42 空海に大師號を賜ふの勅 醍醐天皇(第六十代)

空海くうかい大師號だいしごうたまふのみことのり(延曆二十一年十月 扶桑略記)

琴絃旣絕、遺音更淸。蘭叢雖凋、餘香猶播。故贈大僧正法印大和尙位空海、鎖弃煩惱、抛却驕貪、全三十七品之修行、斷九十六種邪見。受密語者、滿於山林、習眞趣者、成於淵藪。況太上法皇、久味其道、追念其人。誠雖浮天之波濤、何忘積石之源本。宜加崇餝之諡、號弘法大師

【謹譯】琴絃きんげんすでえ、遺音いいんさらきよし。蘭叢らんそうしぼむといえども、餘香よこうく。ぞう大僧正だいそうじょう法印ほういん大和尙位だいわじょうい空海くうかい煩惱ぼんのう鎖弃しょうきし、驕貪きょうどん抛却ほうきゃくして、三十七ほん修行しゅぎょうまっとうし、九十六しゅ邪見じゃけんつ。密語みつごくるもの山林さんりん滿ち、眞趣しんしゅならもの淵藪えんそうす。いわん太上だじょう法皇ほうおうひさしくみちあじわひ、ひと追念ついねんす。まことてんうかぶの波濤はとういえども、なんいしむの源本げんぽんわすれん。よろしく崇餝すうしょくおくりなくわへ、弘法こうぼう大師だいしごうすべし。

〔注意〕傳敎大師でんぎょうだいしの場合と同じく、この詔勅しょうちょくにも文字の異同いどうがある。れいせば、(一)蘭叢らんそう蘭聚らんしゅうとなり、(二)三十七ほんが三十七そんとなり、(三)眞趣しんしゅ眞珠しんしゅとなり、(四)習ふがおしゆるとなつてゐるのがある。又、一本には、「ぶつにち西沒せいぼつ」以下十すう語を挿入したのもある。ここでは、穩當おんとうと思はるるてんにより謹訂きんていした。

【字句謹解】◯琴絃旣に絕え 琴をつるがもうえてなくなることで、空海くうかい眞言宗しんごんしゅうを熱心に弘道ぐどうしたが、今はこの世から去つてしまつた意 ◯遺音更に淸し 琴はなく、實際じっさいきこえないが、その餘韻よいん及び後世につたへられたが、實際じっさいより以上にきよくなつてゐる。これは空海くうかいが死んで、その口から直接眞言しんごんおしえは聞けなくなつたが、それをいだ人々の口から、更に研究を精髓せいずいおしへられることが出來、むし空海くうかい自身がくよりも、一歩進んだき方に接しることをいつたもの ◯蘭叢凋むと雖も餘香猶ほ播く この一句は前句を受けて同じ意味をいつたもの、らんとは細い葉で平行脈をそなへ、根から叢生そうせいする香草こうそうの意、非常に香氣こうきはっするらんしぼんでも、そのはっしたにおいのちまで四方をよくにほひわたることで、空海くうかいはこの世にないが、眞言宗しんごんしゅうはますます盛大になつて世間の人々を濟度さいどしてゐる意 ◯空海 所謂いわゆる弘法こうぼう大師だいしのことで、我が國に於ける眞言宗しんごんしゅう開祖かいそ、〔註一〕參照 ◯煩惱を鎖弃し 人間としての一切のまよいをすつかりさとり切つててる ◯驕貪を抛却して 人間としてのすべての欲望を思ひ切りよく投げ捨てる。きょう贅澤ぜいたくどんはむさぼる意 ◯三十七品の修行 大日だいにち阿閦あしゅく彌陀み だ寶生ほうしょう不空ふくうの五ぶつ、その他諸そん・諸菩薩ぼさつがっして三十七そんといふ。そこに萬法ばんぽうことごと包含ほうがんしてゐるといふわけで、それら三十七そんに習ひ、修業するといふ意 ◯九十六種の邪見 『涅槃經ねはんぎょう』に「一切の外學げがく九十五種は皆惡道あくどうおもむき」云々うんぬんとある。佛智ぶっち正見しょうけんを信じないで、邪道におちいつたものの事で、九十六種の名稱めいしょうはあるが、その種類は一々列擧れっきょされてはゐない。ここで九十六種とあるのは、その事を指したもので、つまり種々しゅじゅ邪見じゃけんの意 ◯密語 眞言宗しんごんしゅうの根本意義のこと。〔註二〕參照 ◯眞趣 眞言宗しんごんしゅうの中核となる思想 ◯淵藪を成す 非常に物の多いさかんな形容、ふちうおの多く集る場所、やぶけものあつまる場所のこと ◯太上法皇 宇多う だ天皇を指したてまつるか ◯其の道を味ひ 眞言宗しんごんしゅうを深く信仰されること ◯其の人を追念す 空海くうかいを想ひしたふ ◯天に浮ぶの波濤 天に至るやうな大波、大海だいかいの意で、眞言宗しんごんしゅうの現在流行してゐる形容 ◯石を積むの源本 小石の間を流れるちよろちよろした水のことで、最初は微々たるところから一派を始めた空海くうかいを指す ◯崇餝の諡 とうとび飾る意味のおくり名、しょくしょくと同じ。

