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26 神宮幣帛使に中臣氏を用ゐるの制 孝謙天皇(第四十六代)

神宮じんぐう幣帛使へいはくし中臣氏なかとみしもちゐるのせい天平寶字元年六月 續日本紀

伊勢大神宮幣帛使、自今以後、差中臣朝臣、不得用他姓人。

【謹譯】伊勢い せ大神宮だいじんぐう幣帛使へいはくしは、自今じこん以後い ご中臣朝臣なかとみのあそみつかわし、他姓たせいひともちゐることをず。

【字句謹解】◯幣帛使 幣帛へいはくたてまつつて神慮しんりょうかがふ使者 ◯中臣 藤原氏一族の。〔註一〕參照 ◯他姓 中臣氏なかとみし以外のせいを有するもの。

〔註一〕中臣氏と藤原氏 本勅ほんちょくは短文であり、意義も明らかであるが、一面において、『古語こ ご拾遺しゅうい』と間接に交渉を持つてゐる。我が朝廷の祭事さいじ中臣氏なかとみし忌部いんべ(齋部とも書く)とが同等の權利けんりを持つて奉仕してゐたので、『神代紀しんだいき』にも中臣連なかとみのむらじ天兒屋根命あめのこやねのみこと忌部いんべ太玉命ふとたまのみことが「相與あいとも祈禱きとうを致す」とあり、そのかんに上下の區別くべつはなかつた。しかるにその後大化たいか改新かいしん以來中臣氏を等しくする藤原氏絕大ぜつだい權力けんりょくを有するやうになり、同族の關係かんけいでそれが中臣氏にまで及んで、天武てんむ天皇の頃には、中臣なかとみ朝臣あそんの地位に、忌部いんべは一段下つた宿禰すくね劣位れついとどまつた。本勅ほんちょくはその劣位れついとどまつた忌部いんべから更に權力けんりょくを制限したので、伊勢の皇大こうたい神宮じんぐう奉幣使ほうへいしを中臣氏に限つたことを記されてゐる。

 その後、光仁こうにん天皇御代み よには全く忌部いんべ中臣なかとみぞくするに至り、中臣氏の關係かんけいを持つ神社じんじゃのみが特權とっけんにあづかるやうになつたので、忌部いんべの人々は怏々おうおうとして少しもたのしまなかつた。ゆえ平城へいじょう天皇から齋部いんべの(忌部のこと)廣成ひろなりに命じて、その家につたはつた舊說きゅうせつかんして御下問ごかもんあつたので、廣成ひろなりは「宿願しゅくがんを達するのはこの時だ」として中臣なかとみ忌部いんべの同一の位置を主張した拾遺しゅうい十一ヶ條かじょうたてまつつた。

〔注意〕なほ、本勅ほんちょく以後、中臣氏なかとみし祭神さいじんかんして下したもうたもののうちで、

(一)神祇じんぎはくじゅさずくるのみことのり(稱德天皇天平神護元年十一月、續日本紀)(二)中臣なかとみ淸麻呂きよまろせい大中臣朝臣おおなかとみのあそみたまふのみことのり(稱德天皇神護景雲三年六月、續日本紀)などがある。

【大意謹述】伊勢の皇大こうたい神宮じんぐう奉幣ほうへいする使者は、現在以後、必ず中臣朝臣なかとみのあそみに命じ、せいぞくする人を用ゐてはならない。

【備考】藤原氏權力けんりょくが次第に增大ぞうだいしため、そのたる中臣氏なかとみし一族が、おのづから齋部氏いんべし壓倒あっとうしたのは、當時とうじに限らず、いつの世にもよくある例だと思はれる。それらは政治上の事情によるのだから、一がいにこれを是非することが出來ないであらう。