34 妄に託宣を稱するを禁ずるの勅 嵯峨天皇(第五十二代)

みだり託宣たくせんしょうするをきんずるのみことのり(弘仁三年九月 日本後紀

恠異之事、聖人不語。妖言之罪、法制非輕。而諸國、信民狂言、言上寔繁、或言、及國家、或妄陳禍福。敗法亂紀、莫甚於斯。自今以後、有百姓輙稱託宣者、不論男女、隨事科決。但有神宣灼然其驗尤著者、國司撿察定實言上。

【謹譯】恠異かいいことは、聖人せいじんかたらず。妖言ようげんつみは、法制ほうせいかるきにあらず。しか諸國しょこくたみ狂言きょうげんしんじ、言上ごんじょうすることまことしげし。あるいげん國家こっかおよび、あるいみだり禍福かふくぶ。ほうやぶのりみだすこと、これよりはなはだしきはなし。自今じこん以後い ご、百せいもっぱ託宣たくせんしょうするものあらば、男女だんじょろんぜず、ことしたがひて科決かけつせん。ただ神宣しんせん灼然しゃくぜんとしてしるしもっといちじるしきものあらば、國司こくし撿察けんさつしてじつさだめて言上ごんじょうせよ。

【字句謹解】◯恠異の事 かいかいと同じ 常人じょうにんが想像も出來ない程の不思議なこと ◯聖人語らず 聖人せいじんとは孔子こうしのことであらう。『論語ろんご』には「季路き ろ鬼神きしんつかへんことをふ。いわく、未だ人につかふることあたはず、いずくんつかへんと。あえて死を問ふ。いわく、未だせいを知らず、いずくんぞ死を知らんと」(先進)とも、「いわく、民のつとめ、鬼神きしんけいしてこれに遠ざく、ふべし」(雍也)ともある。儒敎じゅきょうの本質は日常の倫理りんりを正しくき、實踐じっせんすることにるので、それに直接關係かんけいを持たない死とか死靈しりょうとかはけいして、遠ざけた方がよいことをいつたもの ◯妖言の罪 いつわりをいて人々を迷はす罪 ◯狂言 かるはづみの言葉、これは神託しんたくを受けたと輕々かるがるしく國司こくしに申し出ることを指す ◯寔に繁し 非常にかず多く、一々應接おうせつしてゐるのにへない ◯禍福を陳ぶ 將來しょうらいわざわいるか幸福こうふくになるかのてんまで、根據こんきょなき事柄ことがら眞實しんじつらしく誇大こだいに言葉をたくみにして云々うんぬんし、人々の一生を迷はすこと ◯法を敗り紀を亂す 國法こくほう尊嚴そんげんけがし、國の規定を無視む しする ◯輙ら もっぱらに同じ ◯託宣 神佛しんぶつのおつげとして豫言よげんする意 ◯事に隨ひて科決せん こと輕重けいちょうおうじて處罰しょばつする ◯灼然 疑ふべからざる程明瞭めいりょうなこと ◯撿察 よく調査する ◯實を定め 事實じじつと決定する ◯言上せよ 朝廷にまで奏上そうじょうせよ。

〔注意〕桓武かんむていの後に出られた平城へいじょう嵯峨さ が淳和じゅんな諸帝しょていの時代にも佛僧ぶっそう神官しんかんらに弊害へいがいがあつた事が多く見えてゐる。

(一)淫祀いんしを禁ずるのみことのり平城天皇大同二年九月、日本紀略)(二)大嘗會だいじょうえ雅樂ががく伎人ぎじん唐物とうぶつを飾るを禁ずるの勅(大同三年十一月、日本後紀)(三)倭漢わかん總歷そうれきてい譜圖ふ ずぞうするを禁ずるの勅(大同四年二月、日本後紀)(四)伊勢國いせのくにに下し給へる勅(嵯峨天皇弘仁三年五月、日本後紀)が本勅ほんちょくを除いた神事しんじの例とすることが出來る。

(五)布施ふ せすうさだむるのせい平城天皇大同元年六月、日本後紀)(六)寺院をわたくしするを禁ずるの勅(大同元年八月、日本後紀)(七)檀越だんのちむるの勅(大同元年八月、日本後紀)(八)僧尼そうに不法ふほうを禁ずるの勅(大同元年十月、類聚國史)(九)僧尼そうに淫犯いんぱんむるの勅(嵯峨天皇弘仁三年四月、日本後紀)(十)僧尼そうにの犯罪をただすの勅(弘仁三年六月、日本後紀)(十一)東大寺とうだいじあたり殺生せっしょうを禁ずるの勅(弘仁三年九月、日本後紀)(十二)崇福寺すうふくじ住侶じゅうりょ沙汰さ たするの勅(弘仁十年九月、日本紀略)などが佛敎ぶっきょうかんしたものである。

【大意謹述】昔、常人じょうにんの想像も出來ないやうな不思議な事を聖人せいじんは語られなかつた。又人を迷はすいつわりのげんは固く國法こくほうで禁じてある。それにもかかわらず、諸國司こくしはその地方の住民の輕々かるがるしい言葉を信じて、一々朝廷にまで奏上そうじょうするので、あまりにそれがかず多くて應接おうせついとまがない。る者は國家にかんして云々うんぬんし、る者は勝手に將來しょうらい禍害かがい幸福こうふくとを豫言よげんする。これ程國法こくほう尊嚴そんげんけがし、國家の規定を無視む しすることはないであらう。ゆえに本日以後、し國民中に神佛しんぶつ御託おつげを受けたと告げ知らせる者があるならば、その事每ことごとに、男女を問はず、內容の輕重けいちょうおうじて罪するであらう。ただし、誰が見ても神の御託おつげであることを疑はず、その內容が事實じじつと合つた場合は、一おう國司こくしに於て、十分調査したのち正當せいとう判斷はんだんが出來れば、早速このよしを朝廷にまで奏上そうじょうすることが必要である。

【備考】まだ人智じんちが一般に發達はったつしない時代には、どうしても、迷信めいしん分子ぶんしを一そうることがむづかしい。當時とうじ、民間において、迷信分子が跋扈ばっこして、思想を混亂こんらんせしむるのへい大分だいぶあつたことは、本勅ほんちょくにより、察することが出來る。一つは地方官が、宗敎上しゅうきょうじょうの知識に乏しく、合理的な考へを持たぬものが多かつたので、じょうぜられやすへいもあつたらう。かうした陋習ろうしゅうをすつかり取り去るために、天皇は、その思召おぼしめしつたへられたのである。

 しかし迷信は、いつの世にもつたはり、昭和しょうわ今日こんにちも、迷信者流が少くない。それは、つまり、しん宗敎しゅうきょうふるはぬことを意味するのではなからうか。乃至ないしは、宗敎しゅうきょうの本質がまだ一般によく知られてゐないところに根ざすのではなからうか。一こうを要する。