〔註一〕空海 は讃岐國さぬきのくに多度郡たどごおり屛風ヶ浦びょうぶがうらの人で、世々よ よ佐伯氏さえきししょうした。光仁こうにん天皇寶龜ほうき元年生れで、幼名ようみょう眞魚まうおと呼んだ。父は彼を出家にする意志があり、最初は經書けいしょに親しみ、十五歳の頃から佛敎ぶっきょう研究に一生を費さうと考へるやうになつたとつたへられる。延曆えんりゃく十二年に三十歳の時、夢想によつて大吡だいび廬遮那るしゃな神變しんぺん加持經かじきょう大和やまと高市郡たけちごおり久米寺くめでら發見はっけんし、それを徹底的に研究するため入唐にゅうとうこころざした。その時、最澄さいちょう(傳敎大師)と船をならべたのも一である。入唐にゅうとう後、長安ちょうあん靑龍寺せいりゅうじ東塔とうとう院內いんない供奉ぐ ぶ慧果けいか阿闍梨あじゃりえっし、胎藏たいぞう曼荼羅だいまんだら金剛こんごう曼荼羅だいまんだらまなび、傳法でんぽう阿闍梨あじゃりい灌頂かんちょうを受け、遍照へんじょう金剛こんごうごうあたへられ、その他の諸經しょきょうを研究して大同だいどう元年に歸朝きちょう、翌年入京して天皇經論きょうろんたてまつり、藥子やくしらんあたつては法力ほうりきを以て、天皇に御味方して御信任を弘仁こうにん四年に嵯峨さ が天皇御前ごぜん諸宗しょしゅうの人々と法論ほうろんをしてこれに勝つた。

 その後眞言宗しんごんしゅう勢力は日々盛大となり、嵯峨さ が天皇御讓位ごじょうい後、空海くうかいの手につて灌頂かんちょうを受けられ、淳和じゅんな天皇御代み よには東宮とうぐう講師となり、天台てんだい眞言しんごんしゅうが朝廷に於いて地位をあらそもといを成した。空海くうかいはかくて仁明にんみょう天皇承和しょうわ二年三月二十一日に六十三歳で鎭國ちんこく靈場れいじょう高野山こうやさん金剛こんごう峰寺ぶ じじゃくし、本勅ほんちょくつて弘法こうぼう大師だいし諡號しごうを得たのである。空海くうかいは、たん秘密ひみつ眞言しんごんほうひろめたのみでなく、能文のうぶん能書のうしょ國字こくじを始め、それから施藥院せやくいんを設け、敎育きょういくおこし、建築の樣式ようしきを改め、製筆せいひつ製紙せいし製墨せいぼくの法をつたへ、藥草やくそうをもたらし、茶を植ゑたこうもある。我が文化の恩人としても大きな地位を占めてゐる。

