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65-3 獨逸國ニ對スル宣戰ノ勅語 大正天皇(第百二十三代)

獨逸ドイツこくたいスル宣戰せんせん勅語ちょくご(第三段)(大正三年八月二十三日 官報

【謹譯】ここイテちん政府せいふ大不利顚だいぶりてんこく皇帝こうてい陛下へいかトハ、相互そうご隔意かくいナキ協議きょうぎケ、兩國りょうこく政府せいふ同盟どうめい協約きょうやく豫期よ きセル全般ぜんぱん利益りえき防護ぼうごスルカため必要ひつようナル措置そ ちルニ一シタリ。ちん目的もくてきたっセムトスルニあたリ、なおつとメテ平和へいわ手段しゅだんつくサムコトヲほっシ、ちん政府せいふヲシテ誠意せいいもっ獨逸ドイツ帝國ていこく勸告かんこくスルところアラシメタリ。しかレトモ所定しょてい期日きじつおよフモ、ちん政府せいふつい應諾おうだく囘牒かいちょうルニいたラス。

【字句謹解】◯相互 おたがいにの意 ◯隔意ナキ協議ヲ遂ケ へだてのない相談をする。〔註一〕參照 ◯豫期セル あらかじめ待ち設けてゐた ◯措置 事にあたつての手段 ◯獨逸帝國ニ勸告 ドイツ帝國の政府に忠告すること。〔註二〕參照 ◯所定ノ期日 定められた日限にちげん。〔註三〕參照 ◯應諾ノ囘牒 承知したといふ囘答かいとう、これがなければ日本の忠告を拒絕きょぜつしたことになる。

〔註一〕隔意ナキ協議ヲ遂ケ 前述した如く八月七日、イギリスは日英同盟の協約にもとづき、相當そうとうの援助を求める意味の通牒つうちょう我國わがくにに致した。そこで我が政府はイギリス政府と數度すうどの交渉を重ねた結果、兩國りょうこくの意見が一致し、八月十五日に〔註二〕に引用する勸告かんこくはっしたのである。

〔註二〕獨逸帝國ニ勸告ス 八月十五日の勸告文かんこくぶんの主意は、

(一)日本及び支那し な方面からただちにドイツの艦艇かんていは退去すること。(二)退去し得ないものは武裝ぶそうを解除すること。(三)ドイツは膠州灣こうしゅうわん租借地そしゃくち支那し な還附かんぷする目的で、大正三年九月十五日を限つて無償むしょう無條件むじょうけんで日本官憲かんけんに交付すること。(四)以上の諾否だくひ囘答かいとうは八月二十三日正午までに提出すること。

となつてゐる。

〔註三〕所定ノ期日 八月十五日の勸告文かんこくぶんはドイツの囘答かいとうを同月二十三日正午までと限つてゐる。これは前例を破つた長期間で(普通は二十四時間乃至四十八時間)聖上せいじょうの平和を希望せらるる叡慮えいりょをこのうち拜察はいさつるのである。しかるにドイツはその期限である二十三日正午になつても何の囘答かいとうをなさず、益々ますます戰備せんび嚴重げんじゅうにするとの報が入つたので、ここに大正天皇は八月二十三日ただちに本勅ほんちょくはっせられ、東洋平和のために世界共同の敵たるドイツをたまふ事になつた。

〔注意〕靑島チンタウ攻擊こうげきかんする勅語ちょくごには、

(一)靑島チンタウ攻擊こうげき參加さんかシタル陸海軍ニ下シ給ヘル勅語(大正三年十一月七日、官報

 がある、それにたいして靑島チンタウ攻城軍こうじょうぐん指揮官陸軍中將神尾かみお光臣みつおみは陸軍を代表し、靑島チンタウ封鎖ふうさ艦隊かんたい司令長官海軍加藤かとう定吉さだきちは海軍を代表して奉答ほうとうしてゐる。

 なほ、この時の御沙汰ご さ たには次の如きものがある。

(二)靑島チンタウ攻擊こうげき參加さんかシタル英國えいこく陸海軍ヘノ御沙汰ご さ た(大正三年十一月七日)(三)同上ノ陸軍將校しょうこう下士卒かしそつたい皇后陛下ヨリたまハリシ御沙汰(同日)(四)同上ノ英國えいこく陸軍ニ對シ皇后陛下ヨリ賜ハリシ御沙汰(同日)(五)同上ノ海軍將校下士卒ニ對シ皇后陛下ヨリ賜ハリシ御沙汰(同日)(六)同上ノ英國海軍ニ對シ皇后陛下ヨリ賜ハリシ御沙汰(同日)

