22-2 廬舍那佛鑄造に關して下し給へる詔 聖武天皇(第四十五代)

廬舍那佛るしゃなぶつ鑄造ちゅうぞうかんしてくだたまへるみことのり(第二段)(天平十五年十二月 續日本紀

粤以天平十五年歳次癸未十月十五日、發菩薩大願、奉造廬舍那佛金銅像一驅。盡國銅而鎔象、削大山以構堂、廣及法界、爲朕知識、遂使同蒙利益、共致菩提。

【謹譯】ここ天平てんぴょう十五ねん歳次さいじ癸未みずのとひつじがつ十五にちもって、菩薩ぼさつ大願だいがんおこして、廬舍那佛るしゃなぶつ銅像こんどうぞうつくたてまつる。國銅こくどうつくしてかたつくり、大山たいざんけずりてもっどうかまへ、ひろ法界ほうかいおよぼして、ちん知識ちしきとなし、ついおなじく利益りえきこうむりて、とも菩提ぼだいいたさしめん。

【字句謹解】◯歳次 としまはりの意 ◯菩薩の大願 ほとけの法で一切の衆生しゅじょう成佛じょうぶつさせる大きな希望。〔註一〕參照 ◯國銅を盡して 我が國に在るすべての銅を費しての意 ◯象を鎔り 金屬きんぞくを或るかたに作り上げる。ここでは廬舍那佛るしゃなぶつを造ること ◯大山を削りて 國々の大きな山に生えてゐる木を全部伐採する ◯法界 佛法ぶっぽうの世界 ◯知識 これは(一)智力ちりょく(二)名僧めいそう、及び(三)結緣けちえんのために物を佛寺ぶつじに寄進することの三があるが、この場合はその(三)で正法しょうぼう善道ぜんどうの師 ◯菩提を致さしめん 佛果ぶっかを得て極樂ごくらく往生おうじょうをするやう願ふべく努力しようとの意。

〔註一〕菩薩の大願 天皇大佛だいぶつ建立こんりゅう御願ごがんを立てられたのは何時い つの頃だか明瞭な記錄きろくはない。これにかんして『元亨釋書げんこうしゃくしょ』は左の有名なせつを記してゐる、聖武しょうむ天皇東大寺はじめられる御意志があられたが、神慮しんりょうかがふために、天平てんぴょう十三年に行基ぎょうき法師ほうしに命じて舍利しゃりりゅう皇大神宮こうたいじんぐうけんぜしめられた。行基ぎょうきそうであるから正門の內部に入ることは出來ず、內宮ないぐう南門の大松おおまつの下で七日間持念じねんして聖旨せいしを告げると、七日目の夜に神殿しんでんおのずから開け、「實相じっそう眞如しんにょ日輪にちりんは、生死しょうじ長夜ちょうや照却しょうきゃくし、本有常住ほんぬじょうじゅう月輪げつりんは、煩惱ぼんのう迷雲めいうん爍破しゃくはす。われがたきの大願だいがんに逢ひ、わたりに船を得たるが如し、又得難えがたきの寶珠ほうじゅを受け、やみかがりびを得たるが如し。舍利しゃりを持ち、飯高郷いいだかのさと藏埋ぞうまいし、以て邦家ほうかたのめ」といふのを聞いて行基ぎょうきはこの上もなく喜び、神命しんめいを受けた場所に舍利しゃりうずめて報告した。天皇はその實否じっぴを調査するために、右大臣の橘諸兄たちばなのもろえちょくして更に神慮しんりょうかがはしめられた。同時に天皇御夢おんゆめ大御神おおみかみが立たせられ、「日輪にちりん廬舍那佛るしゃなぶつである。みかどはこの意のもと東大寺營興えいこうせよ」とひをはつて、日輪にちりんそうあらわし、赫々かくかくたる光を放たれた。ここに大御神おおみかみ御慮おんおぼしめしを知られ、ただちに大佛だいぶつ鑄造ちゅうぞうを始められたのである。—以上が『元亨釋書げんこうしゃくしょ』の大意である。しかし我々はこのせつ本地ほんち垂迹すいじゃくかんした俗說ぞくせつであるのを知つて、信用が置けない。しかしここでは、この頃に大佛だいぶつ鑄造ちゅうぞう叡慮えいりょ天皇にあられたと想像出來る一しょうとなると思ふ。

【大意謹述】ちんは今、天平てんぴょう十五年癸未みずのとひつじとし十月十五日に、佛法ぶっぽうつて衆生しゅじょうを救ふ大志を立て、廬舍那佛るしゃなぶつ銅像こんどうぞうを造ることにした。そのために國中くにじゅうの銅のすべてを費して大佛だいぶつつくり、諸方面にある山々の木を全部り出して堂を作り、そのよき結果をひろ佛敎界ぶっきょうかいに及ぼさうと欲する。これにつて國民は同じやうに大きい利益りえきを得て、共に極樂ごくらく成佛じょうぶつが出來るであらう。