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21 國分寺建立の勅 聖武天皇(第四十五代)

國分寺こくぶんじ建立こんりゅうみことのり天平十三年三月 續日本紀

朕以薄德忝承重任、未弘政化、寤寐多慚。古之明主皆能先業、災除福至。修何政化能臻此道。頃者年榖不登、疫癘荐臻。慙懼交集、唯勞罪己。是以廣爲蒼生、遍求景福。故前年馳驛增飾天下神宮。去歳普令天下、造釋迦牟尼金像高一丈六尺各一軀、竝寫大般若經各一部、今春已來、至秋稼風雨順序、五榖豐穰。此乃徵誠啓願。靈貺如答。案經云、若有國土、講宣讀誦、恭敬供養、流通此經王者、我等四王、常來擁護、一切災障皆使消殄、憂愁疾疫亦令除差。所願遂心、恒生歡喜。宜令天下諸國各敬造七重塔一區、竝寫金光明最勝王經・妙法蓮華經各十部。朕亦擬別寫金字金光明最勝王經、每塔各置一部。所冀聖法之盛與天地而永流、擁護之恩被幽明而恒滿。其造塔之寺、兼爲國花、必擇好處、實可長久。近人則不欲薰臭所及、遠人則不欲勞衆歸集、國司等各宜務嚴飭、兼盡潔淸。近感諸天、庶畿臨護、布告遐邇、令知朕意。

【謹譯】ちん薄德はくとくもっかたじけな重任じゅうにんけ、いま政化せいかひろめず、寤寐ご びおおづ。いにしえ明主めいしゅみな先業せんぎょうくし、わざわいのぞかれさいわいいたる。なん政化せいかおさめてか、みちいたれる。頃者このごろ年榖ねんこくみのらず、疫癘えきれいしきりにいたる。慙懼ざんくこもごもあつまり、ただろうしておのれつみす。これもっひろ蒼生そうせいのためにあまね景福けいふくもとむ。ゆえ前年ぜんねんえきせて天下てんか神宮じんぐう增飾ぞうしょくせり。去歳いぬるとしあまね天下てんかれいして釋迦しゃか牟尼む に金像こんぞうたかさ一じょうしゃくのもの、おのおのつくり、ならび大般若經だいはんにゃきょうおのおのうつさしめしに、今春こんしゅん以來いらい秋稼しゅうかいたるまで、風雨ふうう順序じゅんじょに、五こく豐穰ほうじょうす。ここすなわまことあきらかにし、ねがいもうす。靈貺れいきょうこたふるがごとし。あんずるにきょうふ、國土こくど講宣こうせん讀誦どくじゅ恭敬ぐぎょう供養くようし、きょう流通るつうせしむる王者おうしゃあらば、我等われらおうつねきたつて擁護ようごし、一切の災障さいしょうみな消殄しょうてんせしめ、憂愁ゆうしゅう疾疫しつえきまたのぞへしめん。ねがふところこころげ、つね歡喜かんぎしょうぜんものなりと。よろしく天下てんか諸國しょこくをしておのおのつつしんで七重塔じゅうのとうつくり、ならび金光明こんこうみょう最勝王經さいしょうおうきょう妙法みょうほう蓮華經れんげきょうおのおのうつさしむべし。ちんまたしてべつ金字きんじ金光明こんこうみょう最勝王經さいしょうおうきょううつして、塔每とうごとおのおのかしめん。ねがところは、聖法しょうほうさかんなる天地あめつちともながながれ、擁護ようごおん幽明ゆうめいこうむりてつね滿たんことを。造塔ぞうとうてらは、ねて國花こっかたり、かなら好處こうしょえらび、じつ長久ちょうきゅうにすべし。近人きんじんすなわ薰臭くんしゅうおよぶところをほっせず、遠人えんじんすなわしゅうろうして歸集きしゅうすることをほっせず、國司こくしおのおのよろしく嚴飭げんちょくつとめて、ねて潔淸けっせいつくすべし。ちかごろ諸天しょてんかんず、庶幾こいねがわくば臨護りんごして、遐邇か じ布告ふこくし、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯薄德 とくがうすい ◯政化 政治上の感化 ◯寤寐 ねても、さめてもといふ意 ◯明主 賢明な君主 ◯先業 政治上の事功てがらをよく立てる ◯年榖 五こくのこと、一年に一度熟するゆえにかくいふ ◯疫癘 流行病 ◯慙懼 はぢつ恐れる ◯景福 幸福こうふくに同じ ◯驛を馳せて 早馬はやうませて ◯一軀 一たいに同じ ◯大般若經 詳しくは大般若だいはんにゃ波羅は ら蜜多經みったきょう、六百かんある。とう玄奘げんじょうやくするところ、諸法しょほう皆空かいくうひろく論じた大經典だいきょうてん ◯秋稼 秋のとりれ ◯順序 具合よき意 ◯靈貺 ほとけが下さる賜物たまもの ◯講宣 講述こうじゅつ宣說せんぜつする ◯恭敬 まごころを以てうやうやしくする ◯供養 ほとけに物をそなへて囘向えこうすること ◯流通 きわたらせる ◯四王 四天王てんのうの事、東方とうほう持國天じこくてん西方さいほう廣目天こうもくてん南方なんぽう增長天ぞうちょうてん北方ほっぽう多聞天たもんてんとう、東西南北を守る帝釋たいしゃく外臣がいしんたちである ◯消殄 消滅せしめる ◯金光明最勝王經 とう義淨ぎじょうやくするところ、十かんある。鎭護ちんご國家こっか妙經みょうきょうはれてゐる ◯妙法蓮華經 七かん又は八卷本かんぼん鳩摩羅く ま ら什譯じゅうやく、二十八ぽんを二分し、前半ぜんぱん迹門しゃくもんといひ、後半は本門ほんもんといふ ◯聖法 佛法ぶっぽうのこと ◯幽明 あの世とこの世、幽界ゆうかい現世げんせ ◯國花 くにの花といふ意 ◯好處 風景よく、物靜ものしずかなところ ◯薰臭 よくない匂ひ ◯歸集 かえつたり集つたり、往來おうらいすること ◯嚴飭 きびしく取締る ◯潔淸 きよい美しさ ◯遐邇 遠近。

