しんめいの御援助をあおいで ◯年末の少子 近衞このえ天皇御年おんとし三歳で卽位そくいされたもうたので、本詔ほんしょうはっせられた仁平にんぴょう元年(皇紀一八一一年)には十三歳であられた。そこで年のゆかない小兒しょうにおおせられたのである ◯冥德 神佛しんぶつ御加護ご か ご ◯攘災の謀 國家の大害たいがいを打ちはらふ方法、ここでは後文こうぶんはいする通り飢饉ききんをのがれる手段のこと ◯孟秋 秋の最中、秋季三ヶ月の眞中まなかの月のこと ◯都鄙 都會とかいと地方と、全國的にの義。

〔注意〕不作の原因は天變てんぺん地異ち いにある。そこで例につて諸神しょしんいのられたので、近衞このえ天皇御一代に於けるこの種の例をげれば次のやうになる。

(一)大神宮だいじんぐう奉幣ほうへい宣命せんみょう(久安二年二月、臺紀)(二)年榖ねんこくいのるの宣命(久安二年四月、本朝世紀)(三)三ごう祈禱きとう宣命(久安二年四月、本朝世紀)(四)年榖を祈るの宣命(久安二年八月、本朝世紀)(五)祇園ぎおんしゃ奉幣ほうへい宣命(久安四年四月、本朝世紀)(六)年榖を祈るの宣命(久安五年二月、本朝世紀)(七)松尾・北野の兩社りょうしゃ行幸ぎょうこう御祈おんいのり宣命(久安五年七月、本朝世紀)(八)止雨し う宣命(久安五年八月、本朝世紀)(九)年榖を祈るの宣命(久安五年八月、本朝世紀)(一〇)年榖を祈るの宣命(仁平元年二月、本朝世紀)(一一)大神宮奉幣の宣命(仁平三月、本朝世紀)(一二)飢饉ききんにつき奉幣の宣命(仁平元年四月、本朝世紀)(一三)皇居火災につき奉幣の宣命(仁平元年六月、本朝世紀)(一四)年榖を祈るの宣命(仁平元年七月、本朝世紀)(一五)止雨の宣命(仁平元年八月、本朝世紀)(一六)內裏だいり火災に付き大神宮に奉幣の宣命(仁平元年十一月、本朝世紀)(一七)大神宮奉幣の宣命(仁平二年正月、本朝世紀)(一八)年榖を祈るの宣命(仁平二年二月、本朝世紀)(一九)石淸水いわしみず賀茂か も行幸ぎょうこうに付き奉幣の宣命(仁平二年三月、本朝世紀)(二〇)年榖を祈るの宣命(仁平二年七月、本朝世紀)(二一)宇佐う さ八幡宮はちまんぐう奉幣の宣命(仁平二年十一月、本朝世紀)(二二)年榖を祈るの宣命(仁平三年二月、本朝世紀)(二三)祈雨き う宣命(仁平三年六月、本朝世紀)(二四)祈雨の宣命(仁平三年七月、本朝世紀)(二五)年榖を祈るの宣命(仁平三年八月、本朝世紀

【大意謹述】天皇大御言おおみことを、くちに致すのも恐れ多いぼう大神おおかみ御前みまえで、この上もなくつつしんで申し上げる。政治上最も大切なのは國民を愛撫あいぶし、何不足なく生活させることで、一國の君主は仁愛じんあいほどこすことを政治の根本とすると言はれてゐる。ゆえいにしえ賢明けんめいを以て知られた國王ですら神の御援助をあおいで、ただただ天下を事なく治まるやういのたもうたのであつた。ましてちんは未だ年少であるから、神明しんめい御加護ご か ごにすがらないで、どうして國の災害を打ちはらふことが出來よう。朕の世にあたつて、去年の秋のなかばに各地方が非常な暴風雨にひ、今年の春以後は都會とかいの地方も一よう飢饉ききん樣子ようすを示してゐるのは何よりもがかりである。