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32-1 中臣・忌部に下し給へる勅 平城天皇(第五十一代)

中臣なかとみ忌部いんべくだたまへるみことのり(第一段)(大同元年八月 日本後紀

日本書紀、天照大神閇天磐戸之時、中臣連遠祖天兒屋命、忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、下枝懸靑和幣白和幣、相與致祈禱。然則至祈禱事、中臣忌部竝可相預。

【謹譯】日本書紀にほんしょきるに、天照大神あまてらすおおみかみ天磐戸あまのいわととざしたまへるのとき中臣連なかとみのむらじ遠祖えんそ天兒屋命あめのこやねのみこと忌部いんべ遠祖えんそ太玉命ふとだまのみこと天香山あまのかぐやま五百箇いおつの眞坂樹まさかきりて、上枝かみつえ八坂瓊やさかに五百箇いおつの御統みすまるけ、中枝なかつえ八咫鏡やたのかがみけ、下枝しずえ靑和幣あおにぎて白和幣しらにぎてけ、相與あいとも祈禱きとうすと。しからばすなわ祈禱きとうこといたりては、中臣なかとみ忌部いんべならびあいあずかるべし。

【字句謹解】◯日本書紀 元明げんみょう天皇養老ようろう四年に獻上けんじょうした漢文かんぶん國史こくし、三十かんから成り、神代かみよから持統じとう天皇に至るまでの事實じじつ編年體へんねんたいに記したもので、一ぽん舍人とねり親王しんのうみことのりほう太安麻呂おおのやすまろなどと撰修せんしゅうしたのである ◯天磐戸を閇したまへるの時 この部分は『神代紀しんだいき卷上まきのじょうにある ◯遠祖 そのうじといふ程の意 ◯天兒屋命 天磐戸あまのいわとの際に祝詞のりとそうし、天孫てんそん降臨こうりん供奉ぐ ぶしたとしょうせられる神、記紀き き共に中臣氏なかとみしとあるので、後世中臣氏なかとみし神事しんじ關係かんけいし、特に祝詞のりとむ役となつた ◯太玉命 天磐戸あまのいわとの際に祭事さいじあずかり、天孫てんそん降臨こうりん供奉ぐ ぶした神 ◯天香山 天上てんじょうにある山の名、「大和やまと風土記ふ ど き」には、これが後に地にちて大和やまと香山かぐやま伊豫い よ天山あまやまと分かれたよしが記してある ◯五百箇眞坂樹 枝の多くしげつたさかき、このさかき神事しんじに用ひられるのは、新芽しんめの間は特ににおいいちじるしいからだといはれてゐる ◯堀りて こそぎにする事 ◯上枝 上方じょうほうにある枝 ◯八坂瓊の五百箇御統 八坂やさか彌榮いやさかえの意、五百箇い お つは物の多くついてゐる形容、御統みすまる圓型えんけいのものの名で、この場合は曲玉まがたまの意、つまり多くのたまのついた目出度め で た勾玉まがたまのことである ◯八咫鏡 八角になつてゐる鏡、八寸程の鏡、美しい鏡とする三せつがあつて一定しない、古代の鏡は皆圓型えんけいであるとのせつを肯定すれば、美しい鏡の意であらう ◯靑和幣 和幣にぎては手で持つて神にたてまつるもの、あおは麻の色で、宣長のりながは麻の和幣にぎてかいしてゐる ◯白和幣 白は綿わたの色で、木綿もめん和幣にぎてである。

〔注意〕本勅ほんちょく中臣氏なかとみし忌部氏いんべしとの職掌しょくしょうを明白にされ、以後は混同なく、爭論そうろんなくされたもので、本篇に謹述きんじゅつしたところの

(一)神宮じんぐう幣帛使へいはくし中臣氏なかとみしを用ゐるの制(孝謙天皇天平寶字元年六月、續日本紀)と關係かんけいを有する。

【大意謹述】日本書紀にほんしょき神代卷上かみよのまきじょうしたがへば、天照大御神あまてらすおおみかみ天磐戸あまのいわとを閉ぢて、かくたもうた時に、現在中臣連なかとみのむらじあた天兒屋命あめのこやねのみこと忌部氏いんべしあた太玉命ふとだまのみこととが、高天原たかまのはらにある天香山あまのかぐやまといふ山にある枝の多く茂つたさかきを根こそぎにし、その上方う えの枝には八坂瓊やさかにの五百箇いおつの御統みすまると呼ばれる多くのたまのついた目出度め で た勾玉まがたまけ、中程なかほどの枝には八咫鏡やたのかがみといふ美しい立派な鏡をけ、下方し たの枝にはあさ和幣にぎて木綿もめん和幣にぎてけて、一緒に大御神おおみかみが再び出現して、この世を照されるやうに祈禱きとうしたと記してある。この文からは神事しんじ祈禱きとうあたつては中臣なかとみ忌部いんべ甲乙こうおつなく共に從事じゅうじした事實じじつが知れるので、ちんの世に於いても、兩氏りょうしは同じく祈禱きとうの事を共にしなければならない。