〔注意〕この勅語ちょくごせられた諸願しょがん條例じょうれいがある。普通、詔勅しょうちょくしゅうには、これをならべてかかげてゐるが、條例であるから、本書では左に列擧れっきょ謹載きんさいする事とした。

(一)每國まいこく僧寺そうじ尼寺に じには、おのおの水田十ちょうほどこすべし。(二)每國まいこくに造る僧寺そうじにはかならず二十そうあらしめ、寺名じめい金光明こんこうみょう天王てんのう護國ごこくの寺となす。尼寺に じは十寺名じめい法華ほっけ滅罪めつざいの寺となす。僧尼そうに每月まいげつ八日、必らず最勝王經さいしょうおうきょう轉讀てんどくし、月半つきなかばに至るごとに、戒羯磨かいかつまじゅすべし。(三)諸國に上件じょうけんの寺を置くものは、每月まいげつ齋日さいび公私こうし漁獲ぎょかく殺生せっしょうするを得ず。(四)ねがわくは、天神てんじん地祇ち ぎ共にあい和順わじゅんし、つね福慶ふっけいを持つて、永く國家をまもらん。(五)ねがわくは、開闢かいびゃく已降いこう、先帝の尊靈そんれい長く珠林しゅりんみゆきし、同じく寶刹ほうせつに遊ばん。(六)ねがわくは、太上だじょう天皇皇太夫人こうたいふじん藤原氏及び皇后藤原氏・皇太子已下い か親王しんのう及びしょう宿禰諸兄たちばなのすくねもろえ、同じくれにつて、彼岸ひがんに向はん。(七)ねがわくは、藤原氏先後せんご太政大臣だじょうだいじん及び皇后の先妃せんひじゅ一位橘太夫人たちばなたいふじん靈識れいしきつねに先帝にほうじて淨土じょうど陪從ばいじゅうし、長く後代こうだいかえりみて、常に聖朝せいちょうまもり、乃至ないしいにしえより已來いらい今日こんにちに至るまで、身は大臣となりてちゅうつくし、國にまつらん者及び見在げんざいの子孫ともふくりて、おのおの前範ぜんぱんぎ、堅く君臣くんしんれいを守り、長く父祖びふ その名をぎ、群生ぐんせい廣洽こうごうし、庶品しょぼん通該つうがいし、同じく憂惱ゆうのうを解いて、共に塵籠じんろうを出でん。(八)願びねがわくは、惡臣あくしん邪臣じゃしん、もしこのねがいを犯し、破るものは、の子孫に及ぶまでかならず災禍さいかひて、世々よ よ長く佛法ぶっぽうなきところに生れん。

