24-7 陸奥國より黄金を出せる時下し給へる宣命 聖武天皇(第四十五代)

陸奥むつのくにより黄金こがねいだせるときくだたまへる宣命せんみょう(第七段)(天平勝寶元年四月 續日本紀

加以、挂畏近江大津宮大八島國所知天皇大命止自弖、奈良宮大八洲國所知我皇天皇、御世重朕宣自久、大臣御世重明淨心以仕奉事依天弖奈母、天日繼平安聞召來、此辭忘給棄給奈止比之大命受賜麻利、汝多知乎惠賜治賜久止宣大命、衆聞食宣。

【謹譯】しかのみにあらず、けまくもかしこ近江おうみ大津おおつみや大八島國おおやしまぐにしろしめしし天皇すめら大命おおみこととして、奈良な らみや大八洲おおやしまぐにしろしめしし天皇おおきみすめらみことと、御世み よかさねてあれりたまひしく、大臣おおおみ御世み よかさねてあかきよこころちてつかへまつることによりてなも、天日嗣あまつひつぎたいらけくやすきこしめしる、ことわすたまふなたまふなとりたまひし大命おおみことをうけたまはりかしこまり、いましたちをめぐみたまひおさめたまはくとりたまふ大命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯近江の大津の宮に大八島國知しめしし天皇 近江おうみにある大津おおつの宮にましましてこの日本全土を御統治あそばされた天皇の意で、天智てんち天皇を申したてまつる ◯奈良の宮に大八洲國知しめしし我が皇天皇 奈良の宮殿にましましてこの日本全土を御統治あそばされた御先代の天皇の意で、元正げんしょう天皇を申したてまつる、大八島おおやしま大八洲おおやしまとは同じで、我が日本全土の意 ◯御世重ねて 天智てんち天皇以來、元正げんしょう天皇に至るまで次々と御世み よを重ねてたまわつたへられたこと ◯大臣 主として藤原氏一門を指す。〔註一〕參照 ◯明き淨き心 あかきは忠義ちゅうぎに厚いこと、きよきは私心ししんの少しもないこと ◯宣りたまひし 過去におおせられたことである。

〔註一〕大臣 藤原鎌足ふじわらのかまたりの子には定慧じょうえ不比等ふ ひ と氷上娘ひかみのいらつめ五百重娘いおえのいらつめの四人があつた。こののち二者は共に天武てんむ夫人となつたのである。又、不比等ふ ひ との子には武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂ま ろ宮子みやこ光明子こうみょうし多比能た び のの七人が有名である。武智麻呂むちまろ南家なんけしょうされ、房前ふささき北家ほっけ宇合うまかい式家しきけ麻呂ま ろ京家きょうけおこし、宮子みやこ文武もんむ天皇の夫人となつて聖武しょうむていを生みたてまつり、光明子こうみょうし聖武しょうむ皇后こうごうとなつて孝謙こうけんていを生みたてまつり、多比能た び の橘諸兄たちばなもろえの妻となつた。この人々の子孫がいづれもあるい卽位そくいされ、又は宮中に於いて主要な地位に就いたのは言ふまでもない。

【大意謹述】それのみではなく、申すも恐れ多いことながら、近江の大津の宮にましまして日本を統治された天智てんち天皇大御言おおみこととして、その後、奈良の宮殿にましまして日本を支配された御先代の元正げんしょう天皇に至るまで、次々に御代み よを重ねて遂にちんにもかつて、「大臣だいじんの地位にある藤原氏の一門が代々よ よ引きつづいて忠義ちゅうぎに厚く、私心ししんなく朝廷につかたてまつることにつて、皇統こうとうの上に何の不安もなく、天下は太平なのである。この言辭ことばを決して忘れてはならないと同時に、藤原の一門をててはならない」とおおせられた。朕はこの代々よ よ重ねつたへられた大御言おおみことを固く守り、汝等なんじらを愛し、特に恩惠おんけいを加へるのであると天皇大御言おおみことを、神佛しんぶつ及び一同の方々かたがたきこされるやうにと申上もうしあげる。