24-9 陸奥國より黄金を出せる時下し給へる宣命 聖武天皇(第四十五代)

陸奥むつのくにより黄金こがねいだせるときくだたまへる宣命せんみょう(第九段)(天平勝寶元年四月 續日本紀

又、大伴、佐伯宿禰波、常母云如久、天皇朝守仕奉事、顧奈伎人等爾阿禮波、汝多知乃祖止母乃云來久、海行波美豆久屍、山行波草牟須屍、王乃幣爾去曾死米、能杼爾波不死止云來流人等止奈母聞召須。是以、遠天皇御世始弖、今朕御世爾當弖母、內兵止心中古止波奈母遣須。故是以子波朕乃心成伊自子爾波可在。此心不失自弖、明淨心以弖仕奉止自弖奈母、男女竝弖一二治賜夫。

【謹譯】また大伴おおとも佐伯さえぎ宿禰すくねは、つねごとく、天皇すめらみかどつかへまつること、かえりみなき人等ひとどもにあれば、いましたちのおやどものらく、うみかばみづくかばねやまかばくさむすかばねおおきみのへにこそなめ、のどにはなじと人等ひとどもとなもきこしめす。ここて、天皇とおすめろぎ御世み よはじめて、いま御世み よあたりても、うちいくさ心中お もほしめして、ことはなもつかはす。ここおやこころなすいしにはあるべし。こころうしなはずして、あかきよこころちてつかへまつれとしてなも、おのこめのこあわせてひとりふたりおさめたまふ。

【字句謹解】◯大伴・佐伯の宿禰 大伴おおとも宿禰すくね佐伯さえぎ宿禰すくねの二の事。〔註一〕參照 ◯顧みなき人 自分の身をかえりみないで忠節ちゅうせつつくす人 ◯汝たちの祖ども 〔注意〕說明せつめいする『萬葉集まんようしゅう』の大伴家持おおとものやかもち長歌ちょうかによれば大來目主おおくめぬしのことである。大來目主おおくめぬしは『古事記こ じ き』によれば大來目命おおくめのみこととなつてり、神武じんむ天皇供奉ぐ ぶした武將ぶしょう ◯海行かばみづく屍 みづくかばね水漬屍みずつけかばねのことで、うみで死ぬこと ◯山行かば草むす屍 草むすかばねは死骸の上に草が生えることで、山野さんや戰死せんしすること ◯王のへにこそ死なめ へはかたわらの意、おおきみ天皇御事おんこと、なめは願望をあらはす助動詞、天皇御傍おそばで死ぬのこそねがはしい ◯のどには死なじ のどは事なく安らかなこと、いたずらにの意、決して無駄死むだじにはしないとの義。なほ〔注意〕參照 ◯天皇 御先祖ごせんぞの諸天皇 ◯內の兵 近衞兵このえへいの意 ◯祖の心なすいし子 祖先そせんの希望通り同じ心を持つて忠節ちゅうせつつくす子。

〔註一〕大伴・佐伯の宿禰 大伴おおとも佐伯さえぎ上代かみよに於ける天皇供奉兵ぐぶへいの意である。大伴氏天忍日命あめのおしひのみことすえで、神武朝じんむちょう元勳げんくん道臣命みちのおみのみこととする。その大連おおむらじ天武朝てんむちょうの時に宿禰すくねに昇格された。佐伯さえぎ景行朝けいこうちょう俘囚ふしゅうを以て佐伯部さえぎべを編制したのが始りで、雄略朝ゆうりゃくちょう近衞兵このえへいとされた。〔注意〕に於いて家持やかもち大來目主おおくめぬししょうしてゐるのは、神武朝の供奉ぐ ぶ久米氏く め ししゅのことで、兩氏りょうしあるい先祖せんぞを等しくしてゐるのかも知れない。この他上代かみよ供奉兵ぐぶへいには物部氏もののべしもあり、結局主要なものは大伴おおとも久米く め佐伯さえぎ物部もののべの四氏に分かれてゐたことになる。

〔注意〕當時とうじ越中えっちゅう國守こくしゅをしてゐた家持やかもちは、本詔ほんしょうつたへ聞いてことほぎの歌をえいじた。今日こんにちそれがさいわひにも『萬葉集まんようしゅう』の中にのこつてゐる。すなわまき十八にある『陸奥みちのくのくによりくがねいだせる詔書みことのりことほうたしゅならび短歌たんか』がそれで、後書きに「天平てんぴょう感寶かんぽう元年五月十二日、越中國守えっちゅうのくにのかみやかたにて大伴宿禰おおとものすくね家持やかもちこれを作る」とある、本詔中ほんしょうちゅうに見ゆる「うみかば」の歌が最後の一句だけことなつた表現で見ゆることからも、本詔ほんしょうとは二重の關係かんけいを持つので、次にその全文を引用する。

