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5-2 鞍作鳥を賞するの勅 推古天皇(第三十三代)

鞍作鳥くらつくりのとりしょうするのみことのり(第二段)(十四年五月 日本書紀

今朕、爲造丈六佛、以求好佛像。汝之所獻佛本、則合朕心。又造佛像旣訖、不得入堂。諸工人不能計、以將破堂戸。然汝、不破戸而得入。此皆汝之功也。卽賜大仁位。因以給近江國坂田郡水田二十町焉。

【謹譯】いまちんじょう六のほとけつくらむとして、もっほとけかたちもとむ。なんじたてまつところほとけためしは、すなわちんこころかなへり。またほとけかたちつくることすでおわりて、どうるることをず。もろもろ工人たくみはかることあたはず、もっまさどうこぼたむとせり。しかるになんじこぼたずしてるることをたり。みななんじこうなり。すなわ大仁たいにんくらいたまふ。りてもっ近江國おうみのくに坂田郡さかたごおり水田すいでん二十ちょうたまふ。

【字句謹解】◯丈六 一じょうしゃくの意 ◯佛の本 佛像ぶつぞうかた ◯心に合へり 非常にに入つた意 ◯旣に訖りて もう出來上つて ◯ 元興寺がんごうじの金堂のこと ◯諸の工人 諸方面の專門せんもんの建築師、大勢がいろいろに考へたが、じょうぶつを入れることが出來なかつたこと ◯大仁の位 冠位十二階の第三位である。〔註一〕參照。

〔註一〕大仁の位 冠位十二階は、推古すいこ天皇十一年十二月に制定されたもので、大德たいとく小德しょうとく大仁たいにん小仁しょうにん大禮たいらい小禮しょうらい大信たいしん小信しょうしん大義たいぎ小義しょうぎ大智たいち小智しょうち區別くべつされる。大仁たいにん大體だいたい三位の地位にあるとしょうされるが、卑姓ひせい鞍作氏くらつくりしにこの位をあたへたのは、相當そうとうの優遇であることがわかる。

〔注意〕本勅ほんちょくは十四年五月五日に降された。最初十三年の夏に天皇は皇太子をはじめ大臣おおおみ・諸王に命じて銅繡どうしゅうじょうぶつを一づつ造らせ、鞍作鳥くらつくりのとり佛工ぶっこうとした。高麗國こまのくにでは日本の天皇佛像ぶつぞうを造られるとつたへ聞いて、黄金三百りょうたてまつつた。これが十四年四月に至つて出來上つて、元興寺がんごうじ(この寺の成立年代は明らかではない。書紀にはここに突然出て來るので、本紀四年十一月に成つた法興寺であるとする者、及び別寺だと主張する者があり一定しないらしい)の金堂にゑることになると、佛像ぶつぞうが金堂の戸よりも高くて入らない。人々はむを得ず、その戸を破つて入れようと一けつした時、鞍作鳥くらつくりのとりは無事の戸を破る事なく堂に入れた。卽日そくじつ落成式をげ、以後每年まいねん四月八日と七月十五日とに盛大な集會しゅうかいを行つた。鞍作鳥くらつくりのとりこうと、祖先そせん佛敎ぶっきょうに致したこうとをがっし、本勅ほんちょくたまわつたと解するのが正しであらう。とりはこの二十ちょうの水田で天皇のために金剛寺こんごうじを作つたとに記してある。なほ本分中の「すなわ大仁たいにんの」云々うんぬん以下は勅文ちょくぶんと考へない學者がくしゃもゐるが、ここでは從來じゅうらいの例にしたがつて置く。

【大意謹述】ちんは現在、一じょうしゃく銅繡どうしゅう佛像ぶつぞうを造らうとして、諸方面から理想的なかたを求めたが、なんじけんじた型がそのまま朕のに入つた。又、なんじの作つた佛像ぶつぞうが出來上つても、元興寺がんごうじの金堂の戸が低くして入れることが出來ない。諸方面の建築にかんする專門家せんもんかが集つていろいろ考へたが、よい方法もなく、遂に金堂の戸を破つて入れようとした。時に汝は、少しも戸を破ることなく見事に佛像ぶつぞうを入れることに成功したのである。これらは全部なんじ功勞こうろうといへる。そこで朕は汝に大仁たいにんの位をたまひ、近江國おうみのくに坂田郡さかたごおりの水田二十ちょうを授けることにした。

【備考】推古すいこ天皇ちょうに日本の佛敎ぶっきょう美術は始めて、燦然さんぜんたる光を放つに至つた。佛師ぶっし鞍作鳥くらつくりのとりが作つたともつたへられる法興寺ほうこうじ金堂のじょう佛像ぶつぞうは後世の修補しゅうほたが、今日こんにち飛鳥あすか大佛だいぶつとして知られてゐる。