 以上は『類聚るいじゅう代格だいきゃく』によつた。『日本紀しょくにほんぎ』には、(三)迄しか出てをらぬ。そして終りに「國司こくしよろしくつね撿校けんこうを加ふべし」とあつて語が結ばれてゐる。『三代格だいきゃく』によると、聖武しょうむ天皇思召おぼしめしのほどが、詳しく知られるのである。「戒羯磨かいかつまじゅすべし」とあるのは、かいを防ぎ、あくとどめる意。羯磨かつまは、普通、受戒じゅかい又は懺悔ざんげの時の作法のこと。すなわ左樣そ うしたことに關係かんけいある經文きょうもんじゅするがよいといふ意を記されてゐる。

【大意謹述】ちんとくに薄い身であるが、かたじけな天皇の重い地位を承けいで以來、まだ思ふ通り、あまねく人民を敎化きょうかし指導するところ迄至つてをらぬ。この事を考へると、朝夕ちょうせき、その至らぬところを多分にはずかしく感ずる。昔の明君めいくんは、く政治の本質をまっとうして、立派に民を治め、災禍さいかは除かれる、幸福こうふくは來るといふ具合で、じつにすばらしい成績を示してをられる。どうしてそんな風に、よく行屆ゆきとどくのであらう。どんな政治どんな修養しゅうようをして、くこのてんに到達したのであらう。

 かうした事を考へて、なやんでゐる折柄おりから近來きんらい、五こくみのわるく、わるい流行病がしきりに起りつつある。政治にあたちんは、それを憂ひ、恐懼きょうくせざるを得ない。かく心勞しんろうを重ねて、自分の至らぬところをみずかつみする次第である。それをつぐなめ、ひろ萬民ばんみん幸福こうふくを求めようと考へ、前年、早馬はやうませて、天下の神宮じんぐう修繕しゅうぜんした。また昨年、天下に命令をつたへ、釋迦しゃか牟尼む に金像こんぞう(高さ一丈六尺)をおのおのたい造らせ、大般若經だいはんにゃきょうおのおの一部ずつ淨寫じょうしゃさせた。そのめでもあらうか、この春から秋のり入れ時にかけ、風雨が順調で、五こくみのりがよい。そこでちん神佛しんぶつたいするまことあきらかにし、自分の祈願きがんするところあるに就てほとけ感應かんのうのいみじきを信ずる。

 思ふに、經文きょうもんには、かういふことを述べてある。「しある國に佛典ぶってん講明こうめいし、讀誦どくじゅして、心つつましく、ほとけ供養くようし、とうと佛典ぶってんを四方に弘通ぐつうするやうつとめる王があつたら、四天王てんのうは必ず王の身邊しんぺんをよく守り、一切の災禍さいかを消滅させ、憂ひややまいことごとく除いて、全快におもむかせよう、王の希望するところは必ず達せられ、いつも、喜びにひたることが出來よう」と。

