41-1 六衞府送るところの釋奠の祭牲を定むるの勅 光孝天皇(第五十八代)

衞府え ふおくるところの釋奠せきてん祭牲さいせいさだむるのみことのり(第一段)(仁和元年十一月 三代實錄)

(其の一)鮮牲を送進すべき事

撿、太政官去延曆十二年五月十一日格云、祭禮之事、潔淨爲本。又割牲體明在禮法。然而頃年諸國進牲、旣以割穢供禮、釋奠多乖禮制。須竝用全體、令進祭庭。一依禮法、割鮮升供。

【謹譯】かんがふるに、太政官だじょうかんいぬ延曆えんりゃく十二年五月十一日のきゃくふ、祭禮さいれいこと潔淨けつじょうもととなす。またいけにえかたちあきらかに禮法れいほうにあり。しかしこうして頃年このとしごろ諸國しょこくいけにえすすむるに、すでもっわいいてれいきょうし、釋奠せきてんおおくは禮制れいせいそむく。すべからくならび全體ぜんたいもちひ、祭庭さいていすすめしむべし。一に禮法れいほうり、せんいてのぼそなへよ。

【字句謹解】◯ 時代に適するやうに發布はっぷした命令 ◯潔淨を本となす 萬事ばんじけがれなく、身をきよく保つのを第一義とする ◯牲を割く體 いけにえかみそなへるために生き物を犠牲にする意で、犠牲となる動物をいふ。かたちは解剖する方法。これは一定の方法でいてささげたもの、ただしこのせいの字は原本にはとくとなつてゐるが、狩谷氏かりやし以來いらいせい誤寫ごしゃだと認められてゐる ◯穢を割いて 淸潔せいけつでないものをくこと ◯禮に供し このれいの字はあやまりではないかといはれてゐる ◯釋奠 供物くもつ神前しんぜんにささげて孔子こうしを祭るれい我國わがくにでは文武もんむ天皇の時に始まり、陰曆いんれきの二月・八月のかみ丁日ひのとのひ大學寮だいがくりょうおこなつて、孔門こうもんてつ配祀はいしした ◯禮制に乖く 規定の方法にそむいてゐる ◯全體を用ひ 延曆格えんりゃくきゃくには全體ぜんたいもちひとあるが、實際じっさい支那し なの方法にしたがつて解剖するのが正しく、全體ぜんたいとは新鮮なものをまるぐちそなへる意味であつたことを後文こうぶんおおせられてゐる ◯祭庭 祭事さいじを行ふ場所 ◯一に禮法に依り 支那し なで古代に定められた禮法れいほうのこと、これは『禮記らいき』に見える ◯鮮を割いて升し供へよ 新鮮なものを解剖して神に捧げる。

〔注意〕右は佛敎ぶっきょう全盛時代に釋奠せきてんかんした詔勅しょうちょくとして注意される。我が大化たいか改新かいしんは言ふまでもなく、のちに起つた賴朝よりともの幕府創立・明治維新實現じつげんいずれも儒敎じゅきょう關係かんけいが深いことは、國民思想と儒敎じゅきょうとの交渉に著眼ちゃくがんする者の忘れてならないてんである。日本國民は佛敎ぶっきょうの日本化を見るべく鎌倉時代たなければならなかつたが、儒敎じゅきょうすで大化改新當時とうじから日本化されてゐた。

【大意謹述】太政官だじょうかんからはっした去る延曆えんりゃく十二年五月十一日のきゃくには次の意味が記してある。神々かみがみを祭る場合には、すべけがれず、身をきよく保つことを根本とする。又、その際、犠牲とする動物を解剖する方法にかんしては明瞭めいりょうに一定の式が出來てゐる。それにもかかはらず、近年、諸國から犠牲を獻上けんじょうするのをるに、新鮮でない動物を解剖して神々を祭り、孔子廟こうしびょうを祭るれいも規定にしたがはない。ゆえに今後は必ず共に解剖しないものを使用し、まつりを行ふ場所にたてまつらなければならない。そこで有司ゆうしが固く禮法れいほうを守つて解體かいたいしていけにえを捧げることにすると。