4-1 磐鹿六鴈の靈に告げ給へる宣命 景行天皇(第十二代)

磐鹿いわか六鴈むつかりみたまたまへる宣命せんみょう(第一段)(高橋氏文

天皇大御言良麻止波久、王子六獦命、不思保佐々流卒上太利止聞⻝迷之、夜晝悲愁給比川々大坐天皇御世、平爾之天相見曾奈波左牟止保須由介利。然今思⻝、十一月新嘗、膳職御膳、六鴈命勞始成奈利

【謹譯】天皇すめら大御言おおみことらまとりたまはく、王子み こ六獦命むつかりのみことおもほさざるほかみまかのぼりたりと聞⻝きこしめし、夜晝よるひるかなしみうれたまひつつおはします。天皇すめら御世み よあいだは、たいらかにしてあいそなはさむとおもほすわかれゆけり。しかあればいま思⻝おぼしめところは、十一月しもつき新嘗にいなえまつり膳職かしわでつかさ御膳み けことも、六鴈命むつかりのみこといたつはじせるところなり。

【字句謹解】◯磐鹿六鴈 景行けいこう天皇五十三年の秋、日本武尊やまとたけるのみこと東征とうせいあと巡視じゅんしされた時、白蛤うむきなますにして進めまつつた人。天皇はそれをしょうして膳大伴部かしわでのおおとものべに任ぜられた。調理職の長官である。〔註一〕參照 ◯高橋氏文 この原文は古事記以上に古いのではなからうかと言はれる。國文學こくぶんがく史上重要な文獻ぶんけんの一つ。〔註二〕參照 ◯らまと 確かにといふ程の意。念をおす事である ◯王子六獦命 六獦命むつかりのみことは前述の磐鹿いわか六鴈むつかりのことで王子おうじではない。高橋たかはし氏文うじぶみ〔註二〕で解說かいせつするやうに、膳手かしわでの職の正當せいとうを主張したもので、その子孫が先祖せんぞ行爲こういを幾分か誇張こちょうした部分があるらしい。六鴈むつかりを王子といはれたのは、高橋たかはし氏文うじぶみに「時に天皇きこしめしていたく悲しみたまひ、親王しんのうの式にじゅんじてほうむたまひき」とあるので判明する ◯卒り上りたり この世を去る。のぼるとあるのは靈魂れいこん天上てんじょうに昇るのを意味する ◯十一月の新嘗の祭 大嘗祭だいじょうさいを行ふ年を除いて、毎年まいねん十一月二十三日から四日にわたり、神嘉殿しんかでんで行ふもの。當日とうじつ賢所かしこどころ皇靈殿こうれいでん神殿しんでん神饌しんせんたてまつり、神宮じんぐう官國かんこく幣社へいしゃ奉幣ほうへいする。この祭と六鴈命むつかりのみこととの關係かんけいに就いては〔註三〕參照 ◯職膳の御膳の事 天皇御調理番ごちょうりばんが製する御膳ぎょぜんのこと ◯勞き始め成せる 苦勞くろうしてはじめたこと。

〔註一〕磐鹿六鴈 「五十三年秋八月丁卯ひのとうついたち天皇群卿ぐんけいみことのりしてのたまわく、ちん愛子めぐみしこしのぶこと、何日いつのひまむや。ねがはくば小碓王おうすのみこことけし國を巡狩じゅんしゅせむとおもふ。つき乘輿じょうよ伊勢にみゆきして、てんじて東海とうかいります。冬十月、上總國かづさのくにに至りて、海路かいろより淡水門あわのみなとに渡りたまふ。の時に覺賀鳥かくかのとりこえきこゆ。の鳥の形を見そなはさむとおもひて、たずねて海中かいちゅうでます。りて白蛤うむきを得たり。ここに於いて膳臣かしわでのおみ遠祖えんそ、名は磐鹿六鴈いわかむつかりかまを以て手繦たすきにして白蛤うむきなますにつくりてまいる。六鴈臣むつかりのおみこうめて膳大伴部かしわでのおおとものべたまふ」(景行紀)

〔註二〕高橋氏と安曇氏 奈良朝ならちょう時代には天皇御調理職ごちょうりしょくしたがつて祭時さいじに神々に神饌しんせんたてまつる役として高橋氏たかはしし安曇氏あづみしとがあつた。高橋氏のはこの宣命せんみょうにある六鴈むつかりで、景行けいこう天皇御代み よ御膳部ごぜんぶの長官となり、安曇氏あづみし、(大濱宿禰)は應神おうじん天皇御代み よ御膳部ごぜんぶつかへたのであるから、地位としては高橋氏が上で、この事は太政官だじょうかんぷにも記してある。ところが、元正げんしょう天皇靈龜れい二年十二月の神今⻝じんこんじき以來、安曇氏あづみしが高橋氏の下位にあるのをがえんぜなくなり、兩者りょうしゃ事每ことごとあらそつて、遂に桓武かんむ天皇延曆えんりゃく十一年三月には安曇氏あづみし佐渡に流された。高橋たかはし氏文うじぶみとして現在つたはつてゐるのは、成立年代には種々しゅじゅせつがあつて一定しないが、あるいはその原形が『古事記』よりふるいのではないかといはれ、安曇氏あづみし爭論そうろんの結果、世におおやけにされた私記し きである。これは一部と二部に分かれる。この宣命せんみょうはその二部の大部分で、次に一部の梗概こうがいを記さう。

