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2 卜災の詔 崇神天皇(第十代)

卜災ぼくさいみことのり(七年二月 日本書紀

昔、我皇祖大啓鴻基。其後聖業逾高、王風轉盛。不意、今當朕世、數有災害。恐朝無善政、取咎於神祇耶。蓋命神龜、以極致災之所由也。

【謹譯】むかし皇祖こうそおおい鴻基こうきひらきたまひき。聖業せいぎょういよいよたかく、王風おうふううたたさかんなり。おもはざりき、いまちんあたりて、しばしば災害わざわいあらむとは。おそらくはちょう善政ぜんせいなくして、とがめ神祇しんぎれるか。なん神龜しんきうらへて、もっわざわいいたせるのところきわめざらむ。

【字句謹解】◯皇祖 高天原たかまのはらを統治された神及び神武じんむ天皇を意味する ◯鴻基を啓き 皇室の御大業ごたいぎょうもといを開かれたこと ◯聖業 せいとは神々かみがみの意で、瓊瓊杵尊ににぎのみことを始め神武じんむ天皇までを指したてまつる。このあいだ日向ひゅうが地方を鎭定ちんていし、天皇御東征ごとうせいの基礎をつくられた ◯王風 おうとは天皇を指したてまつるので、神武じんむ天皇から開化かいか天皇まで、この間に皇室の御威おんいおおいに盛大となつたこと ◯轉盛なり 非常に盛大となつた意 ◯災害 不祥ふしょうな事がおこる。流行病があつたり、土地を離れて四方に流浪する民が多くなつたりすること。〔註一〕參照 ◯咎を神祇に取れるか 神祇しんぎは天地の神々のこと、我が神道しんどう思想に於ては、神の御子孫ごしそんであらせられる天皇御政治ごせいじに不備なてんがあると、天神あまつかみはそれをいましめるために各種の不祥事ふしょうじを起し反省を促されるのだと考へた、ゆえにこの地上に天變てんぺん地異ち い及び人事にかんする變事へんじ突發とっぱつすれば、神々が何か御不滿ごふまんな感情をいだかれたものとして、その御意ぎょいをうかがふ方法を採つたのである ◯神龜に命へて かめこういてその割れ方によつて吉凶きっきょう禍福かふく判斷はんだんする方法を龜卜きぼくといひ、この方法で神意しんいをうかがふので神龜しんきしょうした。うらうらなふこと。〔註二〕參照 ◯由る所 その原因。

〔註一〕災害 崇神すじん天皇の五年には國中くにじゅう惡病あくびょうが流行して、國民の大半がたおれた。六年には天下の人々の多くが土地を棄てて四方に流浪し、中には朝廷の命をほうじない者も出來た。天皇はここに於いて叡慮えいりょなやませられ、早朝から夕方に至るまで神祇しんぎいのられ、天照大御神あまてらすおおみかみみたまを、神鏡みかがみ神劍みつるぎと共に倭笠縫邑やまとのかさぬいのむらに移したてまつつた。それでも未だ不祥事ふしょうじが全然やまないので神慮しんりょをうかがふ目的で、七年二月十五日にこのみことのりを下されたのである。

〔註二〕神龜 神意しんいのまにまに國を治めるといふことは、御代々ごだいだい天皇の最も注意されたてんである。それには何如い かにして神の意を迎へるかが重要となつて來る。その方法として、みそぎにより罪穢ざいえはらきよめること、祝詞のりとにより幸福こうふくいのることなども行はれたが、その他各種の卜占法ぼくせんほうが用ひられた、本詔ほんしょうにある龜卜きぼく支那し な傳來でんらいのものでここには龜卜きぼくとなつてゐるが、じつは鹿の肩胛骨けんこうこつさくらの木でき、その罅目われめの形で神意しんいうかが布斗麻邇ふ と ま にであつたらしい。卜占法ぼくせんほうには石卜いしうら琴卜ことうら夢卜ゆめうら足卜あしうらなどがあつた。石卜いしうらは石を蹴つたり持ち上げたりして、その輕重けいちょう吉凶きっきょう判斷はんだんするもの、琴卜ことうらは琴の音色で運命を判斷はんだんし、夢卜ゆめうら夢中ゆめのなかに神が出現されて神意しんいを告げること、足卜あしうらは一定の距離に於ける歩行の奇數きすう偶數ぐうすう、足音の强弱きょうじゃく吉凶きっきょうを判じた。更に女性によつて行はれた神憑かむがかりは、一種の交神術こうしんじゅつで、失神しっしん狀態じょうたいの間に神託しんたくを受けるのである。後世はこれらが全部形式本位に墮落だらくしたが、根本の精神せいしん神意しんいのままに政治を行はうとした崇高すうこう心持こころもちから出てゐる。

