71-2 國際聯盟脫退ノ詔書 今上陛下(第百二十四代)

國際こくさい聯盟れんめい脫退だったい詔書しょうしょ(第二段)(昭和八年三月二十七日)

【謹譯】今次こんじ滿洲國まんしゅうこく新興しんこうあたリ、帝國ていこく獨立どくりつ尊重そんちょうシ、健全けんぜんナル發達はったつうながスヲもっテ、東亞とうあ禍根かこんのぞキ、世界せかい平和へいわたもツノもといナリトス。しかルニ不幸ふこうニシテ、聯盟れんめい所見しょけんこれ背馳はいちスルモノアリ。ちんすなわ政府せいふヲシテ愼重しんちょう審議しんぎつい離脫りだつスルノ措置そ ちラシムルニいたレリ。

【字句謹解】◯滿洲國ノ新興 昭和七年、新建國しんけんこくが成つた。〔註一〕參照 ◯東亞ノ禍根 東方アジヤの平和をおびやかすわざわい根元こんげん。〔註二〕參照 ◯背馳 れとこれと反對はんたいそむく。〔註三〕參照 ◯愼重審議 愼重しんちょうつつしみ深く、用意のきわたること、審議は幾度も調査を重ね、研究をすること ◯離脫 脫退だったいに同じ ◯措置 取計とりはからふ事。

〔註一〕滿洲國ノ新興 新興しんこう滿洲まんしゅうの事を諒解りょうかいするには一おう滿洲まんしゅう歷史れきし簡單かんたんに述べる必要がある。滿洲まんしゅう支那し な淸朝しんちょう時代以前には支那し な本部と全くことなつた地域だつた。すなわち、それは支那し なの領土としょうすることが出來ない國だつた。その後滿洲まんしゅうから起つた淸朝しんちょうはそこを滿洲まんしゅう旗人きじんの居住地とし彼等の生活を支へてゆかしめるため、封禁ほうきんの地とした。そしてそこに特別の官制をき、これを特別行政區域くいきとしたのである。そのうち淸朝しんちょう末期に及び、支那し な本部から流民りゅうみんり込んで、次第に支那し なふう色合いろあいを加へ、長春ちょうしゅん地方などがづ開けた。が、大體だいたいからいふと矢張やはり、未開狀態じょうたいにあつたのが、日露にちろ戰爭せんそう以後日本の盡力じんりょくにより見ちがへるばかりに開けたのである。日露にちろ戰爭せんそう!久しく南下なんかの野心に燃えて、滿洲まんしゅう我物顏わがものがおに横行したロシヤの態度は、東洋の平和をおびやかしてやまなかつために、日本はむなくロシヤの横暴をこらすべく、たたかつた。それはしんに日本の國運こくうんした戰爭せんそうである。その結果、勝利を得て、ロシヤの勢力滿洲まんしゅうから追ひのけ、東洋平和の基礎を固めることが出來たが、その代り二十憶の國帑こくどと十まんの犠牲とをはらつた。かうして滿洲まんしゅうの平和は支持せられ、交通が便利になり、產業さんぎょうまたさかんに起つたのである。滿蒙まんもうが日本の生命線である所以ゆえんは、左樣そ うした事情に由來ゆらいする。ところが、支那し なにおいては、右の如き特殊事態について、何等の考慮をもはらつたことがない。のみならずちょう作霖さくりんのあとを受けいだちょう學良がくりょうは、ただ贅澤ぜいたく享樂きょうらくとに日を送つて、手ひどく、人民から搾取さくしゅしたので怨嗟えんさこえが到るところに起つてゐた。しかちょう學良がくりょうはそれについて少しも反省しないのみか、日本にたいして不當ふとうの敵意をいだいた。昭和六年九月夜半やはん奉天ほうてん郊外、柳條溝りゅうじょうこう滿鐵まんてつ爆破事件が起るに及び、長く我慢を重ねて來た日本軍は、到頭とうとう、堪へ切れないで、少數しょうすうを以て、よく多數たすうあたり、錦州きんしゅうおとしいれ、ハルピンに入市にゅうしし、かくして久しく滿洲まんしゅうの天地を暗黑あんこくならしめようとしたきゅう東北政權せいけん根柢こんていからくつがえした。ここに至つて學良がくりょういきおいふるはなくなり、新國家建設の望みが滿洲まんしゅう全土にみなぎつたのである。その結果、東北行政委員かいが成立し、昭和七年三月ぜん淸帝しんてい溥儀ふ ぎ執政しっせいいただいて、ここ新興しんこう滿洲まんしゅうの創建を見た。當時とうじ溥儀ふ ぎ執政しっせいは、王道おうどう樂土らくど滿洲まんしゅううちつるべく宣言書をはっし、「人類はすべからく道德どうとくを重んずべきものなるに、種族の別あり、すなわを抑制し、おのれ賞揚しょうようす、その道德どうとくたるやはなはうすし。人類はすべからく仁愛じんあいを重んずべきものなるに國際間こくさいかんあらそひあり、すなわち人を損じ、おのれす。その仁愛じんあいたるやはなはうすし。今我國わがくに建立けんりゅうするにあたり、道德どうとく仁愛じんあいを以てしゅとなす。種族の別及び國際間のあらそひを除去せば、まさ王道おうどう樂土らくど實現じつげんを見るべし。およそ我國の民たるもの努めてこれを勉勵べんれいせよ」と告諭こくゆされた。以上滿洲まんしゅう新興しんこうの大要である。

