35 名神に奉幣するの勅 仁明天皇(第五十四代)

名神めいしん奉幣ほうへいするのみことのり(承和三年七月 續日本後紀

方今時屬西成、五榖垂穗。如有雨風愆序、恐損秋稼。宜令五畿內七道諸國、奉幣名神、攘灾未萌。其幣帛料用正稅。長官率僚屬、自親齋戒、祭如神在、必致懲應。

【謹譯】方今ほうこんとき西成せいせいぞくし、五こくる。雨風うふうじょあやまるあらば、おそらくは秋稼しゅうかそんぜん。よろしく五畿內きない・七どう諸國しょこくをして名神めいしん奉幣ほうへいし、わざわい未萌みほうはらはしむべし。幣帛料へいはくりょう正稅せいぜいもちふ。長官ちょうかん僚屬りょうぞくひきゐ、みずかしたしく齋戒さいかいし、まつりかみいまごとくせば、かならずや懲應ちょうおういたさん。

【字句謹解】◯方今 現在の意 ◯西成 榖物こくもつが熟すの時 ◯雨風序を愆る 風や雨の工合ぐあいが理想的にかないこと、じょあやまるとは風がつよく吹きすぎたり雨が長かつたり、その反對はんたいに雨がなかつたりする意 ◯秋稼 秋の收穫しゅうかく ◯五畿 畿內きないとは皇都こうと附近ふきんの諸國の意、この場合は京都・大和やまと河內かわち和泉いずみ攝津せっつの五こくを指す ◯七道 京師けいしを中心として、七方面にく道のしょう、東海道・東山道とうさんどう北陸道山陰道山陽道南海道なんかいどう西海道さいかいどうの意 ◯名神 世に評判の高い神社じんじゃ ◯未萌に 未だ實際じっさいに災害の起らない以前にの意 ◯僚屬 部下の人々のこと ◯齋戒 身をつつしんで一切のけがれからとおかる ◯神の在すが如く 神が目の前にゐられるやうに、心から眞面目ま じ めに一しんになつてまつる ◯懲應 神がそのねがいを聞きとどけられること。

〔注意〕天變てんぺん地異ち いを神のしわざとして祭祀さいししたのが、佛敎ぶっきょう全盛時代には同時に經文きょうもんをもむやうになり、再轉さいてんして本勅ほんちょくに見られるやうに、その以前に名神めいしん奉幣ほうへいして、未だきざさざるに、祭祀さいしするやうになつた。このたぐいのものには流行病をはらひ、豐年ほうねんいのり、雨をいのり、地震はらふなどのことが多く、仁明にんみょう天皇御一代の詔勅しょうちょくちゅう拜誦はいしょう出來る。

