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60 講和全權委員小村壽太郞ニ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解3 軍事外交篇

講和こうわ全權ぜんけん委員いいん小村こむら壽太郞じゅたろうくだたまヘル勅語ちょくご(明治三十八年十月十六日 官報

【謹譯】ちんさき米國べいこく大統領だいとうりょう忠言ちゅうげんレ、すなわ卿等けいらさずクルニ全權ぜんけんもっテシ、めいシテ米國べいこくおもむ露國ろこく使臣ししん會同かいどうシ、和議わ ぎ訂結ていけつにんあたラシメタリ。卿等けいら愼重しんちょうことしたがヒ、大局たいきょくかえりミ、妥定だていセルところちんむねかなフ。もっ帝國ていこく地位ち い確保かくほシ、交戰こうせん目的もくてき貫徹かんてつスルニレリ。ちんせつ勞勩ろういおもヒ、ふかこれ嘉賞かしょうス。

【字句謹解】◯米國大統領 時の米國べいこく大統領はルウズベルトであつた。〔註一〕參照 ◯忠言ヲ容レ 極東きょくとう平和及び人道上からも戰爭せんそう延引えんいんは望ましくないと忠告したのを聞き入れる意。〔註二〕參照 ◯卿等ニ授クルニ全權ヲ以テシ けいとは時の外相がいしょう小村こむら壽太郞じゅたろう及び駐米ちゅうべい公使こうし高平たかひら小五郞こごろうとの二人の意。〔註三〕參照 ◯米國ニ赴キ 講和こうわ會議場かいぎじょうであるアメリカのポオツマスにおもむくこと ◯露國使臣 ロシヤが派遣した全權ぜんけん、この時のロシヤ全權ぜんけんは大臣委員會議長かいぎちょうウイツテと駐米ちゅうべい大使たいしロオゼンとであつた ◯會同 同一の場所で面接する ◯和議訂結ノ任 講和こうわ條約じょうやくを取りまとめる責任を持たせる ◯愼重事ニ從ヒ 重々しく綿密な態度で談判に從事じゅうじする ◯大局ニ顧ミ 根本精神せいしんを見極めること。〔註四〕參照 ◯妥定 讓歩じょうほして決定した條件じょうけん ◯確保 確實かくじつに保つ ◯交戰ノ目的 東洋の平和と滿洲まんしゅう・朝鮮に於ける我が主張の實現じつげんこころざす ◯貫徹 つらぬきとほす ◯勞勩ヲ念ヒ 勞苦ろうく疲勞ひろうとに同情する、は働らいて疲れること。

〔註一〕米國大統領 米大統領履歷りれきは『道德どうとく敎育きょういくへん』に記述した。當時とうじの東京駐剳ちゅうさつ米國大使はグリスカム、外務省顧問はデニソンであつた。

〔註二〕忠言ヲ容レ 日露にちろ戰役せんえきは國をげての大戰たいせんであつただけに外交官の苦心も容易ではなかつた。西洋から極東きょくとうの一小國しょうこくと見られた日本が世界最大の陸軍を誇るロシヤに連戰れんせん戰勝れんしょうしたのを見ると、全世界は今更に日本を賞嘆しょうたんする氣持から嫉妬・猜疑さいぎに進んで行つたので、局面を轉囘てんかいする必要があると當時とうじの外交官は誰もこの問題に就いて心配した。しかしロシヤは面目めんもくにかけても講和は出來ない。じつはその下心がありながら意地を張つてゐるのを見て、その同盟國どうめいこくであるフランスが、三十八年四月の初めに講和こうわ斡旋あっせんを申込んだ。日本にとつてはフランスがロシヤの同盟國であるだけ不利は分かつてゐる。しか當時とうじこれをかえりみないではゐられない程外交上の不安はあつた。そこで日本はその斡旋あっせんをアメリカ大統領ルウズベルトにたのむと、時期がれば喜んでおうずるといふ返事が來た。

 五月二十七八日の日本海に於いてバルチツク艦隊が大敗したのはロシヤにとつて致命的だつた。日本はこの時こそ講和に最も有利な時機と考へ、ルウズベルトにそのよしを告げ、いよいよポオツマス會議かいぎとなつたのである。

〔註三〕卿等ニ授クルニ全權ヲ以テシ 〔註四〕で略述するやうにポオツマス會議かいぎの結果は我が國民に、戰勝國せんしょうこくの悲哀をあじわはせ、輿論よろん囂々ごうごうとして小村を非難した。しかも小村外相は決する所あり、一げん辯解べんかいの口を開かなかつたとつたへられてゐる。

〔註四〕大局ニ顧ミ ポオツマス會議かいぎ條件じょうけん及び彼我ひ が全權ぜんけんの人物履歷りれきに就ては大略たいりゃく道德どうとく敎育きょういくへん』で說明せつめいした。我が要求條件最後の讓歩じょうほに更に讓歩じょうほを重ね、遂に無償金むしょうきんに終つた。結局、