〔註二〕東亞ノ禍根 アジヤの平和をおびやかすわざわいの根。すなわ滿洲まんしゅう歐米おうべい諸國しょこくが始終うかがつてゐるところで、すで日淸にっしん戰爭せんそう後、どくふつごくが日本の遼東りょうとう半島領有を妨害したのみか、その後、三國は淸朝しんちょうに向つて過大の報酬を求めたことは今わたくしらの忘れ得ぬことである。當時とうじ、ロシヤは露淸ろしん密約みつやくを結び、膠州灣こうしゅうわんを十五ヶ年間租借そしゃくした上、滿洲まんしゅう鐵道てつどう敷設權ふせつけんを獲得し、旅順りょじゅん大連だいれんを他國に割讓あkつじょうせしめぬといふ事にした。ぎにドイツは宣敎師せんきょうし二名が暴民ぼうみんのため殺されたのを口實こうじつとして膠州灣こうしゅうわんを占領し、九十九年間、これを租借そしゃくする事としたので、その際、ロシヤは旅順りょじゅん大連だいれん租借そしゃくすることに定め、フランスは膠州灣こうしゅうわん租借權そしゃくけんおさめ、イギリスもまたこの形勢につれて、威海衞いかいえい租借そしゃくしたのである。以上の如き有樣ありさで、滿洲まんしゅう垂涎すいぜんする歐米おうべい列强れっきょう勢力めぬ間は、東洋全局の安定を得ない。常にそれがアジヤの禍根かこんとして、日本をおびやかし、東洋を動搖どうようせしめる所以ゆえんである。

〔註三〕背馳 日本は新興しんこう滿洲まんしゅう獨立どくりつを助け、すこやかに發達はったつせしめて、安定をさしめることが、東洋永遠の平和を維持すべき唯一の大道だいどうと考へてゐる。ところが聯盟れんめいは、このてんで、日本に反對はんたいした。意味の大要たいようは右の如くであるが事實じじつ幾多いくた曲折きょくせつてゐる。それをここ敍述じょじゅつすることを略するが、ただリツトン委員だんによつて作成された報告書が、しんに東洋の現實げんじつを認識するところ迄達せず、それを鵜呑う のみにした聯盟れんめい理事かいが日本の所見と一致しないことは、あまりにも明白過ぎた。ほ昭和七年十一月、ジエネエブに於ける日本代表部は、リツトン報告書の誤謬ごびょうを指摘した文書を國際こくさい聯盟れんめい事務總長そうちょうドラモンド氏に手交しゅこうし、次いで昭和八年二月、脫退だったい理由書をおおやけにした。

【大意謹述】今囘こんかい滿洲國まんしゅうこくが新たなる希望と新たなる理想とをいだいて、興起こうき・再建さるるに及び、日本帝國は東洋平和の大道だいどうにより、その獨立どくりつを心から尊重し、諸種しょしゅの方面において、健全な發達はったつ實現じつげんするやう、力を添へた。それはつまり、東方アジヤのバルカンとはれた滿洲まんしゅうからわざわいの根をち、平和のもといを固める所以ゆえんだと信じたからである。この當然とうぜん所置しょちについては、一てん妥當だとうくところがないにかかわらず、國際こくさい聯盟れんめい理事かいでは、日本帝國の考へ方とちがつた見解を示し、雙方そうほう、一致せぬものがあつた。それは全く意想外いそうがいのことで、はなは遺憾いかんに堪へない。この際、如何い か善處ぜんしょすべきであるかといふ重要な問題について、ちん當局とうきょく有司ゆうしに命じ、念に念を入れて、調査し研究せしめたのである。その結果、日本の見解や措置が正當せいとうで、少しも曲つたところがないことを認め、ここ聯盟れんめいから脫退だったいすることになつた。