葦原あしはらの、瑞穗みずほくにを、天降あまくだり、しらしめしける、天皇すめろぎの、かみみことの、御代み よかさね、あめ日嗣ひつぎと、しらしる、きみ御代み よ御代み よきませる、四方よ もくにには、山河やまかわを、ひろあつみと、たてまつる、御調寶みつぎたからは、かぞず、つくしもねつ。しかれども、わが大王おおきみの、諸人もろびとを、いざなたまひ、ことを、はじたまひて、くがねかも、たのしけくあらむと、おもほして、したなやますに、とりく、あずまくにの、陸奥みちのくの、小田お だなるやまに、くがねありと、もうたまへれ、御心みこころを、あきらめたまひ、天地あめつちの、かみあい納受うずなひ、すめろぎの、御靈みたまたすけて、とおに、なかりしことを、ちん御世み よに、あらわしてあれば、⻝國おすくには、さかえむものと、かんながら、おもほしして、武夫もののふの、八十や そともを、まつろへの、むけのまにまに、老人おいびとも、めのこわらはも、ねがふ、こころらひに、たまひ、おさたまへば、ここをしも、あやにとうとみ、うれしけく、いよいよおもひて、大伴おおともとお神祖かんおやの、をば、大來目主おおくめぬしと、ちて、つかへしつかさうみかば、づくかばねやまかば、くさむすかばね大君おおぎみの、にこそなめ、かえりみは、せじとことて、丈夫ますらおの、きよを、いにしえよ、いまのをつつに、ながさへる、おやどもぞ。大伴おおともと、佐伯さえぎうじは、ひと祖先お やの、つることて、ひとは、祖先お やたず、大君おおぎみに、まつろふものと、げる、ことつかさぞ、梓弓あずさゆみちて、劔大刀つるぎだちこしき、あさまもり、ゆうまもりに、大君おおぎみの、御門みかど守護まもりわれをおきて、またひとはあらじと、いやて、おもひしまさる。大君おおぎみの、御言みことさきの、けばとうとみ」。反歌はんか三首、「丈夫ますらおの心思ほゆ大君おおぎみ御言みことさきを聞けばとうとみ」「大伴おおともとお神祖かんおや奥津城おくつきしるしめて人の知るべく」「天皇すめろぎ御代み よさかえむとあずまなる陸奥みちのくやまくがねはな咲く」。

【大意謹述】又、更に陛下の御命ごめいつたへる。大伴宿禰おおとものすくね及び佐伯宿禰さえぎのすくねつて代表される二は、常々、朝廷を守護して一命をかえりみない人々であるから、汝等なんじら祖先そせんから今まで、生活の信條しんじょうを歌つたものとしてつたへられる「うみたたかつたならば死骸を水に漬けよう。山でたたかつたならば、天皇のために力戰りきせんして山野さんやの骨とさう。死體したいから草が生えたとて何とも思はない。ただ、我等は天皇御傍おそば戰死せんしするのが望ましいので、無駄死む だ じにはしない覺悟かくごを持つてゐる」との內容を實行じっこうする人々であると思召おぼしめされる。ゆえ御先祖ごせんぞ代々だいだい天皇御世み よを始め、現在、陛下の世にあたつても、同樣どうよう護衞兵ごえいへいとしての御言葉を下したまふのである。近衞兵このえへいとして汝等なんじらが御言葉をたまはることは、汝等の父が汝等にかくあれと願望したものを實現じつげんした意味にもならう。祖先そせん以來皇室の守護にあたつて、忠義ちゅうぎに厚く私心ししんなく、今後も奉仕するやうにとうて、今囘こんかい、男女を合せて一二人に特別な恩賞おんしょうたまふ次第である。

【備考】日本は、由來ゆらい尙武しょうぶの國である。勿論もちろん、そのは、正義を背景としたで、濫用らんようさるるではない。また優美の精神せいしんと調和するで、ただこつこつとほねばつたではない。更に平和護持ご じのためので、支那しなりゅう權力けんりょく富貴ふ きを求めるために惡用あくようするでない。以上の意味での尙武しょうぶだ。したがつて、この正しい觀念かんねんに起つた大伴おおとも佐伯さえぎ二氏は、忠誠ちゅうせいの心を以て、武官ぶかん重位じゅういにをり、平生へいぜいは皇室を護衞ごえいし、一旦、事あれば、陛下のために身命しんめいを捧げた。日本が尙武しょうぶの國として、長き生命を維持する所以ゆえんは、じつに正しい觀念かんねん・意義が十分、古來こらい武人ぶじんの心にみ込んでゐるからだと思ふ。