(一)朝鮮に於ける我が卓絕たくぜつ利益りえきをロシヤは認めること。(二)滿洲まんしゅうに於ける機會きかい均等きんとう主義をロシヤは守ること。(三)關東州かんとうしゅう租借權そしゃくけん長春ちょうしゅん旅順りょじゅん間の鐵道てつどう及び炭坑たんこう等をわれ讓與じょうよすること。(四)北緯五十度以南の樺太カバフト及びその附邊ふへん島嶼しょとうしょわれ讓與じょうよすること。(五)ロシヤ政府は満洲まんしゅうから全軍の撤兵てっぺいを行ふこと。(六)北海ほっかい漁業權ぎょぎょうけんに就て我が政府と協定すること。

やくし、割地かっち軍費拂戻ぐんぴはらいもどし抑留軍艦よくりゅうぐんかん引渡ひきわたし・海軍力制限についてはわれは最大の讓歩じょうほをした。しかし以上の條件中(一)、(二)、(五)が我が交戰こうせんの直接目的であり、一おうその目的を達したのだから、聖上せいじょうに於かせられては、「大局たいきょくかえりミ」の御言葉みことばがあつた事と拜察はいさつする。

〔注意〕講和こうわ條件じょうけん不滿ふまんから東京では燒打やきうち事件まで惹起ひきおこしたポオツマス條約じょうやくは、我國わがくにに第二の臥薪嘗膽がしんしょうたん時代をあたへるだけの條件を具備ぐ びしてゐたが、熱し易くさめ易い國民性の短所として、勝利の甘酒にひ易かつた。このてん叡慮えいりょなやまされた明治天皇は『戊申ぼしん詔書しょうしょ』(明治四十一年十月十三日、官報)を渙發かんぱつされ、「はなじつキ、荒怠こうたいあいいましメ、自彊じきょうマサルヘシ」といましめられた。なほこの日露にちろ講和こうわかんするみことのりは次のものがかぞへられる。

(一)講和こうわ全權ぜんけん委員小村こむら壽太郞じゅたろうニ下シ給ヘル勅語(明治三十八年七月六日、官報)(二)陸海軍人ニ下シ給ヘル勅語(明治三十八年十月十六日、官報)(三)講和全權委員小村壽太郞ニ下シ給ヘル勅語(明治三十八年十月十六日、官報)(四)日露にちろ講和こうわ成立ノ際下シ給ヘル詔勅(明治三十八年十月十六日、官報

【大意謹述】ちん先般せんぱん日露にちろ講和こうわかんするアメリカ大統領の忠告を受け入れて、ただちに卿等けいら全權ぜんけんの資格をあたへ、アメリカのポオツマスにおもむかしめ、ロシア全權ぜんけんと講和談判のしょうあたらせた。その際、卿等けいらが落付いた綿密な態度で事にしたがひ、大局たいきょくを打算して讓歩じょうほ締結ていけつした條約じょうやくは朕の意と合し、朝鮮及び滿洲まんしゅうに於ける我が帝國ていこくの占めるべき地位を確實かくじつに保ち、たび交戰こうせんの目的を實現じつげんするに十分である。朕は卿等けいら勞苦ろうくたいして同情し、深く之を嘉賞かしょうする。

【備考】小村こむら全權ぜんけんの講和談判については、『道德どうとく敎育きょういくへん』で、當時とうじ、陛下が國民に戒諭かいゆされた詔勅ごしょうちょくはっせられたについて、大要たいよう、述べて置いた。ここでは、も少し深く突きつたてんについて、二三れることとする。當時とうじ日本に於ける强硬派きょうこうはは、ロシヤを憎惡ぞうおするのあまり樺太カバフト勿論もちろん沿海州えんかいしゅう黑龍州こくりゅうしゅうをも割讓かつじょうさせ、少くとも二十憶の償金しょうきん支拂しはらはしめねば、滿足まんぞく出來ぬと意氣い き込んでゐた。またそれほどでなくとも、穩健派おんけんはでは、樺太カバフト全部の割讓かつじょう償金しょうきん支拂しはらいを必須條件とした。ところが、講和談判の結果、償金しょうきんは全く取れず、加ふるに樺太カバフトも、その一ぱん割讓かつじょうせしめたにとどまつたのであるから、國民の憤慨ふんがいは激しかつた。「一たいかつら及び小村こむらは、何故な ぜ、そんな寬大かんだいな事をしたのか、同胞どうほう多數たすうの犠牲と幾十億の國費こくひを費しながら、何たる讓歩じょうほか」といふこえが到るところに湧き上つた。當時とうじ外交局面の機微きびん內幕うちまくに通じなかつた國民大衆が、かく憤慨ふんがいしたのは、無理でない。それに、ウイツテは、講和談判がまとまつたとき、れの周圍しゅういに群つた新聞記者に向ひ、「平和!日本が全然、讓歩じょうほしたのだ」と得意さうに語つたとつたへられる以上、誰とても、小村のくちを最善のものだとは考へない。また小村と共に、何故な ぜもつと老練ろうれんな人物を全權ぜんけん中に加へなかつたといふ感じもする。