 次に皇太子殿下からも陸軍將校しょうこう下士卒かしそつ英國えいこく陸軍・我が第二艦隊・英國海軍にたいして御令旨れいがあり(大正三年十一月八日)、英國えいこく皇帝・佛國ふつこく大統領への祝電(共に十一月八日)があつた。

 なほ日英同盟は明治四十四年七月十三日にロンドンで調印された第三かい協約に於いて嚴密げんみつな意味での攻守こうしゅ同盟となつてゐる。今、本問題に關係かんけいを持つ第一條・第二條を引用すれば次の如くである。

第一條 日本國又は大不利顚だいぶりてんこくに於て、本協約前文に記述せる權利けんり及び利益りえきうちいずれか危殆きたいせまるものあるを認むる時は、兩國りょうこく政府は相互に充分に隔意かくいなく通告し、侵迫しんぱくせられたる權利けんり又は利益りえき擁護ようごせんがために、執るべき措置を共同に考量こうりょうすべし。

第二條 りょう締盟國ていめいこくの一方が、挑發ちょうはつする事なくして一こくもしくは數國すうこくより攻擊こうげきを受けたるにり、又は一こくもしくは數國すうこくの侵略的行動にり、がい締盟國ていめいこくに於て本協約前文に記述せるの領土けん、又は特殊利益りえきを防護せんが交戰こうせんするに至りたる時は、前記の攻擊こうげき又は侵略的行動がいずれの地に於て發生はっせnするを問はず、他の一方の締盟國ていめいこくただちにきたりての同盟國に援助をあたへ、共同戰鬪せんとうあたり、講和もまた雙方そうほう合意の上に於てこれすべし。

【大意謹述】ちん同盟國どうめいこくイギリスがドイツと開戰かいせんしたにあたり、ドイツ國の行動が我が東洋平和をみだすに至るや、朕の政府はイギリス聯合れんごう王國おうこくの皇帝陛下との間に、たがいへだてのない交渉のをまとめた結果、兩國りょうこく政府は先般せんぱんの第三かい同盟協約により、當然とうぜん有すべき利益りえきから害せらるる事なきやう、必要な手段を採ることになつた。しかも朕はこの條約じょうやく忠實ちゅうじつな手段をむ以前に、出來るならば平和の間に事を進めたいと考へ、づ朕の政府に命じて誠意ある勸告かんこくをドイツ帝國に致させた。それにもかかわらず、ドイツ側では我が勸告文かんこくぶんに示した囘答かいとう日限にちげんに達しても何の挨拶もなく、朕の政府は結局ドイツ國から何も返事を受取らなかつたのである。

【備考】當時とうじ、ドイツだねのアメリカ人は、日本の參戰さんせん種々しゅじゅ、妨害しようと試みた。その魔手ましゅが、アメリカの新聞の上に伸びたので『トリビユウン』『ニユウヨオク・タイムス』などは「日本が膠州灣こうしゅうわんたいし、野心をいだいてゐるから、ドイツへ最後通牒さいごつうちょうを送つたのだ」と曲解きょっかいした。また『ヘラルド』は、「し日本が、大洋洲たいようしゅうのドイツ領サモア島を占領したならば、アメリカは默認もくにんしないで、よろしく艦隊を東洋に派遣すべきである」とつた。けれども大隈おおくま內閣ないかくは、その正々堂々の精神せいしん・態度を中外ちゅうがい聲明せいめいしたので、誤解するものがなくなつた。『ワシントン・タイムス』の如きは、「日本は良心にしたがひ、正義にかんがみて、イギリスと一致した意見により、今囘こんかいの行動に出た。決してそこに領土的野心はない」とつた。が、米國べいこくで、多數たすうのドイツ人がゐるイリノイス州選出の共和とう一議員の如きは、ドイツに味方し、アメリカが、日本の參戰さんせんに干渉せんことを求めたり、あるいは、ドイツだねのアメリカ人が、戰亂せんらん極東きょくとう波及はきゅうせしめぬやう、米大統領に懇願したりしたが、もとより成立たなかつた。以上の如く、對獨たいどく宣戰せんせん迄には、外交上、多少の曲折きょくせつがあつた。