43-1 石淸水八幡宮に奉幣の宣命 朱雀天皇(第六十一代)

石淸水いわしみず八幡宮はちまんぐう奉幣ほうへい宣命せんみょう(第一段)(天慶四年八月 本朝世紀

天皇詔旨、掛畏石淸水御座せ留八幡大菩薩廣前、恐毛申給倍度、去天慶二年季冬より、東西國國凶賊群起、姧謀多端、萬民無聊、四方騒擾。如此賊亂、國家大災奈り。掛畏大菩薩廣助厚惠天なむ、可掃除奈り東所念行、件賊計滅せしめ倍良波、神寶造餝哥舞調奉令祈申比支

【謹譯】天皇すめら詔旨みことと、けまくもかしこ石淸水いわしみず御座おわしませる八幡はちまん大菩薩だいぼさつひろきみまえかしこかしこみももうたまへともうさく、いぬ天慶てんぎょうねん季冬きとうより、東西とうざい國國くにぐに凶賊きょうぞくおこりて、姧謀かんぼうたんおおく、萬民ばんみんなぐさむなく、四ほう騒擾そうじょうす。かくごとぞくらんは、國家こっか大災たいさいなり。けまくもかしこ大菩薩だいぼさつひろたすあつめぐみによってなむ、掃除は らふべきものなりとおもほしめして、くだんぞく計滅けいめつせしめたまへらば、神寶しんぽうつくかざ哥舞か ぶ調ととのまつらむといのもうさしめたまひき。

【字句謹解】◯石淸水に御座せる八幡大菩薩 所謂いわゆる官幣かんぺい大社たいしゃ男山おとこやま八幡宮はちまんぐうの事で、品陀別命ほんだわけのみこと息長帶姬命おきながたらしひめのみこと比賣神ひめがみ祭神さいじんとする。淸和せいわ天皇貞觀じょうがん元年に大安寺だいあんじそう行敎ぎょうきょう奏請そうせいによつて宇佐宮うさぐうじゅんじて六神殿しんでんを造り、翌年御神體ごしんたいを移しまつつたもの。〔註一〕參照 ◯季冬 冬季と同じ ◯東西の國國 平將門たいらのまさかど及び藤原純友ふじわらのすみともらん後文こうぶんに出てる ◯凶賊 非常にわるい賊 ◯姧謀の端 各種の惡行あくぎょうたん箇所かしょの意味 ◯騒擾 大さわぎになる ◯大災 大害たいがいと同じ ◯件の賊 東西の賊の意 ◯計滅 全滅の意。

〔註一〕石淸水八幡宮 は朝廷の崇敬すうけいが非常に重く、我がちょう大祖たいそ宗廟そうびょうしょうされた以外に、源家げんけの守護しんとして賴朝よりとも以來いらい武家崇拜すうはいきわまりなく、諸國にかず多くの別宮べつぐうを置いた。所謂いわゆる護國ごこく武神ぶしんとして、のちに維新前後の國難こくなんに際して、孝明こうめい天皇石淸水いわしみずいのられた宣命せんみょうかず多くある所以ゆえんである。

〔注意〕本詔ほんしょう石淸水いわしみず臨時祭の起原きげんを致すものとして注目される。天慶てんぎょう五年四月二十七日に平將門たいらのまさかど藤原純友ふじわらのすみともらんが平定したのち報賽ほうさいのために神寶しんぽう歌舞か ぶ調進ちょうしんして臨時祭を行つたのがその始めで、以後、賀茂祭かもまつり北祭ほくさいといふにたいして、これは南祭なんさいとして著名となつてゐる。

【大意謹述】天皇大御言おおみことを、くちに掛けるのもかしこ石淸水いわしみず御座ぎょざあそばされる八幡はちまん大菩薩だいぼさつ御前みまえおそつつしんで申し上げる。去る天慶てんぎょう二年の冬以來、東方には平將門たいらのまさかど、西方には藤原純友ふじわらのすみとも頭梁とうりょうとなつて、朝命ちょうめいに反し、諸方に惡賊あくぞくむれを成して起り、目に立つ惡行あくぎょうが多く、國民は不安な日を重ね、四方は大騒ぎをつづけてゐる。この種の賊亂ぞくらんは、まさに國家にとつての大害だいがいである。申すもおそれ多い大菩薩だいぼさつ廣大こうだい御援助おたすけ、厚い御慈悲ご じ ひつてこそ、この賊を一掃出來ると叡慮えいりょあり、東西の賊を全滅させていただけば、神寶しんぽうを造り、歌舞か ぶ調奉ちょうほう致すよしいのられた。