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6 神祇を祭るの詔 推古天皇(第三十三代)

神祇じんぎまつるのみことのり(十五年二月 日本書紀

朕聞之、曩者我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祇、周祠山川、幽通乾坤。是以陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祀神祇、豈有怠乎。故群臣爲竭心、宜拜神祇。

【謹譯】ちんこれく、曩者むかし皇祖みおや天皇みかどたちおさめたまへる、てんせぐくまぬきあしして、あつ神祇じんぎいやまひ、周あまね山川やまかわまつりて、はるかに乾坤あめつちかよはす。ここもって、陰陽いんようひらやわらぎて、造化ぞうかとも調ととのふ。いまちんあたりて、神祇じんぎ祭祀い わふこと、あにおこたりあらむや。ゆえ群臣ぐんしんめにこころつくして、よろしく神祇じんぎはいすべし。

【字句謹解】◯曩者 過去を一般に指すもので特定な時代及び時間を意味したのではない ◯天に跼り地に蹐して これは『詩經しきょう』の小雅しょうがに「天蓋てんがいたかしとふも、あえきょくせずんばあらず、地蓋ちがいあつしとふも、あえせきせずんばあらず」に由來ゆらいするので、常に事におそれて輕々かるがるしく身をとりあつかはないこと、天はこの上もなく高いが、それでも肩を丸め身を縮め、地はこの上もなく厚いが、それでも足音のしないやうしずかに歩いて、天地あめつちの神々を尊敬する形容 ◯周く山川を祠りて 天下中にある山や河を全部まつる。これは山には山神さんじんがあり、河には河神かじんが居て、一方は天神てんじんに近く、他方は地神ちじんに近いから、これらをまつるのである ◯幽かに乾坤に通はす 乾坤あめつちは天地の意 まつる人の氣持を天神てんじん地祇ち ぎに通ずる ◯陰陽 ここでは陰陽いんようの意、これが開きやわらぐとは、氣候きこう溫和おんわに四季が正しく循環すること。〔註一〕參照 ◯造化 天地間に於て、生死現滅げんめつしつつ無窮むきゅうつたはる萬物ばんぶつ ◯朕が世 この時代に佛敎ぶっきょうが盛大となつてゐたので、佛敎ぶっきょうの行はれるちんの世の意にとると、この勅書ちょくしょ精神せいしんがよく理解出來る。

〔註一〕陰陽 陰陽いんよう哲學てつがくは『易經えききょう』に詳しくいてある。萬物ばんぶつ陰氣いんき陽氣ようきの中和から生ずるので、萬事ばんじ積極的な陽と消極的な陰とが氣候きこう造化ぞうかの根本となる。したがつて陰陽いんようが開きやわらげば、造化ぞうかは共に調ととのふので、一切の自然・人事現象はこのニの調和・不調和から說明せつめい出來るとされた。

〔注意〕平田ひらた篤胤あつたね本勅ほんちょくに就いて、「みことのりじつ天皇大御心おおみこころから出たもので、聖德太子しょうとくたいし蘇我馬子そがのうまことが、あまりに佛敎ぶっきょう崇拜すうはいに傾いて神祇じんぎ蔑如べつじょしたのを御嘆おなげきになりはっせられたのに相違そういない。この天皇女帝にましましたものの、常に正しい御心みこころを持ちたまうたのは、馬子うまこ葛城縣かつらぎのあがたたまはりたいとうた時に許可されなかつた事でも判明する」との意味を述べてゐる。馬子うまこ上奏じょうそうたいするちょくは、蘇我馬子そがのうまこ葛城縣かつらぎのあがたたまはらむことをそうせる時のみことのり推古天皇三十二年十月、日本書紀)をするので、篤胤あつたねげたのは、右の勅中ちょくちゅうにある、「ちんが世にあたりて、とみあがたを失ひては、のちきみはむ、愚癡たわけなる婦人、天下に臨みて、とみあがたを失へる」云々うんぬんをいつたのである。

 なほ、本詔ほんしょうの前半が殆ど支那し な古典からの文句で構成されてゐること、及び、本詔ほんしょうを下したまうた六日後に「皇太子及び大臣だいじんりょうひきいて、神祇じんぎを祭りうやまふ」と本紀ほんぎにあるのが注意される。

【大意謹述】ちんの聞くところにれば、かつて朕の御祖先ごそせんあたられる天皇がたは、天下を統治するにあたつて、天にたいしてを丸め、地にたいして足音を非常ににする程注意して、愼重しんちょう御態度ごたいどで深く天神てんじん地祇ち ぎうやまひ、天下中すべての山川やまかわまつつて、天地あめつちの神々に深く誠實せいじつの意を捧げられた。そのめに神々も天皇がた御心みこころに感じたまひ、陰陽いんようの二が調和して氣節きせつが正しく溫和おんわで、萬物ばんぶつが理想的に調ととのつたのである。現在は佛敎ぶっきょうが非常に流行してゐる。如何い か佛敎ぶっきょうの盛んなちんが世にも、御祖先ごそせん以來の神々を祭ることを怠つてよからうか、決して怠つてはならない。ゆえに一般の群臣ぐんしんはこのよしを十分に心得こころえ誠實せいじつな心を以て、天地あめつちの神々をはいしなければならない。

【備考】安積あさか澹泊たんぱくの『推古帝論すいこていろん』のうちには、この事にれないで、佛敎ぶっきょう弘通ぐつうに力をつくされたてんのみをげてゐるが、正しい見方ではない。推古すいこ天皇は、勿論もちろん佛敎ぶっきょう勃興ぼっこうを抑へ付けようとはせられなかつたけれども、みことのりにある如く、敬神けいしんの心を失つてはならぬといふことを特に注意し、親しく、實行じっこうすべきを宣言された。ここに深い思召おぼしめしのあることを知らねばならぬ。