1 天神を祀るの詔 神武天皇(第一代)

天神あまつかみまつるのみことのり(四年二月 日本書紀

我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天神、申大孝者也。

【謹譯】皇祖みおやみたまてんよりくだりひかりて、ちんてらしたすけたまへり。いまもろもろあだどもすでたいらぎ、海內かいだいことなし。もっ天神あまつかみ郊祀ま つりて、大孝たいこうぶべきものなり。

【字句謹解】◯皇祖の靈 皇祖みおや天照大御神あまてらすおおみかみ及び高皇產靈神たかみむすびのかみを申し上げる、みたま靈魂れいこんの意で、人間の形體けいたいを離れても、その全能力を失はないもののしょうたましい不變ふへん不滅ふめつのものと古代に考へられた ◯天より降鑒りて てんとは高天原たかまのはらの事、その高天原たかまのはらからこの地上に降つて特有の作用を發揮はっきする意で、韴靈劍ふつのみたまのつるぎ〔註一〕參照、八咫烏やたからす〔註二〕參照、及び金色鵄こがねいろのとび〔註三〕參照、を指す ◯光助けたまへり 偉大な力で危險きけんから救つてくれられた、これが前三者にかかることはいふまでもない ◯ 皇化こうかに服しない者共ものども、諸方面のの意 ◯海內事なし 海內かいだい天下中てんかじゅうのこと、ただしここでは大和やまと地方を意味す。事なしは平和となつた意。神武じんむ天皇御東征ごとうせいの目的を達せられて、日本の中心である大和地方をことごとく平定されたこと ◯天神 高天原たかまのはらられる神々かみがみ總稱そうしょう、特にこの場合は皇祖こうそ天照大御神あまてらすおおみかみ高皇產靈神たかみむすびのかみのこと ◯郊祀りて こう支那し なに於ける天地の神を祭ること、いにしえは天子が冬至の日に天を南郊なんこうまつり、夏至には地を北郊ほっこうまつつた ◯大孝を申ぶ 大孝たいこうとは祖先そせん代々だいだい御志おこころざしにそひたてまつること、べるとはそれを報告すること。〔註四〕參照

〔註一〕韴靈劍 皇兄こうけい五瀨命いつせのみこと薨後こうご神武じんむ天皇は、なほ東征とうせいの軍を進められ、名草邑なくさのむら名草戸畔なくさとべといふ賊をちゅうし、熊野くまの荒坂津あらさかのつ丹敷戸畔にしきとべといふ賊をちゅうせられた。この時、皇軍こうぐんの全部は毒氣どくけてられ、その場にたふれてしまつた。すると、の土地の高倉下たかくらじといふ男が、その、こんな夢を見た。天照大御神あまてらすおおみかみ武甕雷神たけみかづちのかみをよばれ「葦原中國あしはらのなかつくには未だ平定しないらしい。今一度なんじつてせいするやうに」と仰せられると、「私自身がかなくとも、昔中國なかつくにを平定した時に持つてきましたつるぎを下界にくだせばそれで十分でせう」と申し上げた。大御神おおみかみもそれを許し給うたので、武甕雷神たけみかづちのかみ高倉下たかくらじに向つて、「自分のつるぎの名は韴靈ふつのみたまといふ。これをくらの裏に置くから、天孫てんそん神武じんむ天皇に早速獻上けんじょうせよ」といつた。翌日になつて高倉下たかくらじは起き上るや、直ぐに夢の中でおそはつたやうにくらを開けると、果して立派なつるぎが置かれてあつた。すぐにそれを神武じんむ天皇たてまつると、このつるぎ靈力れいりょく毒氣どくけあたつた人々の全部が元氣を恢復かいふくし、更に進軍し得たのである。

〔註二〕八咫烏 韴靈ふつのみたまを得た皇軍こうぐんは、おおいに進んで大和やまと地方の賊を一掃しようと欲したが、何分、そのへんの山々に人の通れる道などなく、非常にけわしいのを無理に進んでゐると、遂にみちに迷つて、何處ど こに行つたら、正しい道に出るか分らなくなつた。そのうちにとなつて天皇御寢おやすみになると、夢に天照大御神あまてらすおおみかみが出現され、「これから、八咫烏やたがらすつかはすから、それを導者どうしゃとするがよい」と告げられた。果して、空から八咫烏やたがらすが翔び降つたので、神武じんむ天皇は、大御神おおみかみ御身おんみまもられることを知り、この上なく力强く感ぜられた。

