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23 廬舍那佛前に白さしめ給へる御詞 聖武天皇(第四十五代)

廬舍那佛るしゃなぶつぜんもうさしめたまへる御詞みことば天平勝寶元年四月 續日本紀

三寶仕奉天皇羅我大命良麻止、廬舍那像大前奏賜部止、此大倭國者、天地開闢以來、黄金人國用理獻言登毛、斯地者無物部流仁、聞看⻝國中東方、陸奥國守從五位上百濟王敬福、部內少田郡黄金出在奏獻。此聞食驚久波、廬舍那佛慈賜波閇賜物、念受賜戴持、百官人等率禮拜仕奉事、挂畏三寶大前美毛奏賜波久止奏。

【謹譯】三寶ほとけやっこつかへまつる天皇すめら大命おおみことらまと、廬舍那る さ なみかた大前おおまえもうしたまへともうさく、大倭おおやまとくには、天地あめつち開闢はじめより以來このかたに、黄金くがね人國ひとのくによりたてまつることはれども、くににはきものとおもへるに、きこしめす⻝國おすくにうちひむがしかた陸奥みちのく國守くにのかみ從五位上ひろきいつつのくらいのかみつ百濟しなくだらこにきし敬福きょうふくい、部內くにのうち少田お だこおり黄金くがねでたりともうしてたてまつれり。きこしめしおどろよろことうとおもほさくは、廬舍那る さ なほとけめぐみたまひさきわへたまふものにありと、おもへうけたまはりかしこまりいただち、百官もものつかさ人等ひとどもひきゐて禮拜おろがつかへまつることを、けまくもかしこ三寶ほとけ大前おおまえかしこかしこみももうしたまはくともうす。

【字句謹解】◯三寶の奴 三寶ほとけとはぶつぽうそうを意味するが、ここではほとけだけの意と解される。やっこ家之子や つ この意で、神佛しんぶつつかへる人のこと ◯らまと 確かにと念をおす語 ◯大倭の國 我が日本國のこと ◯人國 他國、黄金こがねは主として朝鮮を通じて輸入ゆにゅうされてゐた ◯聞しめす⻝國 支配あそばされてゐる範圍はんいの國、すなわち日本國の義 ◯百濟の王敬福い 百濟くだらうじこにきしかばね敬福きょうふくは名、は人名などの下に添へて親しみをあらはすことば敬福きょうふく曾祖父そうそふの時に我が國に歸化き かした ◯部內 統治權とうちけんを委任させてゐる範圍はんいの內 ◯悅び 心からしみじみうれしく思ふこと ◯貴び 獻上けんじょうされた黄金おうごんを高貴なものとして大切にする ◯福へたまふもの 幸福こうふくあたへられること ◯百官 朝廷に奉仕する者の總稱そうしょう ◯挂けまくも畏き 口にするのも恐れ多いとの義、本來ほんらいこの語は臣下しんか天皇に、あるい天皇御先祖ごせんぞ御靈みたまたいしてはれることばであるが、ここではほとけたいして使用されてゐる。

〔注意〕本詔ほんしょう天平てんぴょう勝寶しょうほう元年四月朔日ついたち天皇東大寺とうだいじ行幸ぎょうこうあり、廬舍那佛るしゃなぶつの前に北面ほくめんされ、皇后・皇太子及び百かんりょうならんだ席で、左大臣橘諸兄たちばなのもろえみことのりして、大佛だいぶつもうさしめ給うた御詞みことばである。「北面ほくめんしてほとけたいし」とあるのはほとけたいして謙遜けんそんされた意で、これについても史家し かの間に議論がある。

 なほ本詔ほんしょうと同じ主意を述べられたものに、(一)陸奥むつのくにより黄金おうごんいだせる時下し給へる宣命せんみょう聖武天皇天平勝寶元年四月、續日本紀)がある。

【大意謹述】御佛みほとけ誠心まごころを以てつかまつる上から天皇大御言おおみことを、確かに今、廬舍那るしゃな大佛だいぶつ御前みまえで申し上げる。我が日本國には、天地の開け始めた時から、常に黄金は異國から獻上けんじょうされてゐたので、この國には、黄金の埋沒まいぶつした場所はないものと思つてゐた。ところが、今囘こんかい御統治ごとうちあそばされる御支配國中ごしはいこくちゅうの東方にある、陸奥む つ國守くにのかみじゅ五位じょう百濟くだらこにきし敬福きょうふくが自己の管轄かんかつ區域內くいきない少田郡おだごおりから黄金が產出さんしゅつしたと奏上そうじょうし、九百りょう獻上けんじょうした。陸奥む つからの黄金おうごん獻上けんじょうきこしめされた天皇は、意外なことに驚かされ、やがてそれを心からよろこび、必ずこれは廬舍那佛るしゃなぶつ御授おさずけになり、ふくあたへられたものに相違そういないと考へられた。その叡慮えいりょから威儀い ぎを正して黄金を受けいただかれ、禁中きんちゅうに奉仕する官吏かんりを引率して、今、大佛だいぶつ禮拜らいはいし、奉仕さるることを御佛みほとけ御前みまえに陛下の代理たる諸兄もろえからかしこまつて申し上げる。

【備考】わが天皇天業てんぎょう皇祖こうそ皇宗こうそう御思召おんおぼしめし忠實ちゅうじつに行はれ、國民に仁政じんせいたまわる上にある。萬世ばんせいけいであらせらるる所以ゆえんも、つまりは、かむながらの道を行はれ、天地と共に不朽ふきゅうの生命を具現ぐげんさるるにあると申してよい。ゆえ天皇神道しんどうとの間には直接不可離ふ か り關係かんけいがある。したがつて聖武しょうむ天皇至聖しせいの地位にましまして「三寶ほとけやっこ」としょうたもうた事に就て、學者間がくしゃかんにいろいろのせつを生じた。いずれにしても、あまりに外來がいらい宗敎しゅうきょうたる佛敎ぶっきょうかたよられ、神道しんどう御心みこころあまり注がれなかつたことは、何としても遺憾いかんだつた。が、佛敎ぶっきょう藝術げいじゅつの上に貢獻こうけんせられたこと、當時とうじの國民の新興しんこう意氣い きを文化の上に發揮はっきされたことは正しく認めたい。