 が、今日こんにちに至つて、靜觀せいかんすると、日本の國情こくじょうは、あれ以上、戰爭せんそう繼續けいぞくすることが、日本に取つて、必ずしも利益りえきでないといふ事が分明わ かつて來た。それは(一)歐洲おうしゅう列强れっきょうは最初、日本の飛躍に同情してゐたけれども、白人としての立場から、有色人たる日本の大勝を次第に喜ばなくなつた事、(二)日本はすでに二十億えん軍費ぐんぴ費消ひしょうし、それ以上は、英米に於て借り入れ得ない事情に迫つてゐた事、(三)兵器・彈藥だんやく等において次第に補給上、困難を生じ、兵數へいすうまた減少して、到頭とうとう後備役こうびえきを五箇年かねん延長し、該役がいえきを終へた老兵ろうへい迄も使用するやうになつてゐた事などである。ところが、ロシヤは日本よりも優れた最新式武器を有し、野戰軍やせんぐんのうちから、その七分の三をしたのみで、全滿ぜんまんの大兵はことごと現役兵だつた。彼我ひ がの形勢を對照たいしょうすると、日本は、樂觀らっかんし難い立場にをつたのである。小村の頭から、始終、去らなかつたのは、この一てんだつた。

 かうした情勢において、ロシヤ側は、なりに日本の弱味にらうとつとめたことはおおひ難い。一つは、ルウズベルトが、いろいろ斡旋あっせんするので、日本政府は、アメリカに向つて、哀訴あいそ・嘆願したのだとも考へ、一層、日本の要求條件に耳を傾けまいとしたのである。したがつて、講和條件の前半、(一)から(五)迄は、ロシヤも日本の要求を應諾おうだくしたが、(六)以下(十二)迄は、容易に首肯しゅこうしない。念のため、これを左にかかげる。

(一)露西亞ロ シ ヤは朝鮮に於ける日本の政治・軍事及び經濟上けいざいじょう優越權ゆうえつけんを承認し、日本が必要と認むる指導・保護及び監理かんりの措置を執る場合、れを阻碍そがいし、またはれに干渉せざること。(二)露西亞は一定の期限內に滿洲まんしゅうより撤退し、の地方に於て、支那し な主權しゅけんきずつけ、もしくは機會きかい均等きんとう主義にそむくが如き權利けんり特典を放棄すること。(三)日本は行政改善の保障をれば、ただちに満洲まんしゅう支那し な還附かんぷすること。(四)日本及び露西亞兩國りょうこくは、支那し な満洲まんしゅうの商工業を發達はったつせしむるため、列國れっこくに共通する措置を執るにあたり、阻碍そがいせざること。(五)露西亞は遼東りょうとう半島の租借權そしゃくけんを日本に讓渡じょうとすること。

ロシヤが最初、應諾おうだくしたのは以上にとどまつてゐる。後半については、左の條件中、日本に於ても、なりに讓歩じょうほしなければならぬ形勢となつた。

(六)露西亞は哈爾賓ハルピン旅順りょじゅん間の鐵道てつどう讓與じょうよすること。(七)露西亞は商工業のみに使用する條件を以て、東淸とうしん鐵道てつどう保有すること。(八)露西亞は樺太カバフト及び附屬ふぞく諸島を日本に割讓かつじょうすること。(九)露西亞は戦費として十分なる拂戻金はらいもどしきんを支出すること。(十)極東きょくとうに於ける露西亞の海軍力を一定の噸數とんすうに制限すること。(十一)露西亞は中立港に奔竄ほんざんせる軍艦を戰利品として日本に引渡すこと。(十二)日本海・オホツク海・ベエリング海にひんする露西亞の漁業けんを日本人に許與きょよすること。

 以上のうち哈爾賓ハルピン旅順りょじゅん間の鐵道てつどう問題については、日本側で旅順りょじゅん長春ちょうしゅん間といふことに讓歩じょうほし、東淸とうしん鐵道てつどうを商工業のみに使ひ、ロシヤ沿岸の漁業けん許與きょよは、ぼ話がまとまつた。ところが、戦費拂戻はらいもどし、樺太カバフト全部の割讓かつじょう極東きょくとうに於けるロシヤの海軍力制限、中立港に逃れた軍艦の引渡しについて、ロシヤは容易に應諾おうだくしない。ウイツテは强硬きょうこうにこれに反對はんたいし、結局、樺太カバフト割讓かつじょう及び戦費拂戻が、難關なんかん焦點しょうてんした。爾來じらい、談判は幾度か破裂の危機に臨み、小村も一度はポオツマスから引上げようと決意した程であつた。以上により、小村の苦心努力は、りょうとすべきてんがある。けれども成功といふ一てんになると首肯しゅこうし難く、滿足まんぞくし難いところがあつた。主席全權ぜんけんとしてのれの力量の不足!それは確かにいくらか存在したと思ふ。