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56-4 露國ニ對スル宣戰ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

露國ろこくたいスル宣戰せんせん詔勅しょうちょく(第四段)(明治三十七年二月十日 官報

【謹譯】ゆえちんさいシ、せつ妥協だきょうよっ時局じきょく解決かいけつシ、もっ平和へいわ恒久こうきゅう維持い じセムコトヲシ、有司ゆうしヲシテ露國ろこく提議ていぎシ、半歳はんさいひさシキニわたリテ屢次る じ折衝せっしょうかさネシメタルモ、露國ろこくハ一モ交讓こうじょう精神せいしんもっこれむかヘス、嚝日こうじつ彌久びきゅういたずら時局じきょく解決かいけつ遷延せんまんセシメ、よう平和へいわ唱道しょうどうシ、いん海陸かいりく軍備ぐんび增大ぞうだいシ、もっわれ屈從くつじゅうセシメムトス。

【字句謹解】◯此ノ機ニ際シ この時にあたつて ◯妥協 相互が折れ合ふこと ◯時局ヲ解決シ 現在の國際問題を解決する意 ◯恒久 永久と同じ ◯露國ニ提議シ 時の解決案をロシヤに向つて提出して協議する。これは五箇條かじょうから成り三十六年八月に提出した。〔註一〕參照 ◯半歳ノ久シキニ亙リテ この第一かい會議かいぎは明治三十六年九月七日であつたから、詔勅ほんしょうちょくまでじつ半年はんねん經過けいかしてゐる ◯屢次 幾度も繰り返しての意 ◯折衝ヲ重ネ 協議上、曲折きょくせつを重ねること。〔註二〕參照 ◯交讓 相互に主張をゆずり合ふ意 ◯嚝日彌久 空しく日をすごして久しい間結局何の效果こうかもないこと ◯遷延 ひきのばす ◯屈從 自己の主張をてて敵にしたがふこと。

〔註一〕露國ニ提議シ 明治三十五年四月五日、露淸ろしん間に締結された滿洲まんしゅう還附かんぷ協約きょうやくは、その後十八ヶ月以內に最後の一兵までをも撤退する旨を明文めいぶんに記してあるにもかかわらず、ロシヤは第一期の撤兵もじつ駐兵ちゅうへいの移動でませ、第二期以後は淸國しんこく及び列國れっこくの撤兵要求に少しもおうじなかつた。ここに於いてロシヤの野心は明瞭めいりょうな形で示されたため、我が政府は、朝鮮に於ける我が地位權益けんえき擁護ようごする必要から、明治三十六年八月十二日、五箇條かじょうの提案をロシヤ政府に示した。その大要は、前述【備考】中にある。

〔註二〕折衝ヲ重ネ 前述してあるが、ほ一げんを加へる。日本の提案にたいして、ロシヤは全然誠意がなかつた。この會議かいぎは東京で開かれ、ロシヤ側は公使ロオゼン、日本側は小村外相が責任者となつて三十六年九月七日から開いた。我が提案にたいするロシヤの囘答かいとうはやがて到著とうちゃくしたが、要するに満洲まんしゅうは全く日本の利益りえき範圍外はんいがいとして協定を拒絕きょぜつし、朝鮮にたいしては細かく我が權利けんりを制限したもので、このままでは兩者りょうしゃが衝突するよりほかはない。そこで我政府は、その翌年一月十三日に最後通牒さいごつうちょうを意味した修正案を送るまで、前後四かいの提案をしたが、ロシヤは斷然だんぜんゆずらぬ。最後通牒さいごつうちょうの期限內にも遂に囘答かいとうは來なかつた。そこで、明治三十七年二月十日に詔勅ほんしょうちょく渙發かんぱつされたのである。

【大意謹述】以上述べた事情であるから、ちんはこの際、心から兩國りょうこくの主張を緩和し、國際間の不安を一掃し、永久に平和をつづけてゆきたいと望んだ。つて當路とうろの役人に命じて我が提案をロシヤ政府に示し、前後半年はんねんの長い期間も費して繰り返し協議せしめ、一致てんを見出すことにもっぱら苦心した。しかるに我が提案にたいして、ロシヤは少しも相互に讓歩じょうほし合ふやうな心で臨まず、いたずらに決定を延ばし、時を空費くうひし、不安を一掃する何等の努力をもはらはない。表面では平和を主張しながらも裏面りめんではさかんに海陸の軍備を充實じゅうじつ增大ぞうだいさせ、武力を以て我が國を抑へ、在來ざいらいの主張を放棄せしめようとする意圖い とが見えた。

【備考】當時とうじかつら內閣ないかくは前後を顧慮こりょして、ともすれば、ロシヤに向つて、弱腰とならうとした。それを切に憂慮して、主戰しゅせん論を唱へたのは、東京帝大ていだいの七博士、戸水とみず富井とみい寺尾てらお金井かない高橋たかはし中村なかむら小野塚おのづかの人々だつた。彼等は、「極東きょくとう問題の重心は満洲まんしゅうにある。滿洲まんしゅうをロシヤの手に委ねるときは、朝鮮はあぶない。したがつて日本また不安だ。ゆえにこの際、退讓たいじょうは無用である」とし、三十六年六月初旬、あいたずさへて桂首相をひ、一ぺんの意見書を提出した。そして特に首相の決心を促したのである。その意見書の要點ようてんは、姑息こそく外交を排して、自主外交を强調し、横暴なロシヤを討つの機會きかいは、今日こんにちをおいてにないとした。すなわち兵力・財力においても、日本に勝味かちみがあつて、日英同盟を背景とする以上、歐洲おうしゅうにおいて、ロシヤを助けるものがないから、進んで、ロシヤとたたかふことを有利とするといふのである。桂首相は餘程よほど、以上の意見に心を動かされたと見える。それから間もなく、御前ごぜん會議かいぎが開かれ、對露たいろ方針の決定を始めて見た。以上七博士の論文は、三十六年九月公刊され、今日こんにち、それを手にすると、そぞろに當年とうねんのことが想はれる。