19 禮佛轉經を行ふの勅 聖武天皇(第四十五代)

禮佛らいぶつ轉經てんきょうおこなふのみことのり(神龜五年八月 續日本紀

皇太子寢病、經日不愈。自非三寶威力、何能解脫患苦。因茲、敬造觀世音菩薩像一百七十七軀、竝經一百七十七卷、禮佛轉經、一日行道、緣此功德、欲得平復。

【謹譯】皇太子こうたいしやまいし、えず。三ぽう威力いりょくにあらざるよりは、なん患苦かんく解脫げだつせん。これり、つつしんで觀世音かんぜおん菩薩ぼさつぞう一百七十七ならびきょう一百七十七かんつくり、ほとけらいきょうてんじ、一にちみちおこなうて、功德くどくよって、平復へいふくんとほっす。

【字句謹解】◯皇太子 まだ襁褓むつきの中にられる時に、太子たいしとなられ、この年九月にこうたもうた ◯日を經て愈えず 長い間を費して全快しないこと ◯三寶の威力 三ぽうとはこの場合、ほとけの意、ほとけの力のこと ◯患苦 病氣びょうきの苦しみ ◯解脫 だっし去る、ここでは病氣びょうき恢復かいふくする意 ◯此の功德 ほとけうやまつた功德くどくのこと ◯平復 再び元の丈夫な身體からだになること。

【大意謹述】皇太子が病床にして、長い日數にっすうても未だ全治しない。かうなつては、御佛みほとけの偉大な力にたよらなければ、皇太子を病苦から救ひ出すことは不可能であらう。ゆえちんはここに至つて、嚴肅げんしゅく氣持きもち觀世音かんぜおん菩薩ぼさつの像を百七十七及び經文きょうもんを百七十七かんを造り、ほとけ禮讃らいさんし、經文きょうもんみ、一日中出來る限り、ほとけつくし、その功德くどくを認められることにつて、皇太子を以前通りに健康な身にならせたいと思ふ。

【備考】當時とうじ聖武しょうむ天皇御心みこころたいしては、深く同感を捧げざるを得ない事情がある。神龜しんき四年九月、光明子こうみょうし皇子おうじを生むと、天皇は非常に喜ばれ、翌月は中宮ちゅうぐうに出られて大赦たいしゃを行はれ、百かんに物をたまわつた。皇子おうじと同日に出生しゅっしょうした嬰兒えいじたいして、ぬのたん綿わたとんいね二十そくづつをたまわつたのである。そののち、十一月に至り、天皇は再び中宮に出られ、百かんから賀表がひょうを受け給ひ、盛宴せいえんを開き、一同に物をたまわつた。その日、皇子おうじ東宮とうぐうに立てた旨を公布されたのであつた。かうして東宮とうぐうの前途は祝福しゅくふくされ、天皇歡喜かんきは深く、光明子こうみょうしまた幸福こうふくの感じにひたつたのである。

 ところが、その後、神龜しんき五年八月末に至り、東宮とうぐうやまいかかられ、次第に重態じゅうたいになつた。天皇は、心痛のあまり本勅ほんちょくにある如く、懸命にほとけいのられたのである。けれども皇太子の病勢びょうせいは一そうつのり、九月十三日、到頭とうとうこうぜられた。かつて大きい喜びの對象たいしょうだつた皇太子の死は、どの位、大きい悲しみを天皇御胸みむねもたらしたであらうか。その佛敎ぶっきょう信仰は、この悲しみの試鍊しれんにより、一そう深められたと拜察はいさつしまゐらせる。