65-4 獨逸國ニ對スル宣戰ノ勅語 大正天皇(第百二十三代)

獨逸ドイツこくたいスル宣戰せんせん勅語ちょくご(第四段)(大正三年八月二十三日 官報

【謹譯】

ちん皇祚こうそミテいまいくばクナラス。今尙いまなお皇妣こうひレリ。つね平和へいわ眷々けんけんタルヲもっテシテ、カモついたたかいせんスルノムヲサルニいたル、ちんふかこれうらみトス。

ちんなんじ有衆ゆうしゅう忠實ちゅうじつ勇武ゆうぶ倚賴いらいシ、すみやか平和へいわ克復こくふくもっ帝國ていこく光榮こうえい宣揚せんようセムコトヲス。

【字句謹解】◯皇祚ヲ踐ミテ 卽位そくいされたまうたこと ◯未タ幾クナラス 大正天皇御卽位ごそくいは明治四十五年七月三十日であるから、わずか二年と二十五日目に本勅ほんちょくはっせられたことになる ◯皇妣ノ喪 皇妣こうひ崩御ほうぎょましました太后こうたいごう陛下を指したてまつる、昭憲しょうけん太后こうたいごう陛下にはこの年の四月十一日に崩御ほうぎょましまし、この時に天皇御服喪中ごふくもちゅうにあらせられた ◯眷々タル 心から願ふこと ◯平和ヲ克復シ 平和な狀態じょうたいにもどす ◯宣揚 ひろく世の中にのべあらはす。

【大意謹述】ちん卽位そくいして以來いらい今日こんにちまでには未だ少しの年月ねんげつしかたってゐない。その上、現在では太后こうたいごう陛下の服喪中ふくもちゅうにある。萬事ばんじつつしむにあるので、平常から平和を深くこいねがひ、事なきを欲した朕も、この際になつては、むなく、ドイツ國に宣戰せんせん布告ふこくをしなければならなくなつた。朕は事のことに至つたのを非常に遺憾いかんに思ふのである。

 朕は汝等なんじら一般國民の忠義ちゅうぎ厚く勇敢な行動をたのみとし、必ずやすみやかに平和を持ちたすやうにつとめ、我が帝國の光輝こうき名譽めいよとをひろく世界にあらはさんことを期待する。

【備考】對獨たいどく宣戰せんせんと共に、聯合國れんごうこく側に參戰さんせんして、日本は、完全に東洋から、ドイツの勢力驅逐くちくしてしまつた。このてんたいし、イギリスは、當然とうぜん、感謝しなければならない。ところが、大正十年(西紀一九二一)のワシントン會議かいぎでは、アメリカの機嫌を取るため、日英同盟を破棄してしまつたのである。國際こくさい情勢じょうせいは、いつも利益りえき中心に移動するので、變化へんかが激しい。正直な日本は、往々おうおう歐米おうべいのために迷惑させられることがあるのを遺憾いかんとせざるを得ない。ワシントン會議かいぎ以後、英米はいつも提携し、軍縮會議ぐんしゅくかいぎにおいても、日本を抑壓よくあつしようとする態度に出たことは、ロンドン會議かいぎ(西紀一九三〇・昭和五年)にちょうしても明白である。