 景行けいこう天皇卽位そくい五十三年に、日本武尊やまとたけるのみことたいらげた國々の巡視じゅんしを思ひ立たれ、伊勢から東國とうごくへ、十月には上總國かづさのくに安房あ わ浮島宮うきしまのみやかせられた。天皇葛飾野かつしかの御狩みかりあり、大后おきさき八坂媛やさかひめ假宮かりみやとどまられてゐられた時奉仕してゐた六鴈命むつかりのみことに、「うらかわつた鳥のこえがする、その形が見たい」とおおせられた。みことめいを奉じて船につてその場にくと、鳥は驚いてほかうらに飛び去つた。いくら追つても捕へられないので、みことこれのろつて「それならばもうおかあがるな。うみの中に住め」といつて引きかへしつつへさきの方をかえりみると、うお澤山たくさん追ひかけて來る。みことは持つてゐた角弭つのわずの弓で魚群にあてると、うおはすぐにゆわずについて出て來た。いそ近く來るとしおいて船はなぎさの上でまつた。堀り出さうとすると、すなの中から八しゃくもある白蛤うむきが出て來た。みことはこの二種を大后おきさきたてまつると、「これを上手に料理してみかどにまゐらせよう」とおおせられたので、「ではわたくしが料理致しませう」と、種々しゅじゅ料理して、還御かんぎょあらせられた天皇そなへた。

 天皇は料理を御賞美ごしょうびあり、これを磐鹿六鴈いわかのむつかりのみことたてまつつたことを知られ、「これは六鴈命むつかりのみことひとりの心で出來たものではない。天にまします神が行はしめなされたのである。つて六鴈命むつかりのみことは、ちんの子たちに、子々し し孫々そんそんつかへて御膳部ごぜんぶ擔當たんとうせよ」とおおせあつて太刀た ちたまはり、「膳夫ぜんぷの多くをひきゐてつかへよ」とあつて、諸國の人々を分けて大伴部おおとものべとなづけ、みことたまはつた。その他「山野さんや河海かかいの大小のうおけものそなへよ」とのたまはれ、「これはちんのみではない、天にまします神々もなんじの料理を欲してゐられる」とおおせられた。そこで天皇御膳ぎょぜん及び神饌しんせんすべ六鴈命むつかりのみことの子孫がつかさどることになり、今日こんにちに及んでゐる。

 以上がその梗概こうがいで、右の由來を知ると、この宣命せんみょうかいする上に便宜べんぎがある。

〔註三〕新嘗祭 六鴈命むつかりのみこと景行けいこう天皇から「天にまします神々もなんじの料理を欲してゐられる」とおおせられ、安房大神あわのおおかみしょうじ、意富賣布お ふ め ふむらじの子の豐日とよひむらじをして火をらしめて御⻝み けそなへ、又大八洲おおやしまかたどつて、八少女やおとめ八男やおのこを定めて神嘗かんなめ大嘗おおなめの祭に奉仕した。

〔注意〕高橋たかはし氏文うじぶみは高橋氏が祖先そせん功勞こうろうを述べて自己の地位を證明しょうめいしたものだが、この片々へんぺんたる短文のうちにも、我が皇室が論功ろんこうをゆるがせにされなかつたよし拜察はいさつ出來る、之はかず多い宣命せんみょう中、特殊の地位を占めてゐる。我國が神國しんこくである所以ゆえん北畠きたばたけ親房ちかふさの『神皇じんのう正統記しょうとうき』に接するまでもなく、この宣命せんみょうから判斷はんだん出來よう。

【大意謹述】天皇大御言おおみこととして磐鹿六鴈いわかのむつかりみたまに以下のことを告げる。王子おうじ六獦命むつかりのみことが意外にも今度この世を去つたときこしめされ、天皇晝夜ちゅうやの別なく、その死を悲しみ、生前の事を思ひ出しては憂愁ゆうしゅうに沈んでられる。この天皇御代み よの間は、何事もなく、常になんじの調理したものを召上めしあがらうと思つてゐられたが、今なんじはもうこの世の人ではない。そこで十一月に行はれる新嘗祭にいなめさいも、天皇御⻝膳ごしょくぜんを飾る御膳ぎょぜんのことも、みな六鴈命むつかりのみことが苦心して始められたのを、今つくづくと御囘想ごかいそうなされてをられる。

【備考】景行けいこう天皇が、忠誠ちゅうせい臣下しんかを切に愛せられた事が、以上によつても分明わ かる。天皇勇武ゆうぶ果斷かだんであらせられたが、一方では非常に優しい御心みこころいだかせられた。臣下しんかの人々が天皇を深くしたひまゐらせたのは、この大德だいとくによると拜察はいさつする。