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22-1 廬舍那佛鑄造に關して下し給へる詔 聖武天皇(第四十五代)

廬舍那佛るしゃなぶつ鑄造ちゅうぞうかんしてくだたまへるみことのり(第一段)(天平十五年十二月 續日本紀

朕以薄德、忝承大位、志存兼濟、勤撫人物。雖率土之濱、已霑仁恕、而普天之下、未洽法恩。誠欲賴三寶之威靈、乾坤相泰、修萬代之福業、動植咸榮。

【謹譯】ちん薄德はくとくもって、かたじけなくも大位たいいけ、こころざし兼濟けんさいそんし、つとめて人物じんぶつす。率土そっとひんすで仁恕にんにょうるおふといえども、しか普天ふてんしもいま法恩ほうおんあまねからず。まことに三ぽう威靈れいり、乾坤けんこんあいやすんじ、萬代ばんだい福業ふくぎょうおさめて、動植どうしょくみなさかえんことをほっす。

【字句謹解】◯廬舍那佛 德光とっこう廣大こうだいあまねく及ぶほとけの意、大日如來だいにちにょらいを意味する。〔註一〕參照 ◯鑄造 金屬きんぞくを一度溶かしたのちに、かたに造り上げること ◯ 言ふまでもなく聖武しょうむ天皇御親おんみずからをいわれる義である ◯薄德を以て 天皇としてのとくを身にそなへてゐられない義、ただしこれは御謙遜ごけんそんの意である ◯大位を承け 皇位こういぐこと、萬乘ばんじょうの地位は我が國最大・最上のものであるから、大位たいいと申されたのである ◯兼濟 國民一同を平等に救ふ ◯率土の濱 これはただちに「普天ふてんしも」とあるのにおうずるので、『詩經しきょう』の「小雅しょうが」にある「溥天ふてんしも王土おうどにあらざるはなく、率土そっとひん王臣おうしんにあらざるはなし」から由來ゆらいしたもの、陸地のつづくかぎりの意味 ◯仁恕に霑ふ 仁恕にんにょは深い同情を以て人々に接する心、天下の人々のすべてに天皇の同情の心がきわたる意 ◯普天の下 天のおほうてゐるした、これも「率土そっとひん」と同意で、天下中てんかじゅうのこと ◯法恩に洽ねからず 佛恩ぶつおんきとどいてゐない ◯三寶の威靈 三ぽうとはぶつほうそうのことで佛敎ぶっきょうの義、佛敎ぶっきょうの偉大な力をいつたもの ◯乾坤相泰んじ 乾坤けんこんは天地、天地が安らかに、陰陽いんようの調和がよく取れてゐる義 ◯動植 生命のあるもの全部の意。

〔註一〕廬舍那佛 これは廬遮那佛るしゃなぶつとも書き、毘盧遮那如來びるしゃなにょらいのこと。それは前述の如く、大日如來だいにちにょらいのことだといはれる。ここでは奈良の大佛だいぶつとして知られてゐる東大寺とうだいじのものを指すのである。東大寺大佛だいぶつは、聖武しょうむ天皇大誓願だいせいがんを以て、天平てんぴょう十五年に近江おうみ信樂京しがらききょう造立ぞうりゅうされようとしたが、理由あつて之を中止され、更に寧樂な らに移して、天平てんぴょう十七年に鑄造ちゅうぞうを開始し、三年間に八度の改鑄かいちゅうて始めて成つたもので、高さは五じょうじゃくすん、面の長さは一丈六尺、ひろさは九尺五寸、目の長さは三尺九寸、口の長さは三尺七寸、胸の長さは一丈八尺、腹の長さは一丈三尺、ひじの長さは一丈九尺、てのひらの長さは五尺六寸あり、じつに我が國古今を通じての大作だ。佛工長ぶっくのおさ國公麻呂くにのきみまろ冶工長やこうのおさ柿本男玉かきのもとのおだま高市大國たけちのおおくに(一說に眞國)・高市六麻呂たけちのむつまろなどで、天平てんぴょう勝寶しょうほう四年四月九日に開眼かいげんした。この大佛だいぶつは、そののち治承じしょう年間に平重衡たいらのしげひら戰爭せんそう兵火へいかけ、壽永じゅえい二年に宋人そうじん陳和卿ちんわけい佛頭ぶっとう鑄造ちゅうぞうした。又永祿えいろく年間に松永久秀まつながひさひで兵火へいかけ、現在のは元祿げんろく五年の補鑄ほちゅうで、天平時代の創造のままなのは胴體どうたいの大部分と、蓮座れんざ花瓣かべん餘枚よまいのみである。

〔注意〕東大寺廬舍那佛るしゃなぶつ鑄造ちゅうぞうは、當時とうじに於ける佛敎ぶっきょうの隆盛を示すと共に、佛敎ぶっきょう文明の精華せいかを示した、これにかんする詔勅しょうちょくとして有名なものが、本詔ほんしょう以外に

 (一)廬舍那佛るしゃなぶつぜんもうさしめたまへる御詞みことば天平勝寶元年四月、續日本紀)(二)陸奥むつのくにより黄金をいだせるとき下し給へる宣命せんみょう天平勝寶元年四月、續日本紀)がある、いずれも本篇で謹述きんじゅつする。そのほか(三)東大寺大佛殿だいぶつでん歩廊ほろう營造えいぞうちょく天平勝寶八歳六月、續日本紀)もその中にかぞへられよう。

【大意謹述】ちんとくの薄い身でありながら、この日本國を統治する天皇の地位に登り、天下の人々を等しく救ひ、出來る限りすべての者を愛撫あいぶしてよく治めようと考へてゐる。現在國中くにじゅうの全部はの深い同情によくしてはゐるが、天下中てんかじゅうの人民ことごとくが佛恩ぶつおんこうむつてゐるとは言へない狀態じょうたいにある。朕はここに於いて、誠心まごころから佛敎ぶっきょうの偉大な力に手賴た より、天下が完全に治まつて、國民が平和を享樂きょうらくし、永久にほとけふくを受け、生命のあるもの一切が繁榮はんえいするやうにと只管ひたすら願ふ次第である。

【備考】佛敎ぶっきょう國家こっかを建設し、佛敎ぶっきょうを國民敎化きょうか機關きかんとしようと思召おぼしめされた聖武しょうむ天皇の御方針は、佛敎ぶっきょう隆盛の當時とうじすこぶる意義があつた。民間の迷信思想を一掃して、しん佛光ぶっこうよくせしめようとなされた叡旨えいしは、當時とうじの人々が深く共鳴したところである。