〔注意〕崇神すじん天皇は七年春二月十五日に本詔ほんしょうを下し給ひ、神淺茅原かむあさぢがはら行幸ぎょうこうあつて神意しんいうかがはれた。この時倭迹迹日やまとととひ百襲姬命ももそのひめのみことは、突然失神しっしん狀態じょうたいおちいり、大物主神おおものぬしのかみつて、「われ祭祀さいしすれば國は平和になる」と告げたので、早速その通り實行じっこうされたが、やはりしるしがない。そこで天皇沐浴もくよく齋戒さいかいし、殿中でんちゅうきよめて、そのよしを神に問はれると、その御夢おゆめの中に大物主神おおものぬしのかみが出現して、「自分を祭つただけでは足りませぬ。自分の大田おおた田根子た ね こ祭主さいしゅにして下されば、國はたちまち平和となり、その上、外國までもしたがふでせう」と告げた。折柄おりからその年の秋八月七日に重臣じゅうしんの三人倭迹速やまととはや神淺茅原かむあさぢはら目妙姬まくはしのひめ大水口宿禰おおみなくちのすくね伊勢麻績君いせのおみのきみも同じ夢を見たと奏上そうじょうしたので、陶邑すえのむらから大田おおた田根子た ね こ發見はっけんして大物主神おおものぬしのかみ祭主さいしゅにさせると、靈夢れいの通り、國中くにじゅうは平和になつたのである。『崇神紀すじんき』にはこの部分を、「ここに於いて疫病えきびょう始めてみ、くにうちようやくにしずまり、五こくすでみのりて、百せいにぎわひぬ」と記してゐる。

【大意謹述】昔、我が皇室の御祖先ごそせん天照大御神あまてらすおおみかみは、皇室の御大業ごたいぎょうの基礎をおおいに開かれた。その後の神々を始め、神武じんむ天皇より、開化かいか天皇時代に至るまでの諸天皇御德行どとくこう及び御事業ごじぎょうおおいに盛大となり、著々ちゃくちゃく大御神おおみかみ神勅しんちょく實現じつげんするにつとめられた。しかるに今、ちんの時代にあたつて、このやうな不祥事ふしょうじが度々起るとは、一たいどうしたことであらう。多分當代とうだいになつて少しも善政ぜんせいを行はないといふので、天地あめつちの神々が朕を始め一同を反省させるためにかかる不祥事ふしょうじを起させたのではあるまいか。いづれにしても、この際、龜卜きぼくを行つて神意しんいうかがひ、わざわいが起つた原因をはつきりとたしかめなければならない。

【備考】この詔勅しょうちょくにより考へられる如く、崇神すじん天皇は常に神祇しんぎ崇拜すうはいし、政治上・社會しゃかい上、事々ことごと神意しんいを問はれたのちこれ實行じっこうされた。我が皇室と神祇しんぎとの關係かんけいを知る上に就いて、本詔ほんしょうはこの上もない適例ではないかと思はれる。神祇しんぎの意をうかがはれた詔勅しょうちょくは、本詔ほんしょう以外に限りなく多い。その重要と思はれるものは本篇で謹述きんじゅつするが、そのすべてにわたつて、敬神けいしんの念がさかんであるのを見逃してはならぬ。我が神道しんどうに於いて、神意しんい奉伺ほうしするといふことが如何い かに重要な地位を占めてゐるかが分明ぶんめいである。かうした敬神けいしんの念が崇神すじん天皇のみでなく、今上きんじょう陛下に至るまで御代々ごだいだい天皇の政治の基本をなしてゐるのであり、我が日本の政治の特殊性も、このてんに見られるのである。