〔註二〕密語 眞言宗しんごんしゅう眞言しんごん陀羅尼だ ら に宗義しゅうぎとする。眞言しんごん眞實しんじつ語言ごげんの意で、虛妄きょもうの法にたいしたもの。この宗では宇宙の本體ほんたいすいふうくう主觀しゅかんしきより成り、これを人格に現はしたのが大日だいにち如來にょらいだとした。かの陀羅尼だ ら にとは總持そうじのことで、そう總括そうかつ總該そうがい攝持しょうじ任持にんじの意とされてゐる。その所依しょえきょうは『大日經だいにちきょう』『金剛こんごう頂經ちょうきょう』『蘇悉地經そしつちきょう』などであつた。空海くうかい以後、廣澤ひろざわ流・小野お の流・野澤のざわ流の十二流に分れそれが更に七十餘流よりゅうとなり、後に新義しんぎ眞言宗しんごんしゅうを立てる者があつて、明治以後は古義こ ぎ新義しんぎに分れた。古義こ ぎ眞言宗しんごんしゅう高野こうや派・御室みむろ派・醍醐だいご派・大覺寺だいかくじ派で、新義二派は豐山ぶざん派・智山ちざん派である。

〔注意〕空海くうかいかんしたみことのりには、

(一)法師等ほうしらに下し給へる宣命せんみょう(文德天皇天安元年十月、文德實錄)にはいされるのを注意するにとどめる。その他醍醐だいご天皇御代み よには、

(二)圓珍えんちん大師號だいしごうたまふのみことのり(延長五年十二月、扶桑略記)(三)增命ぞうみょう諡號しごうたまふのみことのり(延長五年十二月、扶桑略記)などがある。

【大意謹述】非常にはっする琴は、そのつるが切れて失はれても、後世につたへる實際じっさいのものよりもきよく美しくのこされる。香氣こうきを放つらんといふ草は、事實じじつもうしぼみ枯れてしまつても、かつて放つた氣持きもちのよいにおいのこつてよく感じられるのであつた。かつ大僧正だいそうじょう法印ほういん大和尙だいわじょうくらいたまわられた空海くうかいは、人間のすべてがなや生死しょうじ問題を立派に解決して人々からそれにたいする迷ひを捨てさせ、僧侶そうりょ及び國民が贅澤ぜいたくをしたり貪欲どんよくを無制限にひろげたりすることを意味ないものとしてしりぞけ、眞言宗しんごんしゅうの重要する三十七そんについて修業し、九十六種に區別くべつされた偏見をすべて一掃して、未だ我國わがくにに行はれなかつた新佛敎ぶっきょうの基礎を確立したのである。

 ゆえ眞言宗しんごんしゅうの根本意義に就いて空海くうかい敎戒きょうかいを受ける者が高野山こうやさんの山林一杯に集まり、つたへたこの派の宗敎を四方にひろめる者も非常に多かつた。我が皇室に於かれても、崇信すうしんの度は特に厚く、太上だじょう法皇ほうおうは久しい間この眞言宗しんごんしゅうを信仰あり、死後、その日本に於ける開祖かいそである空海くうかいを慕ふ御念ぎょねんつよくましました。じつに天にとどくやうな大波を含む大海たいかいでも、その始めは山上の石の間を流れた小河おがわにすぎなかつたので、今日こんにち眞言宗しんごんしゅうは大きい勢力を得てゐるが、それだからといつてその昔これを開いた空海くうかい功勞こうろうを忘れていいものではない。むしろ盛大となればなる程、最初の人を考へなくてはならない。ちんはこの意味に於いて、今囘こんかい空海くうかい功勞こうろうよみし、その名を飾る諡號しごうとして、弘法こうぼう大師だいしといふ名稱めいしょうさずけることにした。

【備考】最澄さいちょう(傳敎)の佛敎ぶっきょう上の活動にたいして、あい匹敵ひってきするところの效果こうかおさめたのは空海くうかい(弘法)である。空海くうかいは思想上、最澄さいちょうにひとしいほどの貢獻こうけんをしてゐないてんもあるが、その神秘しんぴ主義の宗敎しゅうきょう開祖かいそたるてんで、思想上、すぐれたところがあつた。そして大乘だいじょう佛敎ぶっきょうの民衆化については目ざましい事功てがらて、貴族本位の宗敎しゅうきょうを平民の前に解放し、山上の宗敎しゅうきょうを地上のものとしたのである。こと佛敎ぶっきょうと國家主義とを結び付ける上では、最澄さいちょうにゆづらない努力をし、佛敎ぶっきょうの日本化について先驅せんくした。そこに空海くうかいの特色があるとへよう。