(一)修繕しゅうぜん攘災じょうさいみことのり(天長十年六月、續日本後紀)(二)不祥ふしょうはらふの勅(天長十年六月、類聚國史)(三)年榖ねんこくいのるの勅(天長十年閏七月、續日本後紀)(四)疫癘えきれいはらふの勅(承和二年四月、類聚國史)(五)豐稔ほうねんいのるの勅(承和二年六月、續日本後紀)(六)名神めいしん奉幣ほうへいするの勅(承和三年七月、續日本後紀)(七)疫癘えきれいはらふの勅(承和三年七月、類聚國史)(八)法華經ほけきょう讀誦どくじゅの勅(承和三年十一月、續日本後紀)(九)大般若經だいはんにゃきょう轉讀てんどくの勅(承和三年十二月、續日本後紀)(一〇)疫癘えきれいはらふの勅(承和四年六月、類聚國史)(一一)風雨ふうう豫防よぼうするの勅(承和四年六月、類聚國史)(一二)伊勢い せ大神宮おおじんぐう奉幣ほうへいの勅(承和五年七月、續日本後紀)(一三)疾疫しつえきはらふの勅(承和六年閏正月、續日本後紀)(一四)大般若經だいはんにゃきょう及び海龍王經かいりゅうおうきょう轉讀てんどくの勅(承和六年三月、續日本後紀)(一五)甘雨かんういのるの勅(承和六年六月、日本紀略)(一六)祈雨き うの勅(承和六年六月、續日本後紀)(一七)甘雨かんういの風災ふうさいを防ぐの勅(承和七年四月、續日本後紀)(一八)祈雨き うの勅(承和七年六月、續日本後紀)(一九)災厄さいやくはらふの勅(承和七年六月、續日本後紀)(二〇)あらかじ風雨ふううを防ぐの勅(承和七年六月、續日本後紀)(二一)使つかい伊勢い せ大神宮だいじんぐうつかわすの勅(承和七年十二月、續日本後紀)(二二)金剛こんごう般若經はんにゃきょう轉讀てんどくの勅(承和八年四月、續日本後紀)(二三)祈雨き うの勅(承和八年四月、續日本後紀)(二四)神功じんごう皇后こうごう御陵ごりょう奉告ほうこくするの宣命せんみょう(承和八年五月、續日本後紀)(二五)豐年ほうねんいのるの勅(承和八年六月、續日本後紀)(二六)伊勢い せ大神宮だいじんぐう奉告ほうこくするの宣命(承和八年六月、續日本後紀)(二七)豐稔ほうねんいのるの勅(承和九年三月、續日本後紀)(二八)疫神えきしんまつるの勅(承和九年五月、類聚國史)(二九)伊勢い せ大神宮だいじんぐう奉幣ほうへいの勅(承和九年六月、續日本後紀)(三〇)疫氣えききはらふの勅(承和九年九月、續日本後紀)(三一)仁王にんのう般若經はんにゃきょうこうずるの勅(承和十年正月、續日本後紀)(三二)祈雨き うの勅(承和十二年五月、續日本後紀)(三三)雨害うがいを防止するの勅(嘉祥元年六月、續日本後紀)(三四)えきはらふの勅(嘉祥二年二月、續日本後紀)(三五)灌頂かんちょう經法きょうほうしゅうするの勅(嘉祥三年正月、續日本後紀

【大意謹述】現在は榖物こくもつの熟する時で、五こく共にれてゐる。この時にあたつて風雨の調子に平年へいねんことなることがあつたならば、秋の收穫時しゅうかくじに大きい支障をきたすであらう。ゆえに早速京師けいし周圍しゅういにある國々、及び京都を中心として諸國に通ずる七どうにある名高い神々に幣帛へいはくたてまつり、未だその災害が實際じっさいあらはれない以前に、神の御手み てつて豫防よぼうさせるのがよい。幣帛へいはくたてまつるのに要する費用は各地方の主稅しゅぜいを以てこれてる。諸地方の長官は、自己にぞくする下役したやくを引率して、みずから身をつつしみ、一切の不淨ふじょうに接せず、あだかも目の前に神がゐますもののやうに誠心まごころつくしていのれば、神もその氣持きもち感應かんのうせられて、願ひを聞きとどけられるであらう。

【備考】仁明にんみょう天皇は、佛敎ぶっきょう全盛時代に、相當そうとう神道しんどう尊重の精神せいしん發揮はっきせられた。それは、だい事蹟じせきちょうして分明ぶんめいである。「かみうやまふこと、ゐますがごとし」とおおせられたことは、天皇衷心ちゅうしんかみけいし、神をとうとまれた思召おぼしめし拜察はいさつすることが出來る。神が眼前がんぜんにをられるといふ切實せつじつな感じを以てこそ、はじめて、神を祭り、神からの感應かんのうることとなる。神を遠いところにある存在と考へると、いきお祭事さいじおろそかにするやうなことが出來る。以上の意味で、「神を敬ふこと、ゐますが如し」の精神せいしん敎示きょうじせられた仁明にんみょう天皇思召おぼしめしは、いつ迄も不朽ふきゅうの生命を有する。