 以上は、確かな佛意ぶついの表現である。よって今、諸國に命令をつたへて、各自、つつしんで七重塔じゅうのとうずつ作り、つ『金光明こんこうみょう最勝王經さいしょうおうきょう』『妙法みょうほう蓮華經れんげきょう』各十部を淨寫じょうしゃさせるやうにしたいと思ふ。ちんまた別に金字きんじで、『金光明こんこうみょう最勝王經さいしょうおうきょう』をうつし、出來た塔每とうごとに、その一部を置かしめようと考へる。要するに、ちんの希望するところは、佛敎ぶっきょうが天地と共に長くさかえ、この世あの世に佛恩ぶつおんが及ばんことである。したがつて、七重塔じゅうのとうを作るところの寺は、國の文化の花であるから、必ず物靜ものしずかで、風景よきところをえらんで作り、その長久ちょうきゅうすべきである。その寺にゐるものは、よくない匂ひなどが寺內じないから發散はっさんするのを好まず、遠方の人々はしゅうろうして、往來おうらいするにつき、不便なのを好まぬから、このてんこころし、國司こくしらはきびしく取締つて萬事ばんじ淸潔せいけつを旨としなければならぬ。近來きんらい諸天しょてん佛神ぶつじん感應かんのうに見てねがわくば、この方面に守護を加へたい。この事を遠近に知らしめ、ちんの意のあるところを明かにするがよろしい。

【備考】國分寺こくぶんじの創立から大佛だいぶつ建立こんりゅうへ、これが聖武しょうむ天皇佛敎ぶっきょう國家こっか實現じつげんの順序である。國分寺こくぶんじが創立されたのは、當時とうじ名僧めいそう行基ぎょうき傑僧けっそう玄昉げんぼうらのせつにもより、また藤原ふじわら夫人ふじん光明子こうみょうしすすめによつたが、一つは、支那し なにおける國分寺こくぶんじ類似のものを模倣もほうされたのだともはれてゐる。それから近因きんいんとして、疫病えきびょう(疫瘡)の流行がはなはだしく、重臣中じゅうしんちゅうにも相應そうおうの死者があつたこともかぞへられてゐる。が、主因の一つとして、政敎せいきょう一致の方針を第一に認めねばならぬ。佛敎ぶっきょう慈悲じ ひの理想を政治の上に發揮はっきし、それによつて、政治をよく行ひ、民衆を敎化きょうかし、地上の樂園らくえん現前げんぜんしようといふのが聖武しょうむ天皇思召おぼしめしだつた。政治の第一義として、民心みんしんの上に慈悲じ ひの念を植ゑ付けようとされた機關きかんとして、各地方に國分寺こくぶんじを置かれることとなつたのである。ゆえにそれはたんなる造寺ぞうじ造塔ぞうとう祈禱きとうではない。一つの敎化きょうか政策の發現はつげんにほかならない。在來ざいらい神道しんどうを主として敎化きょうかにあたつたのを、今度は、佛敎ぶっきょうを主とすることにかわつたのである。

 國分寺こくぶんじの創立は、天武てんむ天皇の時代にそのたんはっしてをり、聖武しょうむ天皇の時に出來たのではないといふものもある。が、これを公然、主唱しゅしょうし、漸次ぜんじ各地方に存立そんりゅうせしめられたのは聖武しょうむ天皇であられる。そしてその規模・模樣もようは、大體だいたいにおいて、奈良の諸寺の樣式ようしき參酌さんしゃくしたのであつた。その遺跡は、今の東京市外の國分寺こくぶんじえき附近ふきんにもおぼろながら、布目瓦ぬのめがわら散在さんざいなどにより、想見そうけんすることが出來る。要するに、佛敎ぶっきょう國家こっかの建設は、これにより一おうその目的をぼ達せられたものとへよう。しこのかたを更に神道しんどうの上にも及ぼされたら、日本國家の上において、敎化的きょうかてきあらたに目ざましい效果こうかを生じたであらう。