【備考】聖慮せいりょかく決せられたことは、只管ひたすら感激のほかはない。思ふに、滿洲まんしゅう問題について、日本外交當局とうきょく國際こくさい聯盟れんめいに向ひ執りきたつた態度は、あまりに穩健おんけんに過ぎ、自重じちょうに過ぎた位であつた。しか國際こくさい聯盟れんめいが東洋の現實げんじつ、日本の現實げんじつを正しく認めることが出來なかつたのは何によるか。それについては、いろいろの原因がもつれ合つてゐて手短かにそれをつくすことが出來ない。今、心付こころづいたてん、二三をげると、(一)歐米おうべい列强れっきょう依然いぜん滿洲まんしゅうたいする野心を抛棄ほうきせぬこと(二)白人優越感に陶醉とうすいせる事(三)小國側しょうこくがわ跳梁とうりょう策動さくどうによる事(四)アメリカが小兒病しょうにびょう對日たいにち干渉かんしょう持續じぞくした事(五)ヨオロツパの特殊事情のそんする事などであらう。その他、最後の場面に臨んでイギリスの態度が急變きゅうへんした事、支那し な宣傳せんでんの上に成功した事などもかぞへられよう。また風說ふうせつではあるが、日本に於けるリベラリスト一派が、日本は結局聯盟れんめいの前に屈すべきだとし、あるいは屈するであらうといふことをそれとなく匂はせた事などが、間接に作用してもゐたらう。

 ヨオロツパといひ、アメリカといひ、常に東洋に向つて、種々しゅじゅの野心をいだいたことはあまりにいちじるしい事實じじつである。一度、近世東洋史ひもといたならば、そこに歷々ありありと彼等の侵略のあとを指點してんし得よう。ただ今日こんにちは領土侵略の代りに物質上經濟けいざい上の利益りえきを人一倍占めようといふ形式に代へただけで、きることなきアンビシヨンは、始終持つてゐる。かうしたてんつて、日本が滿洲まんしゅうを安全地帶ちたいに置き、これに向つて特別の力を添へるといふことを、彼等はだまつて見てゐないのはふ迄もないが、そこに彼等の先入觀念かんねんがあつて、兎角とかく正當せいとう認識をく一因となつてゐる。

 更に歐米人おうべいじんがいつ迄も取り去らないのは、白人優逸ゆういつ觀念かんねんである。彼等は、日本及び東洋にかんする知識を持たぬ。ごく少數しょうすうの人々を除くと、『マダム・バタアフライ』を通じて、わずかに日本を想像し、あるい浮世繪うきよえゲイシヤ・ガアルを通じて、日本を解釋かいしゃくするにとどまつてゐる。それと同樣どうよう、東洋の事情についてもまた途方もない想像をたくましうしてゐるだけだ。中には、日本の生活が歐米化おうべいかした一面を見て、一切が歐米おうべい模倣もほうのもとにあるかの如く、早合點はやがてんせるものもゐる。だから、日本をたんなる好戰國こうせんこくと見なしたり、半開はんかい半蒙はんもうの國の如く、途方もない誤解をしたりするのが常だ。こんな具合で、正しく日本を認識してゐるのはごく少數しょうすう識見家しきけんかに限られる。

 一つは本質をことにした日本文化が彼等に容易たやすみ込めないにもよらうが、一つは彼等が、「白人のみエライ」といふ觀念かんねんとらはれて、日本及び東洋を眞面目ま じ めに研究する考へをいてゐるから、左樣そ うしたあやまれる見方にとらはれるのであらう。日本人は、歐米おうべいたいして相應そうおうの敬意をはらひ、大抵たいていの人々は、歐米おうべいについての常識を備へてゐる。ところが、歐米人おうべいじんは日本についての常識をまるでくのみならず、東洋の常識をも用意してをらぬ。ここはなはだしい認識不足がある。

 更に國際こくさい聯盟れんめいにおいては、小國側しょうこくがわ策動さくどうがあつて、それが、純理じゅんり一方、自國本位一方で、聯盟れんめいを動かさうとしたことが、日本の現實げんじつたいする正しい認識の邪魔をしたことはふ迄もない。松岡まつおか洋右ようすけ氏は、このてんについて、「小國側しょうこくがわ國際こくさい聯盟れんめいをその生命線としてゐる。何故なにゆえこれを生命線とするか。それは、いつ隣の大國から攻められるかわからぬからだ。したがつて小國側しょうこくがわは兵力使用を絕對ぜったい禁物きんもつとしてゐる」と述べたが、要するに左樣そ うした先入見せんにゅうけんを以て、日本の行動を頭から純理的に解釋かいしゃくした。しかも彼等は、日本の現實げんじつも知らず、東洋の現實げんじつをも知らぬ。日本及び東洋の今日きょう明日あ すをも知らぬ。知つてゐるのはただ兵力使用を禁物として自國を擁護ようごしようといふだけのことである。ただそれだけ單純たんじゅんな考へによつて、滿洲まんしゅう問題を正しく認識し、正しく解釋かいしゃくすることが出來ぬのは、初めから分明わ かり切つた次第である。

