8-2 僧尼に下し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

僧尼そうにくだたまへるみことのり(第二段)(大化元年八月 日本書紀

小墾田宮御宇天皇之世、馬子宿禰、奉爲天皇造丈六繡像・丈六銅像・顯揚佛敎、恭敬僧尼。朕更復思崇正敎光啓大猷。故以沙門狛大法師・福亮・惠雲・常安・靈雲・惠至、寺主僧旻・道登・惠隣・惠妙而爲十師、別以惠妙法師爲百濟寺寺主。

【謹譯】小墾田宮おはりだのみや御宇あめのしたしろしめす天皇すめらみことみよに、馬子宿禰うまこのすくね天皇すめらみこと奉爲おんためじょう六の繡像しゅうぞうじょう六の銅像どうぞうつくり、佛敎ぶっきょう顯揚けんようし、僧尼そうに恭敬つつしみうやまふ。ちんさら正敎せいきょうあがめ、大猷たいゆう光啓こうけいせむことをおもふ。沙門しゃもん狛大法師こまのだいほうし福亮ふくりょう惠雲えうん常安じょうあん靈雲れいうん惠至え し寺主じしゅ僧旻そうみん道登どうとう惠隣えりん惠妙えみょうもって十となし、べつ惠妙えみょう法師ほうしもっ百濟寺くだらでら寺主じしゅとなす。

【字句謹解】◯小墾田宮に御宇しろしめす天皇 推古すいこ天皇御事おんこと ◯丈六の繡像 一じょうしゃくぬいとりほどこしたる佛像ぶつぞう。これは推古すいこ天皇十三年に出てゐるので、『鞍作鳥くらつくりのとりしょうするのちょく』(推古天皇十四年五月、日本書紀)を參照のこと ◯顯揚 天下に存在を知らせてひろ宣傳せんでんする ◯恭敬 尊敬する ◯正敎 佛敎ぶっきょうの意 ◯大猷 大道ぢどうの意、ここでは佛敎ぶっきょうの道 ◯光啓 佛敎の道を明らかに擴めること ◯沙門 そう別稱べっしょう ◯狛大法師 こま高麗こ ま大法師だいほうし僧綱そうごうくらい契冲けいちゅうはこのしもに「しっす」といひ、飯田いいだ武郷たけさと福亮ふくりょうの地位身分をあらはしたものとするが、飯田いいだせつしたがへば九人となつて計算が合はない。要するに未だ定說ていせつはない ◯福亮 の人『元亨げんこう釋書しゃくしょ』の力遊部りきゆうぶには、內大臣ないだいじん鎌子かまこ維摩ゆいま吉經きっきょうこうじたことがあると記してある ◯惠雲 舒明紀じょめいき十一年九月には、このそう新羅しらぎ送使そうししたがつてきょうに入つたよしが見える ◯常安 舒明紀じょめいき十二年冬十月のじょうに「大唐だいとう學問僧がくもんそう淸安せいあん」とあるのがこの人ではないかといはれてゐる ◯靈雲 舒明紀じょめいき四年秋八月に、とうは日本の使者犬上三田耜いぬがみのみたすきを送つた。この時靈雲れいうん歸朝きちょうしたとある ◯寺主 僧尼そうに檢校けんこうする役 ◯僧旻 靈雲れいうんと共に歸朝きちょうしたそう大化たいか改新かいしん當時とうじその計畫けいかくにあづかつた人として有名である ◯道登 大化たいか二年に宇治橋うじばしを造つたので著名なそう ◯十師 十人の指導地位にあるそう

〔注意〕本詔ほんしょう百濟くだら大寺おおでらに使者をつかはし、僧尼そうにの全部を集合させて下し給うた。大化たいか改新かいしん佛敎ぶっきょうとの關係かんけいを知る上に重要な文獻ぶんけんたるべき性質を持つてゐる。

【大意謹述】推古すいこ天皇が統治されてゐた時代に、馬子宿禰うまこのすくねは、天皇おんめに一じょうしゃくの表面にぬいとりをしてある佛像ぶつぞう及び同じ高さの銅像を造り、ほとけおしえを世に知らせ、それにつかへる男女なんにょそうをこの上もなく尊敬した。ちんは今後同じく、この正しいおしえ崇拜すうはいし、ほとけ大道だいどうを天下にひろめようと考へてゐる。このゆえそう狛大法師こまだいほうし福亮ふくりょう惠雲えうん常安じょうあん靈雲れいうん惠至え し及び僧尼そうにけんする役にある僧旻そうみん道登どうとう惠隣えりん惠妙えみょうの十人を十として、別に惠妙えみょう法師ほうしをこの百濟大寺くだらのおおでら寺主じしゅに任ずることを命ずる。