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63-1 韓國併合ニ付キ下シ給ヘル詔書 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解3 軍事外交篇

韓國かんこく併合へいごうくだたまヘル詔書しょうしょ(第一段)(明治四十三年八月二十九日 官報

【謹譯】ちん東洋とうよう平和へいわ永遠えいえん維持い じシ、帝國ていこく安全あんぜん將來しょうらい保障ほしょうスルノ必要ひつようナルヲおもヒ、またつね韓國かんこく禍亂からん淵源えんげんタルニかえりミ、さきちん政府せいふヲシテ韓國かんこく政府せいふ協定きょうていセシメ、韓國かんこく帝國ていこく保護ほ ごもとキ、もっ禍源かげん杜絕とぜつシ、平和へいわ確保かくほセムコトヲセリ。

【字句謹解】◯保障 妨害物を防いで安全に保つこと ◯禍亂ノ淵源 わざはひの原因。〔註一〕參照 ◯韓國政府ト協定セシメ 朝鮮政府と共にはかつて一定の條約じょうやくをとりきめる意。〔註二〕參照 ◯禍源 わざはひの根本 ◯杜絕 ふさぎ止める ◯期セリ 望んだ。

〔註一〕禍亂ノ淵源 明治以後に於いて朝鮮問題が原因となつて起つた大事件は多い。日淸にっしん日露にちろの二戰役せんえきは言ふまでもなく、明治十五年及び十七年の京城けいじょうらん、二十七年の東學黨とうがくとう事件には我が出兵を要し、その他明治八年には江華島こうかとう事件があり、十年の西南せいなんえきも、世に知られた表面の原因は朝鮮問題にかんしたものといへる。

〔註二〕韓國政府ト協定セシメ 日韓にっかん協約きょうやくは明治三十八年十一月十七日に我が特命全權ぜんけん公使はやし權助ごんすけと朝鮮外務大臣ぼく齊純さいじゅんとの名の下に締結された。これは明治三十七年二月二十三日の日韓にっかん議定書ぎていしょに一歩を進めたもので、

(一)我が外務省が今後朝鮮の外交一切を監理かんりすること。(二)朝鮮政府は今後外交上の如何い かなる條約じょうやくをも獨自どくじで行はないこと。(三)統監とうかんと理事官とを置いて外交にかんするすべてを監督すること。(四)本條約に牴觸ていしょくしない限り、從來じゅうらい兩國りょうこく間の條約じょうやく及び約束は效力こうりょく繼續けいぞくすること。(五)日本は朝鮮の安寧あんねい秩序を保證ほしょうし、その皇室の地位を尊重すること。

が大要である。

〔注意〕日韓にっかん併合へいごうは永い間の我ががんを手術したものであり、しかも成功した一例としてげられてゐる。これにつて遠く神功じんごう皇后こうごう以來の問題は解消し、爾後じ ご日本は國際的立場を數歩すうほ進めることになつた。

【大意謹述】ちん平生へいぜい東洋の平和を永久に保ち、我が帝國ていこくの地位が將來しょうらい安全とならん事を望み、何等なんらかの形で、この方面の事を完全にあきらかにする必要ありと考へた。更に我が帝國の過去に於いて時々の國難こくなんすべて朝鮮問題を中心として起ることにかえりみ、明治三十八年の終末、朕の政府と朝鮮との間に協定書を交換した。これにつて朝鮮を我が保護國とし、國難こくなんの原因を除き去り、今後も永く平和を維持しようと望むのほかはない。

【備考】朝鮮問題は、日本に取つて、長い宿題の一つであつた。三かん時代には、半ば以上、日本の附屬國ふぞくこくであり、日本の勢力下にあつた。それから豐公ほうこうの朝鮮征伐などで、日本の威力を朝鮮半島に示した因緣いんねんもある。ただ德川氏とくがわし鎖國さこく政策のために、日本はおのづから朝鮮との交渉を稀薄きはくならしめ、固有の權益けんえき抛棄ほうきしてしまつたのである。それらの事を考へつつ、この詔書しょうしょはいすると、朝鮮は、ようやおちくところにおちしたといふ氣がする。すなわち平和の光明こうみょうのもとに、その安定を日本の力によつて支持されるべき境地に到達し、朝鮮人はそこから新しい幸福こうふく、新しい希望に生きてゆくことが出來るといふ保證ほしょうを得た。東洋全局の平和は、ここにその一ぱん土臺どだいを固められたとつてよい。