 それにアメリカの小兒病しょうにびょう對日たいにち干渉かんしょう滿洲まんしゅう問題の認識を妨げたことは一般の知るところである。滿洲まんしゅう事變じへん發生はっせい以來、アメリカの國務長官スチムソン氏は日本に向つて不合理な聲明書せいめいしょはっしたり、頭からおさへてかかつたり、あるい國際こくさい聯盟れんめいを操つたり、いろいろの術策じゅっさくを繰返した。それはただ日本の對米たいべい感情を惡化あっかせしめるに役立つたかも知れぬが、滿洲まんしゅう問題を正當せいとう解釋かいしゃくする上には、少からぬ邪魔をした。在來ざいらい威嚇いかく恫喝どうかつとによつて、日本を畏縮いしょくさせることが出來たといふ過去の外交事例のみにとらはれ、滿洲まんしゅう問題について、國をげて、日本が眞劍しんけんになつてゐる生きた現實げんじつを、スチムソン氏はまるで知らなかつた。ここはなはだしい誤りがあると同時に、聯盟れんめいをして軌道を踏みはずさせるにあずかつて力があつたことは、あきらかにアメリカのたい聯盟れんめい策の破產はさんしょうし、それを裏書うらがきするものでなくて何であらう。

 それからヨオロツパに於ける特殊事情が滿洲まんしゅう問題を正しく認識せしめぬ一因となつたことも一般の知る所と思ふ。このてんについて、親しくヨオロツパを見て來た松岡まつおか洋右ようすけ氏は「歐洲おうしゅう現狀げんじょうは、ヨオロツパ大戰たいせん直前の不安狀態じょうたい及び危險きけん狀態じょうたいより一層はなはだしいものがある。それゆえ、イギリスの如き大國は非常にこれを憂へ、何とかして第二の歐洲戰おうしゅうせんが起らぬやうにしたいと苦慮くりょしつつある。したがつて聯盟れんめい政策を基調として、出來るだけ聯盟れんめいの威力を發揮はっきし、ヨオロツパの平和を保つてゆかうとしてゐる。したがつて彼等の關心事かんしんじの第一は、ヨオロツパであつて、それにくらべると、極東きょくとう問題は第二義的なものとし、そのために讓歩じょうほするわけにはゆかぬとつた有樣ありさだ」と述べてゐる。

 本來ほんらいアメリカが參加さんかしてをらぬ國際こくさい聯盟れんめいは、ヨオロツパ本位のものたらざるを得ない。したがつて、英佛えいふつその他が東洋を正しい視野のうちに入れてをらぬのは、初めから分明わ かり切つてゐた。ゆえにヨオロツパのための聯盟れんめいではあつても、世界のための聯盟れんめいではなく、無論、東洋のための聯盟れんめいでもない。最初から彼等の多くは、視野をヨオロツパに限り、ヨオロツパの利害を第一に打算して、動かうといふにすぎぬ。かうした考へのもとに、東洋にたいすることは、いきおひ認識不足を證明しょうめいするやうなものである。

 勿論もちろん、ヨオロツパ決裂の危機が眼の前にせまつてゐる以上、この事のみに氣を取られて、東洋問題にくちばしれる餘裕よゆうがないといふてんは同感出來る。けれどもそのために、自國本位に東洋問題にたいし、日本の現實げんじつを正視すること忘れて、ただ純理じゅんり的に聯盟れんめいの威力を濫用し、不當ふとうに日本を屈伏せしめようとしたことは、あまりにも實情じつじょうにうとい行動である。そこに滿洲まんしゅう問題を正しく取扱ひ得ぬ弱點じゃくてんが初めから存在した。

 以上は、國際こくさい聯盟れんめいが、滿洲まんしゅう問題を正當せいとうに認識し得ない諸原因である。彼等が日本の立場、現實げんじつの日本を理解し得ぬのもまた右の諸因によるところが多い。かくして日本が最善をつくし、審議に審議を重ね、謙讓けんじょうの態度を持ちつづけたるにかかわらず、聯盟れんめいの無理解の度が、あまりにはなはだしいめ、不本意なが脫退だったいせねばならぬ場合に立至たちいたつたのはしんむを得ぬことである。