〔註三〕金色鵄 天皇は賊中で最も强剛きょうごう長髓彥ながすねひこたたかはれたが、意外にもその軍は非常に强く、皇軍こうぐんが不利となる場合が少くなかつた。寒い十二月のる日、兩軍りょうぐんおおいに戰つて、ともすれば、不利となる皇軍こうぐんを指揮せられてゐると、空の一方から金色こんじきの光を放つとびが飛んで來て、神武じんむ天皇の持たれる御弓おんゆみにとまつた。すると、賊軍はそのとびからはっする電光のやうな光に目がくらんで、一歩も進み得ず、大敗してしまつた。『日本書紀』には、このとびの語がなまつて今の鳥見と みといふ場所になつたと記してある。

〔註四〕大孝 大御神おおみかみ神勅しんちょくには「豐葦原瑞穗國とよあしはらのみづほのくには我が子孫すめみまきみたるべき地である」と見える。瓊瓊杵尊ににぎのみこと以下の方々かたがたは常にそれを望まれたものの、未だその時機が來なかつた。神武じんむ天皇御東征ごとうせいはこれらの御志おこころざし實現じつげんされたので、御代々ごだいだい祖先そせん御志おこころざしにそひたてまつつたものであつた。大孝たいこうといふ語には以上の意味が含まれてゐる。

〔注意〕神武じんむ天皇御東征ごとうせい後、皇紀こうき元年に橿原宮かしはらのみや卽位そくいあり、媛蹈鞴ひめたたら五十鈴媛命いすずひめのみことを皇后とし、二年には功臣こうしんの賞を行ひ、四年春二月二十三日に本詔ほんしょうを下し給うて、鳥見と み山中さんちゅう祭場さいじょうを設け、大御神おおみかみを祭られた。一にはその神勅しんちょくを完成したことを大御神おおみかみに告げたてまつり、二には戰時中せんじちゅう、常に御守護ごしゅごあられたことを感謝されたのである。

【大意謹述】我が皇祖こうそ天照大御神あまてらすおおみかみ及び高皇產靈神たかみむすびのかみ御靈みたまが、高天原たかまのはらから降つて、東征とうせい中のちんを保護されたことがすこぶる多い。さいわひ現在は一切の賊軍が皇化こうかに服し、大和やまと地方は何等心配することがなくなつた。この時にあたつて高天原たかまのはらにまします諸神しょしんを祭り、御先祖の御志おこころざし實現じつげんしたことを報告しなければならない。

【備考】みちくに日本!これ他國たこくと全くことなてんである。日本は天孫てんそん降臨こうりんあたり、この地上に道をひろめ、道を實現じつげんし、平和と正義と愛の光を以て、地上を莊嚴そうごんにするために建てられたのである。したがつて、神武じんむ天皇左樣そ うした天の神々、こと天照大御神あまてらすおおみかみ御遺志ご い し御鴻謨ごこうぼを尊重せられ、いろいろの辛酸しんさんて、大和やまと地方を征定せいていされたのである。それは、地上に道をひろめ、道を實現じつげんするといふ祖先そせんとうとい使命を自覺じかくせられたからだ。それが、やがて大孝たいこう精神せいしんに合致する所以ゆえんである。

 かの祭政さいせい一致の旨は、みなもと左樣そ うしたところにはっしてゐる。「まごころ」を以て、祖先そせんの使命實現じつげんにつくし、その實現じつげんについての仕事が一段落を告げたとき、これを祖先そせんみたまに報告し、うやうやしく、これを祭るといふところに、無限の發展性はってんせいそんする。左樣そ うした結果が、政治の上によき效果こうかをもたらすのは申す迄もない。「まつり」すなわち「まつりごと」といふことは、ここに根ざしたものと見られる。祭政さいせい一致の意義について、以上の過程を考へると、それが日本特有の長所であり、美風であることがわかる。「政治は敎化きょうかなり」といふ新意義もここから生れる。