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64 伊太利國ト土耳其國トノ交戰ノ際下シ給ヘル局外中立宣言ノ詔書 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解3 軍事外交篇

伊太利イタリイこく土耳其ト ル コこくトノ交戰こうせんさいくだたまヘル局外きょくがい中立ちゅうりつ宣言せんげん詔書しょうしょ(明治四十四年十月三日 官報

【謹譯】ちんうち伊太利イタリイこく土耳其ト ル コこくトノあいだ不幸ふこうニシテ釁端きんたんひらクニあたリ、帝國ていこく兩國りょうこくトノあいだ現存げんそんスル平和へいわ關係かんけい維持い じセムコトヲほっシ、ここ局外きょくがい中立ちゅうりつ宣言せんげんス。帝國ていこく臣民しんみんならび帝國ていこく管轄かんかつないものハ、戰局せんきょくハルニいたルマテ、嚴正げんせい中立ちゅうりつあいレサル一さい行動こうどうケムコトヲセヨ。

【字句謹解】◯釁端ヲ啓ク 戰爭せんそうが開始されること。〔註一〕參照 ◯局外中立 第三國が交戰國こうせんこくいずれにも特別の好意を示すことをつつしみ、嚴正げんせい中立を守ること ◯管轄內 行政けんの行はれる範圍はんい ◯戰局 戰時せんじ狀態じょうたい ◯相容レサル 一致しない。

〔註一〕釁端ヲ啓ク マホメツトきょうの本場であるトルコがドイツの外交手段にあやまられて、所謂いわゆるはんマホメツトきょう帝國主義の實行じっこう著手ちゃくしゅして民衆を壓迫あっぱくした。この樣子ようすうかがつたイタリイは國內統一後の元氣げんきで、ねてから著目ちゃくもくしてゐたトリポリ奪取だっしゅするため、明治四十四年(西紀一九一二年)の七月突如、トルコに宣戰せんせん公布こうふし、遂にトリポリ占領の目的を達したのである。

〔注意〕明治に至つての局外きょくがい中立ちゅうりつ詔勅しょうちょくはっせられたのは、この他にも、

(一)『北米ほくべい合衆國がっしゅうこく西班牙イスパニアこくトノ交戰こうせんノ際下シ給ヘル局外きょくがい中立ちゅうりつ宣言せんげん詔勅しょうちょく』(明治三十一年四月三十日、官報

がある。

【大意謹述】ちん今囘こんかいイタリイ國とトルコ國の間に不幸にして戰端せんたんが開かれるにあたつて、我が帝國と交戰こうせん二國との間に現在そんする平和の關係かんけいを長く保ちたいことを思ひ、ここに第三國としての絕對ぜったい中立を宣言する。我が帝國の臣民しんみん、及び我が行政けんの及ぶ範圍はんいにある者は、兩國りょうこく戰時せんじ狀態じょうたいからだっするまで、日本の決定した絕對ぜったい中立の立場と一致しないすべての行動をしないやう注意してほしい。