38 八幡大菩薩宮に廬舍那佛修造を告げ奉るの宣命 文德天皇(第五十五代)

まん大菩薩宮だいぼさつぐう廬舍那佛るしゃなぶつ修造しゅうぞうたてまつるの宣命せんみょう(齊衡二年九月 文德實錄)

天皇我詔旨止、掛畏岐八幡大菩薩乃廣前爾恐牟恐牟毛申給倍止申久、東大寺乃廬舍那佛波、佐保天皇御世爾、大菩薩乎智識爾奉唱天奉造倍利。而乎時代久經爾天、自然爾毀損禮天、去五月二十三日乎以氐頽落給爾太利。今本志乃破奴倍支爾依天、奉造固无止須。今毛今毛亦大菩薩乃相助介護賜牟爾依天、佛毛平爾奉固利、天下毛平安介久在倍支。故是以、小納言從五位下利見王乎差使天、宇豆乃太幣帛乎令捧持天奉出須止、恐牟恐牟毛申賜久止申。

【謹譯】天皇すめら詔旨みことと、けまくもかしこき八まん大菩薩だいぼさつ廣前ひろまえかしこかしこむももうたまへともうさく、東大寺とうだいじ廬舍那佛るさなのほとけは、佐保天皇御世さほのすめらみことのみよに、大菩薩だいぼさつ智識ちしきとなまつりてつくまつりたまへり。さるときひさしくるにて、自然おのずから毀損こ われて、いぬ五月さつき二十三にち頽落くずれおたまひにたり。いま本志もとのこころざしやぶれぬべきによって、つくかたまつらむとす。いまいままた大菩薩だいぼさつあいたすまもたまはむによって、ほとけたいらかにかたまつり、天下あめのしたたいらかにやすけくあるべし。ここて、少納言しょうなごんじゅ位下いのげ利見王としみおう差使つかわして、宇豆う ず太幣帛ふとみてぐらささたしめてまついだすと、かしこかしこむももうたまはくともうす。

【字句謹解】◯東大寺の廬舍那佛 これに就いては本篇の『廬舍那る さ なぶつ鑄造ちゅうぞうかんくだたまへるみことのり』(聖武天皇天平十五年十月、續日本後紀)を參照さんしょうせよ ◯佐保天皇 聖武しょうむ天皇を申したてまつる ◯智識に唱へ奉りて 八まん大菩薩だいぼさつすべての指導として ◯頽落ち 黄金がげ落ちた意であらう ◯本志 聖武しょうむ天皇大佛だいぶつ建立こんりゅうされた際のこころざし ◯大菩薩 八まん大菩薩だいぼさつのこと ◯ 廬舍那佛るしゃなぶつのこと ◯宇豆の太幣帛 宇豆う ず尊嚴そんげんの意、太幣帛ふとみてぐらは神にささげる幣帛へいはくの事。

〔注意〕この年の大佛だいぶつ修造じゅうぞうに就いて、聖武しょうむ天皇御陵ごりょうにも奉告ほうこくされたのは左の如くである。

(一)佐保さ ほ山陵さんりょう廬舍那佛るしゃなぶつ修造しゅうぞうを告げたてまつるの宣命せんみょう(齊衡二年七月、文德實錄)(二)佐保さ ほ山陵さんりょうに重ねて告げたてまつるの宣命せんみょう(齊衡三年五月、文德實錄)が拜誦はいしょうされ、修理出來る間に

(三)諸寺しょじ堂塔どうとう修理のみことのり(淸和天皇貞觀元年七月、三代實錄)などがある。いよいよ修造しゅうぞうが出來上つた時には

(四)無遮むしゃ大會だいえを設くるのみことのり(貞觀三年正月、三代實錄)(五)しょ國司こくしに下し給へるみことのり(貞觀三年二月、三代實錄)をはっせられた。

【大意謹述】天皇大御言おおみことばくちに掛けるのもおそれ多い八まん大菩薩だいぼさつ御前みまえに、この上もなくつつしんで申し上げる。東大寺とうだいじにある廬舍那佛るしゃなぶつは、聖武しょうむ天皇御代み よに、八まん大菩薩だいぼさつ御意ぎょいあおいで造られたのである。しかるに久しく時をるにしたがつて、自然と諸部分が破損し、今年の五月二十三日には大部分がくずれ落ちてしまつた。このままにしておくことは、聖武しょうむ天皇廬舍那佛るしゃなぶつ建立こんりゅうして諸人しょにん救濟きゅうさいしようとされた御志おんこころざしそむく。ちんは今、これを修理することに決した。昔通り今囘こんかいまたまん大菩薩だいぼさつ御加護ご か ごつて、廬舍那佛るしゃなぶつも無事に修造しゅうぞう出來で き、天下も平安になるであらう。ゆえちんは、少納言しょうなごんじゅ利見王としみおうを使者として、とうと幣帛へいはくを捧げ持たしめて祭る次第である、以上この上もなくつつしんで告げたてまつる。

【備考】當時とうじ、三大社だいしゃとして、伊勢い せ神宮じんぐう賀茂か も神社じんじゃ石淸水いわしみず幡宮まんぐうかぞへられた。それから八幡宮まんぐうを八まん大菩薩だいぼさつと呼んだのは、神佛しんぶつ習合しゅうごう思想の結果で、神に菩薩ぼさつごうたてまつつたのであつた。のちには、神に權現ごんげんの二字をたてまつるやうになつたが、權現ごんげんといふのは、ほとけ衆生しゅじょうを救ふためかり化現かげんしたといふ意味である。